先輩Nとの相似

図書整理を終えた頃には日がとっぷりと暮れてしまっていて、随分集中していたんだなと思う。そうせざるを得ないくらい大変だったと言うべきか。寄贈された本を並べるために書庫へ移す本を出し、どうにか本棚へと詰め込み、それから書庫の整理という名の大掃除だ。随分と埃っぽくなってしまった気がするが、しかし反対に気分は爽快だった。書庫から気になる本を見つけ出して借りられた、というのもあるかもしれない。家に帰って本を開く瞬間が、とても楽しみだった。

「……遅くまで付き合わせて、すまなかった」
「いえ、普段入らない書庫に入れて楽しかったです」

図書室の鍵を掛けた中在家委員長は静かな声で言う。こんな時間だからか他の部活動の音も聞こえてこないため、この廊下にも十分に響いて私に届いた。相変わらず優しい声で、とても落ち着く声だ。中在家委員長は私の返答に表情を和らげる。そうか、との呟きに頷くだけ。余計な言葉を積むことのない関係は、心地よいものだった。
中在家委員長は先に帰っていいと何度も言ってくれていた。それを断って作業を続けたのは私だけでない。用事のない子はなるべく残っていたし、不破くんも用があると言っていたけどギリギリまで作業を続けていた。最後まで残っていられたのは私だけだったけど、こうやって皆が残りたがったのは、中在家委員長の人柄によるものだろう。厳しいけれどとても優しい中在家委員長のことを、皆とても尊敬している。もうすぐ卒業される中在家委員長と出来る限り一緒に仕事をしたいと思うのは、仕方ないことだった。

ふたり分の足音を静かに響かせて、職員室に向かって歩く。ゆっくりとした歩調が私に合わせたものだとは知っていた。中在家委員長は一緒にいる人に合わせて歩く。たまにご友人と一緒のところを見かけると、相手を抑えて歩かせていることもあるけれど。最初は意外に思っていたが、あれが気が置けない関係というものなのだろう。
「飛鳥井」名前を呼ばれて反射的に返事をする。中在家委員長の視線が私に向いていて、どうしましたか、と私は首を傾げた。

「……留三郎と付き合うことになったと、聞いた」

聞き間違いかと思った。そんなまさかと思いながらもその声は中在家委員長のものと違わず、私はその言葉の意味を咀嚼するのに時間が掛かってしまった。咀嚼も何もそのままの意味だというのに。こうやって誰かの口から言われるのはなんだか恥ずかしい。

「は、はい。お付き合い、させていただいています」

慌てて頷けば中在家委員長はちょっとばかり目を細める。それが面白がっているものだと分かり、私は頬に熱が集まるのを感じた。すぐにすまないと口にしてくれたけれど、こんなときはなかなか落ち着かなかった。たまの意外な言動が、とても心臓に悪いと思う。

「留三郎は、いい奴だろう……」
「はい、とても」
「……よろしく頼む」

それでも、友人の話をされる声はとても優しくて、私は取り繕うこともできないまま頷いた。仲がいいんだな、と少し羨ましい。けれど中在家委員長は何故かすぐに表情を難しいものにした。

「……だが、暫く他の友人たちが迷惑を掛けるかもしれない」
「え?」
「何か迷惑を掛けたら……私か留三郎かお前の友人に告げてほしい……」
「え、え?」

唐突のことにまた混乱。迷惑とは一体。そして何故私の友人がそこに並べられるのだろうか。友人はあまり図書室に寄らないので面識はないと思うのだけれど。
混乱する私に詳細な説明をしてくれることもなく、職員室に着くとひとりで中に入ってしまった。すぐに出てきた中在家委員長はもう何も語らず、私を階段へと促す。話は終わりか、疑問は残るけれど、多分きっと心配してくれているのだと思うことにした。

「中在家委員長」
「……?」
「ありがとうございます」

私がそう言えば中在家委員長はぽんぽんと頭を撫でてくれたから、やっぱりそういうことだろう。



「飛鳥井」
「え、あ、食満先輩……!」

踊り場で方向転換すると、更に下にいた姿に気付く。少し暗いけど見間違えるわけもなく、私の胸がどきんと跳ねた。いつまで経っても慣れやしない鼓動を感じながら、私は一段一段下りて食満先輩への距離を縮める。ああ制服が汚れたりしていないだろうか、心配だ。
どうして此処にと訊けば、待ってたと返される。今日は遅くなるからと約束していなかったのに。嬉しいけれど申し訳ないなぁと考えていたら、「俺が会いたかっただけだから」食満先輩はこれ以上私をときめかせてどうするつもりだろうか。

「長次も一緒だったか。委員会お疲れ」
「……ん」

こくりと小さく頷く中在家委員長は、一度ちらりと私に目を向ける。それからまた食満先輩へと視線を戻した。「留三郎……」「分かってるって」会話とも言えない短いやりとり、食満先輩は笑って首を縦に振る。

「また明日な」
「……また、な。飛鳥井も」
「はい。お疲れ様でした」

中在家委員長はもう一度私の頭を撫でて、それからひとり先に靴箱へと向かっていった。一緒に行けばよかったかと思ったけれど、もしかしたら気を遣わせてしまったのだろうか。その姿を見送った私と食満先輩は視線を交わし、食満先輩は困ったように笑った。きっと同じことを考えたのだと思う。今度何かお礼をしようと、心に決めた。

「さて、俺たちも帰るか。家まで送る」
「大丈夫ですよ?食満先輩の方が遠いし、もう遅いのに……」
「遅いからこそ、だ。それに長次とも約束したしな」

え、と驚く。約束とは一体いつの間に。まさか先程の短いやりとりがそうだったのだろうか。仲良くなれば此処まで以心伝心なのかとまたしても羨ましく思いながら、「すみません、お願いします」私は今日も今日とて甘えることにした。

靴を履き替え、一緒に昇降口を出る。今日の図書整理の話をすれば、大した話でもないけれど食満先輩は楽しそうに聞いてくれた。聞き上手とはこういうことか、話が不必要に途切れることもない。中在家委員長のことも話題に上ると、食満先輩も多弁になった。そういえば他の友人たちがどうこうと言っていたのは、まあ、今はいいか。

「長次はいい奴だろ?」
「……ふふっ、ええ、とても」

一通り話し終えた後に語られた食満先輩の言葉は中在家委員長のものと同じで、私は思わず笑ってしまう。本っ当に仲がいいんだなぁ、なんて。
突然笑いだした私に食満先輩は不思議そうな顔をしたけれど、私は何でもないのだと首を振った。


 

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