少女Αの困惑

「長次から棚を直してほしいって話があってな。昼に様子を見た感じだと簡単に直せそうだったけど、いつもの放課後だと利用者に迷惑になるだろ?だからといって本棚を外に出すのも大変だし、降ろした本もちゃんと並べ直さねえといけねえし、だから今日作業することになったんだが、図書委員には迷惑だろう。悪いな、さっさと終わらせるから」
「い、いいいいえ、お気になさらず!ゆっくり作業していただいて結構ですので!」

滅相もないと首を振るけれど、正直なところは早く終わって何処かに行ってほしかった。近くにいられるのは嬉しいけど心臓が持たない。その笑顔から目を逸らさないとパニックになりそうだ。
私はなるべく食満先輩から遠い本棚の前に立つ。さっさと私も作業に移ろう。集中すれば、きっと意識しないでいられる筈だ。
背表紙を眺めながら、手元の表にチェックをつけていく。後で貸出カードと照会して紛失した本がないかを確認するから、間違えると大変なことになる。最初は食満先輩の存在を意識してしまっていたけれど、作業に没頭するうちにそれは薄れていった。束の間の休息、みたいな。
隣の本棚に立ったときに思い出して、またどきどきと心臓がうるさくなったのだけれど。
その棚のチェックが終われば、また困ったことになった。次は食満先輩が補修中の棚である。その棚のチェックは最後で、補修が終わってからでいい。問題なのは、どうやって向こう側の本棚へ行くか、である。
思い出すのは昼のこと。よく大声を上げなかったな、私。腕を引かれて、密着するくらいの距離に食満先輩がいた、あのときのことだ。思い出すのも恥ずかしい。忘れよう、とりあえず今は。
作業に集中しているようだから今回こそ回り込もう。私はそっと移動しようと踵を返し。

「待った」

手を掴まれた。当然というか、食満先輩だ。
触れられたとこから熱くなるような感覚。昼には感じなかったのは、まだ恋心が芽生えてなかったからなんだろう。

「わざわざ回り込もうとしなくても、言ってくれれば通路空けるから」
「え、あ、す、すみません、ありがとうございます」

手を引かれるまま、昼間のように通り抜ける。近い、恥ずかしい。しかも手が、離れない。
振り払うなんてできるわけもなく、顔を見れるわけもなく、混乱するばかりの私は、「あの、けま、先輩?」名前を呼ぶだけでいっぱいいっぱいだった。

「ああ、悪い。って、俺の名前知ってるのか」
「あ……中在家委員長と、よく一緒にいらっしゃいます、よね」
「なるほど、それでか」

いや実は数時間前に友人に教えてもらったばかりです、なんてことは言わなくてもいいだろう。
それより手が、まだ、離れないんですが。どうすることもできない私は、意を決して食満先輩の顔を見る。ちらっと。あ、駄目だ格好いい。

「なあ、名前はなんて言うんだ?」
「わ、私ですか?」
「ああ」
「えと、その……飛鳥井、あやです」
「飛鳥井か。俺は食満留三郎、宜しくな」

自己紹介を済ませるとようやく手が離れて、また頭を撫でられた。顔を上げてあの笑顔があったらきっと頭が沸騰してしまうと思った私は視線を落としてされるがままである。
けま、とめさぶろう、せんぱい。心の中で名前を呼んでみると、胸に暖かいものが広がっていく。下の名前ははじめて知った。ひとつ知っただけでこんなにも幸せな気分になれるんだ。ああ、幸せすぎて明日死ぬのかも。




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