少女Αの恋心

かちり。図書室の鍵を掛ける。職員室へ向かいながら廊下を歩けば窓の外はすっかり暗くなってしまっていて、冷たい空気と合わさって季節の移ろいを感じさせる。相変わらず部活の掛け声は聞こえるけど、校舎には誰もいないみたいに静かだ。いや、私の耳に入ってこないだけなのかもしれない。ポケットに入れた、手紙のせいで。
想いをしたためた手紙は私の足取りを固くもしている。落ち着け私、直接渡すわけじゃないんだから。そう思いながらの深呼吸は、何度繰り返しても私を落ち着かせることはない。
職員室に鍵を返して、食満先輩の靴箱に入れておく。これから行うのはそれだけなのだから、そんなに緊張しなくたっていいのに。

職員室に鍵を返却、そのすぐ近くの階段を降りて下足場へ。踊り場でターンしたとき、段を降りようとした足が止まった。階段を降りきった廊下、明るくはないそこに、けれど決して見間違えるわけがない、ひとり分の影が。

「……食満先輩」

私が呼べば「飛鳥井」私の名前を紡ぐその声に、頬が熱を持ち始める。それを誤魔化したくて私は動くまいとする足をゆっくりと段差へ降ろした。一段ずつ、いつもの倍くらいの時間をかけても、あっという間に降りきってしまう。まだ心の準備も出来てないのに。

「こ、こんにちは。ええと、先輩、今まで部活だったんですか?」
「いや、待ってたんだ」

それでもどうにか出した質問は、先輩が首を振ることで否定された。待ってた、何を。まさかと浮かんだそれに胸がどきんと跳ねる。その期待と不安が一緒になった感情を肯定するように、食満先輩は言う。

「飛鳥井を、待ってた」

ああ、心臓が、爆発しそうだ。
顔が熱い。赤くなっているのは、もう誤魔化しようもないだろう。それを隠すこともできなくて、私は何を言うこともできず「え、あ、」言葉にならない音を短く発しただけだった。

「飛鳥井に……飛鳥井と、話したいことがあるんだ。少しだけでいい、時間を貰えるか?」
「は、はい、いくらでも」

断るなんて考えもしない。即座に答えたその言葉に先輩は少しだけ笑って、公園にでも行こうと促した。
話って、なんだろう。靴を履き替える間に考えるけれど、いろんなことがごちゃごちゃとひっくり返っていて考えが纏まる筈がない。ただ、しゃがんだ瞬間にくしゃりと鳴った紙の音に、ポケットから聞こえた音に、私はひとつだけ覚悟を決めた。



学校と私の家を繋ぐ道の途中にある、小さな公園。塗り替えたばかりのような鮮やかな色のベンチに座る私と先輩の距離は、はじめて並んで歩いたときくらいに離れている。それでも近い距離には違いないし、逆に先輩の顔を見やすくなっている気がして、なんだかとても落ち着かない。
先輩に買っていただいたココアの缶を両手の中で転がせば、熱かったそれは程よく手を温めてくれる程度にまで冷めつつある。ずっとこうしているわけにもいかないのだろう。「食満先輩」隣で黙ったままコーヒーに口をつけていた先輩を呼べば、彼と視線が交わった。

「お話って、何でしょうか……」
「……ああ、そうだな、悪い」

先輩が缶をベンチに置けば、こつん、と軽い音が立つ。中身は殆どないのだろう。それを飲み干していたら、私が切り出す前に話し出していたかもしれない。だから遅かれ早かれ、その話を聞くことになったのだ。そう考えて緊張を消そうとする。効果は、勿論、なかったけれど。

「あー、その……最近、な」
「……はい」
「……元気、ないだろ。何かあったのか?」

先輩が口にしたのは、私を心配するような言葉だった。そしてそれは最近何度か訊かれている言葉でもある。あの修学旅行以来、ずっと何かを考えていることに先輩は気付いて心配してくれていた。けれど食満先輩のことで考えているだなんて本人に言えるわけもなく、私は何でもないと返してばかりだったのに。それでも、改めて話を聞こうとしてくれることが、その優しさが、嬉しい。

「ちょっと、すごく、考えてたことがあったんです。でも、もう決めました」
「……そう、か」
「だから……少し、聞いてもらってもいいですか?」

だから、相変わらず緊張はしていたけれど、躊躇わずに話し出せた。先輩は、きっと嫌がらずに聞いてくれるから。
「勿論だ」そう即答してくれた先輩に、私は深呼吸をひとつしてから、私の想いを舌に乗せた。手紙はもう、必要ない。

「私、食満先輩が、好きです」




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