少女Αの思慕

映画の後は適当に歩き回った。本屋に付き合ってもらったり、ゲームセンターでクレーンゲームに興じたり。食満先輩に取ってもらった小さなテディベアのキーホルダーは宝物にしよう。
夕食を食べた後にはすっかり暗くなっていた。帰るか、との食満先輩の言葉に頷く。まだ帰りたくない、なんて言える訳がない。

満員とまでは言わずとも結構な量の人が乗り合わせる電車内では、必然的に距離が近くなる。しかも転ばないように支えてくれているものだから恥で死ねそうだ。食満先輩の最寄り駅は私よりも幾つか先。つまり電車に乗ってる間はずっとこの状況。どきどきするなという方がおかしい。
アナウンスと車両の走る音以外に殆ど音のない車内では会話も憚られる。お互い黙ったまま、時折視線だけで見上げれば目が合って、微笑まれるともうどうしていいか分からない。思わず視線を逸らしてしまうけど、また同じことを繰り返したり。
電車が停まって、ドアが開いて空気と人が入れ替わる。どきどきがばれてしまう前に離れたい筈なのに、一駅止まる毎にあと少ししか居られないのかと胸がつまる私はなんて現金なんだろう。もう少しだけ一緒にいられたらいいのに。電車よ止まれ、なんて私の願いは当然聞き入れられることなく、電車は走り続けた。

「飛鳥井」

まもなく私の降りる駅に着く、というときだ。小声で呼ばれて見上げれば、優しい眼差しが私に向けられていた。ああ、この胸はまだ高鳴ることができたのか。心臓の音が、うるさい。

「もう暗いし、家まで送ってもいいか?」
「え……そんな、大丈夫ですよ。ご迷惑でしょう?」
「いや、こんな時間まで付き合ってもらったんだ。親御さんも心配するだろ?」
「でも……」

付き合ってもらったのは私の方だ。最初から最後まで、先輩は私を気遣ってくれていたし。それに、こんな時間、といっても遅すぎる時間ではない。友人と出掛けた帰りにもよくある時間帯だ。帰り道は人通りだって少なくないから、引ったくりや変質者なんかの話も聞かない。何より社交辞令を真に受けて先輩に迷惑をおかけしたくない。
そう思いながらももう少し一緒にいたいという欲望は消えなくて、しっかりと断ることもできずに言い淀む。
それでも間もなく到着するとのアナウンスが流れ出して、さすがに辞退しなくちゃと口を開こうとした私に、食満先輩は更なる爆弾を投下した。

「……あと、だな。もう少し、飛鳥井と話していたいんだ」
「え、えっ?」

私の心を読んだのか。そう言いたくなるような殺し文句に鼓動が更に強く胸を叩いた。太鼓を強く打ち鳴らすように、全身に響いて広がっていく。顔に熱が集まるのが分かったけれど、ちょうどドアが開いて人の波に流されたから、きっと食満先輩は気付かなかった、そう願いたい。
いつの間にか私の手は食満先輩に取られていて、ホームでふたり立ち尽くす。食満先輩の背後でドアが閉まって、がたんごとんと音を立てて電車が走り出した。

「迷惑だったら言ってくれ。飛鳥井の嫌がることは、したくないからな」

真っ直ぐに見つめてくる食満先輩に見惚れてしまいそうで、重なる手に視線を落とす。私の手を緩く握る先輩の手は、振り払おうと思えば簡単に離れてしまうだろう。けれど、当然、実行出来るわけがない。
今日一日が幸せすぎて、死ぬんじゃないだろうか。友人に言ったら呆れられそうなことを半ば本気で思いながら、まだそのときが来ないことを祈る。もう少し、この幸せに浸っていたい。贅沢な願いを胸に、私は口を開いた。

「わ、私……もう少し、食満先輩と一緒にいたい、です」

ぎゅう、と握り返した手から、この想いが少しでも伝わればいいのに。


 

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