天女様の言う通り

「あれ?!」

そう声を上げたのは傷の様子を見てくれた善法寺くんだ。動き回って傷が少し開いているじゃないかと怒っていたのは天女様が出ていく少し前の話。血で固まる前にもう一度包帯を外したところで手が止まっている。一体どうしたのだと恐る恐る自分の腹を見てみれば、そこには何もなかった。小さな傷ひとつ、なかった。

「……善法寺くん、私の傷は一体どこに」
「……治ってる。少なくとも見た目には完治してる。痛みは?」
「まったくない。ところで痛み止めっていつ頃まで効くの?」
「そろそろ切れててもおかしくないよ」

きっと見た目だけでなく完治しているのだろう。遠い目をする善法寺くんに、私は天女様を思い浮かべる。手を翳しただけで傷を消してしまうなんて芸当は、あのひとしかできないだろう。手当てもそこそこの忍たまたちが追いかけたもののあっさりと姿を消してしまった天女様は、きっと本当に天女様だった。少なくとも人間ではなかった。

「まぁ、治ったなら……気にしないでいようか」
「篠崎さんがいいならいいけど……」

人間じゃなかろうと、私にとって悪いひとではなかった。だから私は善法寺くんにそう告げる。善法寺くんは困ったようにしながらも原因追及はしないようで、私の傷の治療は包帯を外して終わりとなった。

「ところで善法寺くん。私が倒れたときに言ったことって、何だったの?」

目が覚めてから色々あったためにすっかり遅くなってしまったけれど、結局思い出すことはできないままだ。善法寺くんの反応が気になったのもあり訊いてみれば、今度は穏やかに笑って答えてくれた。

「気を失う前に、少しだけまだ意識があったんだ。そのときにどうして天女様を庇ったのか訊いたら、君は『代わりに守らなきゃ』って」
「代わりに……」
「誰の代わりかと思ったけど、留三郎のことだったんだね。そんな勘違いがあったなら尚更無事でよかったよ」

食満くんとのことを私はまだ誰にも言っていないから、きっと食満くんから聞いたのだと思う。いつの間にと驚く私はどう反応していいか分からず、ただ心配してくれたことへの申し訳ない思いに苦笑いのようなものを浮かべる羽目になっていた。
「本当によかったと思ってるんだ」善法寺くんは私の反応に何も言わず、ただ言葉を続ける。その表情は穏やかだったけれど、いつの間にか笑顔でなく困ったような表情に安心を滲ませたものになっていた。

「君がもし目を覚まさなかったら、きっと留三郎は駄目になっていた」
「……駄目?」
「留三郎は篠崎さんのことを本当に大切に思ってるから。もし君が目を覚まさなかったり、今後の生活に支障が残るような怪我をしていたら、天女様への怒りや喪失感で卒業しても忍者にはなれなかったかもしれない」
「……そんなに?」
「そう、そんなに君のことが好きなんだよ」

食満くんは立派なひとだ。六年生まで進級して、鉄双節棍が得意で、勿論他の戦い方や兵法だって学んでいる。手先の器用さは忍びとしての働きにも関係してくるし、面倒見のよさもひととの関わりでは相手の警戒を緩めるかもしれない。少し熱くなりやすいけれど、真面目な彼は忍務において私情を挟んだりはしないと思う。
なのに、そんな食満くんが、私のことで忍びになれなくなったかもしれないなんて。さすがに誇張しすぎだろうと思ったけれど、善法寺くんは冗談を言っているようにも見えない。そしてそれが本当だったとしたら、それはとっても嬉しいことだと、私は思ってしまった。

「きっとこれからも留三郎は君のことを大切にするし、心配するだろうから。留三郎のために、君はちゃんと君自身のことも守ってあげてね」

私は頷く。私が原因で、彼の今まで学んできたものを無駄にさせるわけにはいかない。食満くんの為ならば自分の身くらい差し出せるけれど、本当に善法寺くんの言う通りだったなら自分をないがしろにするわけにはいかない。卒業までにもっと学んで強くならなければと心に決めた。
「伊作」開いている戸から聞こえた声に、私は振り返る。衝立の向こうにいるのは聞き間違える筈もなく、食満くんだろう。

「おかえり。天女様は見つかった?」
「何処にもいねぇ。文次郎たちが探しているが無駄だろうな。咲子は無事か?」
「ちゃんといるよ。怪我ももう大丈夫だから、医務室から出てもいい」

善法寺くんの視線に促されて私は立ち上がる。食満くんの姿が見えて、私は鼓動が速くなるのを感じた。善法寺くんにお礼を言えば、「もし何かあったらいつでも来てね」笑顔で返される。
食満くんの傍に寄れば「もういいのか?」心配そうな目を向けられる。勿論と頷けば見られた安堵の表情に、私は頬が緩むのを感じた。

「あのね、食満くん」
「なんだ?」
「私、いっとう、食満くんが好きよ」

驚いて見開かれる目も照れたように赤くなる頬も、全部が好きだと思う。それから返される言葉は少し恥ずかしいけれど、どれも本当なんだともう分かっている。きっとこれからも、信じていられる。

そういえば天女様は言っていた。結局天女様が何者なのかよく分からなかったけれど、その言葉ばかりは本当だったと思う。全部うまくいく、そんな予言の通りに。



end





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