天女様のお願い

「……俺のことが好きだから、天女を守ったのか」

本人の口から言われると、さすがにこわい。私は頷いたけれど、もう視線を上げることはできなかった。嫌悪を顔に出すようなひとではないけれど、困った顔をさせてしまっていても逃げ出したくなるからだ。黙っていると心臓の音が速くなっているのが分かる。このまま壊れてしまいそうでこわい。食満くんの言葉を聞くのなら壊れてしまった方が楽かもしれないと思いながらも、やっぱりちゃんと聞きたかった。受け入れられないとは分かっている。けれど食満くんの口から言われなければ想いに区切りをつける覚悟が持てなかった。

「なら、本当に、庇う必要なんてなかったのに」

食満くんの手にほんの少し力が籠められるのを感じて、まだ手を握られたままだったと思い出す。大きい手。離していないことに気付いてないのだろうか。もう少しだけ、この温もりを覚えていられるようにと私は口をつぐんだまま思う。

「咲子は勘違いをしている。俺が好きなのは、天女なんかじゃない」
「……え?」

勘違い。好きなひとは天女様じゃない。思わず顔を上げてしまう。そうして見えてしまった食満くんの顔に浮かんでいるのは、困惑でも嫌悪でもなかった。私を真っ直ぐに見る目は、また別の勘違いをしてしまいそうな言葉を紡ぐ口元は、きっと間違いなく、優しい笑顔だった。
続きが聞きたい。期待してしまう前に。そう思っている時点でもう期待してしまっているとは理解せず、私は食満くんの言葉を待った。

「俺が好きなのは」

食満くんが想い人の名前を零す、そのときだった。
戸が開き、薄暗い用具倉庫に光が差し込む。うふふと笑う声が響く。聞き覚えのある衣ずれの音と足音。あと少しのところを邪魔したのは、まごうことなく、天女様だった。
食満くんが苛立たしげな表情を作る。その表情は本当に怒ったときに見せるものだと、ずっと彼を見ていた私は理解する。対する天女様はにっこりと笑っていた。

「咲子、探したわぁ」

食満くんのことなんて気に介していないように、天女様は私の名前を呼ぶ。天女様、と彼女を呼べば、まだ握られたままの手にまた力が籠った。

「あんたと一緒に行きたいところがあるの。来てくれるわよねぇ」

天女様の言葉に首を傾げようとして、その前に食満くんが動く。私を庇うように背に隠して「させるか」声を張り上げた。

「お前なんぞに連れて行かせるものか。咲子は俺が守る、死んでも離さん」

私を背に回しても離されない手はきっと動きを制限するだろうに、言葉に込めた覚悟を表すように痛いくらいに握られたままだった。
自惚れてもいいのだろうか。食満くんの口から名前を聞くことは出来なかったけれど、天女様が来なければ紡がれた名前は私のものだったと思ってもいいのだろうか。
顔に熱が集まる。握られた手を握り返せば、食満くんの肩がほんの少しだけ跳ねた。
食満くんの背中からそっと顔を出し、天女様を見る。天女様はいつも通りに微笑んで私を見つめていた。学園長に世話係を命じられてから、天女様の願いを断ることはしなかった。けれど、それはあくまでも世話係だったからだ。

「すみません、天女様。私、今、世話係から外れているのでご一緒はできません」

善法寺くんの言葉を思い出して、私は答える。
天女様は残念ねぇと呟いたけれど、やっぱり綺麗に笑ったままだった。





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