人間について

「分かってるのか?」

そう伊作に訊いたのは、彼と同じ狼だった。伊作は耳を伏せ、顔を背ける。けれどそこから走り去らなかったのは、逃げても無駄だと悟っていたのか。逃げられないわけじゃなく、いつまでも逃げていられないからと。

「人間は敵で、獲物でしかないんだぞ」

それに伊作は分かっていた。群れの中でも若い方で優しいばかりでないこの狼は、素直じゃないだけで伊作を心配しているのだ。いつか殺されるかもしれない。いつか殺さなければならない。だから情を持つべきじゃないと、そう心配しているのだと、分かっていた。

「……それでも、僕は」

伊作は首を振る。
理性が弱い方だとは、自覚していた。食べてしまいたいと思ったことも何度もあった。だけれど、それを気にしないかのように振る舞う彼女が好きだった。その女の子を守ろうと銃を構える彼も、罠に掛かったときや腹を空かせたときに助けてくれた。仕方ないなと笑う面倒見の良い彼が好きだった。
優しい二人が、直子が留三郎が好きだ。だから、仲良くしていたいと願うことをやめられなかった。

狼は溜め息を吐く。じっと伊作の背中を見て、そしてその場を離れていった。残された伊作は地面に目を落とし、耳を揺らすと、聞き慣れた音のした方へ駆けていく。優しい声が、そこにある。




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