しらないくうき

放課後の教室は夕焼けで赤く染まっている。その真ん中で日誌を書く憐ちゃんの座っている席は三郎のものだ。その前にある僕の席には三郎が腰掛けていて、憐ちゃんの字をただ眺めているようだった。ついでに八左ヱ門は生物委員会で世話してる鶏が逃げ出したとかで駆り出されてまだ帰ってきていないんだろう。図書室に本を返してきた僕は、開けっ放しだったドアから中を覗いている。夕焼けのせいかいつもと違う雰囲気に見えるふたりに声を掛けるタイミングを見失ってしまっていた。

「……憐、今日で何年だ?」
「四年と、五ヶ月」
「なら、あと一月か」
「うん」

ぽつりと、三郎が呟く。それに対する憐ちゃんの答えも端的なもので、短い言葉のやりとりだ。短いけれどぶっきらぼうなわけじゃなく、やわらかな空気に包まれた言葉。ふたりの間にたまに現れる、僕の知らない空気だった。
一体何の話だろう、四年と五ヶ月前に何かあったっけ。そう記憶を遡ろうとする僕を止めたのは、「ところで雷蔵」三郎の声だった。

「いつまでそこにいるんだ?」
「あ、えっと……気付いてたんだ」
「まぁ、戻ってきたら私たちが何か話しているものだから声を掛けていいのか悪いのかと悩み始めていたんだろう?その程度のことなら簡単に予想がつくさ」

打って変わって明るい声を出す三郎に、僕は苦笑しながらゆっくりと足を進めた。席を返そうとする三郎を押し留め、ふたりの近くの椅子を引いてそこに座れば、にやにやと笑う三郎の顔がこちらを見ている。何か聞きたいことがあるんだろうと問い掛けてくるその顔に、どうして分かるのかと不思議に思う。それでも三郎は質問を拒絶していないのだから、僕は最初の疑問をそのまま声に乗せることにした。

「えっと……何の話、してたの?」
「大したことじゃないさ。なぁ、憐」
「うん、そうね」

三郎は笑っているし、憐ちゃんの声もいつもの調子だ。だけれど何処か違和感があるのは、あの空気を見てしまっていたからだろうか。
丁度日誌を書き終わるところだったらしく、句点を打った憐ちゃんは、ゆっくりと顔を上げた。そこに浮かぶ綺麗な微笑みに、思わずどきりとする。いつも見る幸せそうな笑顔なのに、何故だかとてもつらそうにも見えた。

「大したことじゃないの。ずっと続けてる食満先輩への告白、その期限の話だよ」

そして彼女の口から紡がれる言葉は、僕に強い衝撃を与えた。え、と僕は思わず声を零す。憐ちゃんの告白は中等部の一年から続けられていた。彼女はずっと食満先輩への恋を語っていて、今はまだ振り向いてもらえないらしいけど、そのひたむきな想いはいつかきっと報われるのだろうと思っていたのに。
ショックを受ける僕に首を傾げる憐ちゃんも、僕の思いに気付いてるだろう三郎も、けっして冗談だと笑ってはくれなかった。




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