隣の席の気になるひと

親の事情で転校してきた私に、一番最初に優しくしてくれたのは隣の席の不破雷蔵くんだった。教科書を見せてくれたり、購買部の場所を教えてくれたり、にこにこと笑顔を浮かべながら丁寧に接してくれたのだ。そんな彼に淡い恋心を抱くことになるのはそう遠くない話で、1ヶ月もする頃には私は不破くんのことばかり考えるようになっていた。
しかし時間の流れは残酷なもので、2ヶ月に一回行うらしい席替えがやってきた。また隣になれる可能性は低いだろう、そう諦めながら引いたくじは、やっぱり不破くんの隣の番号ではなかった。

「なんだ、私の隣が不服なのか?」

溜め息を吐いたのに気付かれたのだろう。そうじゃないの、と言おうとして顔を上げたその先には、不破くんとよく似た顔。けれど表情は不破くんが浮かべることはないだろう不機嫌を装ったものだった。装ってるだけで、実際には声を掛けてきたのだからそこまで気にしていないと判断して、私は苦笑しつつも首を振った。

「そういうわけじゃないよ、鉢屋くん」
「いや、どうだろうな。私はみょうじに嫌われているのかもしれない」
「嫌う理由がないんだけど」
「どうせ同じ顔なら雷蔵がよかったと思っているかもしれない」
「……まさかそんな」

一瞬、思わないでもなかったけれど、それは鉢屋くんが嫌いだという理由じゃない。それでも否定するまでのほんの少しの空白を、鉢屋くんが見逃すことはしなかった。にんまり、表情を一変させて意地悪そうに笑う。

「否定するのに時間がかかったということは図星だな」
「それは鉢屋くんが突拍子もないことを言うからで……」
「隠さなくてもいいさ。正直に言うといい、みょうじは私が嫌い……ではないけれど雷蔵が好き、と」
「え?!」

どうしてばれた、いやばればれだったということか。声を上げたけれど否定ができなかった私の反応は、鉢屋くんの考えを肯定することになってしまったようだ。鉢屋くんは更に楽しそうに肩を震わせていて、私は今後どうしようかと考える。黙っていてくれるかは分からないが、とりあえず買ったばかりの飴を口止め料として差し出してみることにした。

「賄賂のつもりなのか?」
「このことはどうかご内密に……」
「ははは。本当に、分かりやすいな」

笑いながらも受け取り、ありがとう、と予想外のことを鉢屋くんは口にした。心配しなくとも他言はしないと言う鉢屋くんにほっと胸を撫で下ろす。意地悪だけれどやっぱり悪いひとではないんだよなぁ、とは、短い付き合いの中で知ったことだ。
鉢屋くんとは不破くんを通して会話を交わすようになった。というか、鉢屋くんが休み時間の殆どで不破くんのもとを訪れていたから、それも当然だったと思う。ふたりは仲良しなんだなぁ、と考えていると、少し遠い席から不破くんがこちらへ来るのが見えた。用があるのは鉢屋くんにだと分かっていても、思わずどきどきしてしまう。

「三郎」
「どうしたんだ雷蔵。君なら来るなんて珍しい」
「三郎がみょうじさんに迷惑掛けてるみたいだからだよ。みょうじさん、三郎が失礼なことをしたら無視してもいいからね」
「あはは」

優しい不破くんがこういうことを言うのは鉢屋くんに関してだけだ。気を許しているというか、本当に仲良しだからこそだろう。ちょっとばかり羨ましい。私はふたりの邪魔をしないでおこうと思いつつ、やっぱり気になるので意識はふたりの方へ向けたまま机の中を整理することにした。

「雷蔵ってば、素直じゃないな。私と仲良さそうにしているみょうじに嫉妬したと正直に言ってもいいのに」
「馬鹿言うなよ。むしろ嫉妬するなら三郎に、って、あ、いやそうじゃなくて」
「うん?何だって?」
「だから、その……」

ちらちらと送られる視線にはどうしていいのか、一度振り返ると不破くんが慌てた様子を見せてからいつもみたいに優しい笑顔を向けてくれる。やっぱり素敵だなぁと私も笑えば、鉢屋くんのにやにやとした笑みも目に入って、若干の不安を抱いた。本当に秘密にしてくれるのかなと心配になるけれど、嘘を吐くような人じゃないよね多分、と自分に言い聞かせてもやもやする気持ちを振り払う。

「隣になったのも何かの縁だ、そんな教科書を出したり仕舞ったりしてないで、私たちに面白い話でもしたらどうだ?」
「無茶ぶりすぎるよ鉢屋くん」
「仕方ないな、じゃあ好みのタイプとかでもいいぞ」
「こら、三郎!」
「おっとすまない。じゃあ、雷蔵は何が訊きたい?」
「え。……ええと、うーん、そうだなぁ……」

ああ、不破くんが悩み出した。一度悩むと暫く続くから、きっとこの休み時間はそれで終わってしまうだろう。鉢屋くんは楽しそうにそれを眺めて、それから私に視線を寄越した。じっと見られて、一体どうしたのかと焦ってしまう。訊いても答えてはくれなくて、代わりに「なぁ、」ぽつりと小声が零れた。

「悩んでちっとも進まないなら、その隙に貰ってしまうのもありだとは思わないか?」
「……えっと?」

鉢屋くんの言葉の意味がよく分からなくて私は首を傾げる。けれど鉢屋くんはそれ以上何も言わずに笑うだけで、もうすぐチャイムが鳴るからと不破くんを座席に促した。思考を中断させた不破くんは私にも手を振ってくれて、私が振り返せばまた優しい笑顔をくれる。
チャイムの音とともに皆がばたばたと席についていき、不破くんの姿が誰かの姿で見えなくなる。その間に隣を見れば、鉢屋くんは私が差し出した飴の包みを開けていた。もう授業なのに、と注意すべきか悩む私の視線に気付いたのか、鉢屋くんが振り向いて笑う。それを見てると、まぁいいか、なんて思ってしまった。

「みょうじ」
「なぁに、鉢屋くん」
「これから宜しくな、色々と」

色々と、ってところが少し気になるけれど、私はよろしくねと言葉を返す。そうやって見た鉢屋くんはいつもの意地悪そうな顔ではなくて、不破くんのように優しい笑顔をしていた。


   

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