少年 Κ の願望

幸せそうだね、と伊作が呆れたように笑う。俺の顔はよっぽど緩んでいたらしい。そりゃあ幸せだ。だがそう答えたら困った顔をするだろうから、そうか?なんて首を傾げてみせる。それでも誤魔化しきれてはいないだろうが。
だが本当に幸せだと感じているのだから、仕方がない。女々しくも財布に入れたままの映画の半券や、携帯電話に取り付けたストラップを見る度に頬が緩んでいるのは自覚している。何でもないとき、ふと思い出して間の抜けた顔をしていることも、自覚してる以上にある筈だ。

「本当に、よかったね」
「ああ。お前のお陰だな」
「そんなことないよ」

いつも相談に乗ってくれていた伊作は謙遜するが、きっと俺の知らないところで応援もしてくれていただろう。今更ながらに思い返せば、不自然な言動に動かされていたこともあった。それがなければみょうじと今の関係は築けていないだろう。本当にいい親友を持ったものだと、つくづく思う。

「あ。僕そろそろ行かないと。図書室も閉める頃じゃない?」
「おう。じゃあ、また明日な」
「うん、また明日」

今度何か奢ることにしよう。話していた伊作とは途中の階段で別れ、俺は図書室へと向かう。普段立ち寄ることのないそこはそれでも大切な場所だ。みょうじと出会って、会話して、名前を知った場所。
そこにみょうじを迎えに行く。入ってきた俺を見てはにかむ姿が、俺はいっとう好きだった。





帰り道に話すことは他愛ない話ばかりだった。それでも俺の知らない間に起こった出来事なんかを聞くと、少しでもみょうじのことを知れた気がして面白い。そこに一緒にいられたらなと思わないでもないが、そう言ってしまうのは格好悪い気がして口にすることはない。恋人の前でいい格好をしたいと思うのは、仕方がないだろう。
食満先輩、と呼ばれて俺はなんだと聞き返す。俺の目を見て、恥ずかしそうに一度逸らしたみょうじは、躊躇いがちに口を開いた。

「あの、映画、観に行きませんか」
「いいな。何が観たいんだ?」
「食満先輩の観たいものがいいです」
「……いいんだぞ、遠慮しなくて」

勿論断る筈もなく、俺は頷く。映画だろうと何だろうと、みょうじの行きたいところには何処だって連れていってやりたい。だというのにみょうじは俺の希望を聞く。俺の観たいものじゃあ楽しめないかもしれないというのに。気を遣ってくれるのは嬉しいが、みょうじに退屈な思いはさせたくなかった。
しかしみょうじは、ぶんぶんと首を振る。そしてさっきよりはっきりした声で「遠慮じゃ、ありません」そう否定した。それからもっと躊躇うように、小さな声で続ける。

「私、その……先輩がどんな映画が好きなのか、知りたいんです」

顔を真っ赤にするみょうじは、どうしてこうも俺を嬉しくさせるのか。俺は緩んでしまう口許を手で隠し、心を落ち着けようとする。しかしまた何か誤解をさせてしまったらしく、みょうじが「あっ、映画じゃなくても、先輩の行きたいところなら何処でもいいんですけど……!」と慌てた様子を見せるから、俺は一層緩んでしまいそうな顔をどうにか押さえつけた。
今回は、みょうじの言葉に甘えようか。俺がみょうじのことを知りたいと思うように、みょうじもそう思ってくれているなら。望む場所へ連れていってやりたいと思うように、みょうじもそう思ってくれているのなら、素直にそれを受け止めよう。

「じゃあ、洋画の、アクションもの。今よく宣伝やってるだろ?」
「あ、はい」
「あれが今一番観たいやつ。……それでもいいか?」

確認すれば「勿論です」と微笑むみょうじに、緩む頬を抑えられる筈もなかった。けれど誤魔化そうとするのはやめる。あんまり情けない顔を見せるのは格好悪いと思ったが、誤解させてしまうよりはずっといい。
早くこの幸せに慣れなければ何度も見せることになるが、まだまだ慣れることなどなさそうだ。みょうじと一緒に歩くだけで未だに鼓動が速くなる。それもまた心地いいと感じるのだから、もうどうしようもない。

「その次は、みょうじの行きたいところだからな」
「えっ」
「ちゃんと考えておけよ」
「でも……」

俺が言えば遠慮するから、俺は聞こえない振りをしてみょうじの手を取った。途端に言葉に詰まるみょうじに「何か言ったか?」訊けば、何も言わずに首を振る。そうやって照れるくせに手を離そうとはしないからまた可愛いと思うのだ。
こんな風にみょうじと共に歩けることは、やはり幸せだと思う。そしてこの幸福は少しずつ形を変えながらいつまでも続くんだろう。手離す気なんて更々なかった。握り返される手をもう一度しっかり握って、俺は笑う。みょうじも、困ったようにしながらも、顔を綻ばせた。


   

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