食卓に捧ぐ

「腹が減った」と小平太が言ったから、私は慣れない台所に立っている。小平太の家じゃない、勿論私の家でもない。長次の家の、台所だった。

「長次ー、調味料使ってもいい?」
「何でも使えばいい」
「さっすが長次、男前」

最初は小平太の家にいたのだ。ふたりでゲームをしたり映画を観たり、アウトドア派の小平太と一緒にしては珍しく家でごろごろしていた。その中で小平太の「腹が減った」発言があり、しかも手料理がいいと駄々を捏ね、しかし小平太の家には食材どころか調理器具さえ揃ってなく、仕方ないので長次に頼んで買い物の後で寄らせてもらい、台所を貸してもらったのだった。

「……手伝うか?」
「何から何まで助かります」

綺麗にされている台所を貸してくれるだけでも感謝なのに、フライパンや鍋の在処を教えてくれ、調味料や冷蔵庫の中身にまで使用許可をくれるだなんて神か仏か。そして更なる長次の申し出に、しかし私は遠慮なく頷く。私よりも料理が上手い長次が手伝ってくれるとなれば、小平太も満足するだろう。
さて食材を切るかと包丁を出そうとしたときに、ずしりと背中に覚えのある重み。危ないでしょうと文句を言おうと思えば、それを遮るように小平太の声がした。

「なまえ、何を作ってくれるんだ?」
「買い物のときにリクエストしたのは小平太でしょうが。危ないからあっち行ってて」
「暇だ!」

後ろから抱き着く、というよりのし掛かっている小平太の言葉に、私は溜め息が吐きたくなる。私も長次も台所にいるものだから相手をするひとがいなくて暇なのだろう、小平太は案外寂しがり屋だから。小平太の為に此処にいるのだけれど、というのは置いておくことにして、構いたくてもこうして引っ付かれては料理は難しい。大人しく見ているのも小平太には不可能だろう。しかし料理をしないとなればそれはそれで喧しい、というか本末転倒だ。

「……長次、やっぱり小平太をお願い」
「……分かった」

長次も分かったのだろう、頷くと、私から小平太を引き剥がして台所から離れていった。それを見送りつつ安堵から息を吐くと、さてやるかと意気込んだ。作るからには、美味しいと言ってもらいたい。





「いただきます!」
「……いただきます」

二品三品、小平太のリクエストを拵えるとそれを本人に運んでもらう。目を輝かせる小平太とその摘まみ食いを窘める長次に苦笑しながら二人分の茶碗にご飯をてんこ盛りにすると、先に食べ始めてもらった。別に目の前で評価されるのが怖いわけじゃ……なくはない、が、一番の理由はまだ料理の最中だからだ。
小平太のリクエストを全部叶えるのはなかなか大変で、待っていたら先に作ったものが冷めてしまう。それは出来れば避けたいし小平太の我慢も限界だろう。こういうとき長次なら上手くやるのかなぁと思わないでもないけれど、考えるのは後にしようと手を動かし続けた。
料理を作って、合間に洗い物をして、そんな最中だった。小平太の「美味い!」が聞こえてきたのは。

「なまえ、美味いぞ!ほんとに美味い!」
「わ、分かったから静かに!」
「な、美味いよな、長次」
「ああ」

美味い美味いと言ってくれるのは嬉しいが、こうも連呼されると気恥ずかしい。お世辞とはいえ長次まで同意するものだから余計にだ。だからなるべく聞かないように洗い物へ集中しようとしていると、そんな努力など無効にしてしまう言葉が耳に飛び込んできた。

「いつかこれが毎日食べれる私は幸せものだろう!」

それって、まさか。私は衝撃のあまり包丁を落としそうになり、慌てて握り直す。危ない。近くにいると危ないくせに遠くにいても危害を加えられそうになるなんて。少々逆恨みをしつつ、けれど私は顔に熱が集まるのを感じていた。きっと大した意味なんてないのだと、深く考えているわけではないのだと、そう分かっていても考えるのをやめられない。小平太のために毎日料理をする。きっと物凄く大変だけれど、とてつもなく幸せだろうとも思うのだ。
私は深呼吸をして何とか落ち着くと、まず料理中に抱き着いてくるのは絶対にやめさせようと心に誓った。それから料理の練習をしよう、とも。長次は教えてくれるだろうか、と考えてまた恥ずかしくなってきたから、最後にひとつ、「好き嫌いは許さないから」と私は小さく声にしたのだった。


   

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