手をのばしたら

私の苦手なもの。
羽虫、雷の鳴る夜、話を聞かない人。

「先輩、教室が雨漏りしてるんです」

……それから後輩のこの言葉。



重いわ、と溜め息を吐きつつ用具委員がいるだろう用具倉庫へと向かう。重いのは腕に抱えた忍具じゃなく、気の方だけれど。ついでだからと預かった忍具を用具倉庫へ返して、それから雨漏りの修理を頼んで。ああ気が重い。けれど仕方がない、雨漏りを直すためには彼らに頼まなくてはならないし、それを見届けるのは上級生の役目なのだ。くのたまの地に忍たまを入れることで、万が一にも問題が起こってはならないのだから。

ああ、それでもやっぱり気が重い。
それと同時に、僅かに期待もしていた。



「失礼します」

用具倉庫を訪れるときは、今でもとても緊張する。声を掛けてから中を覗き込むと、最高学年のそれよりも薄い若葉の色。……三年ろ組の富松くんだ。
彼がいないことにほっと胸を撫で下ろし、けれど若干残念に思いながら、此処を訪れた用のひとつを済まそうと足元に置いていた箱を持ち上げた。

「授業で借りた忍具を返しにきたの。点検してもらえる?」
「はいっ!すぐ終わらすんで、待っててくだせえ」
「ゆっくりでいいから、指を切らないようにね」

言葉がつまることなく富松くんと話せるようになったのは、それだけ対面する機会が多かったからだろう。忍たまくのたま問わず上手く交流の出来ない私は、回を重ねなければ会話も上手くいかない。忍務となれば話は別なのだけれど、まったくくのいちとして致命的じゃないだろうか。
そんな憂鬱は微笑みで隠して、私は富松くんの作業を待つ。ゆっくりやってほしいのは本心だけれど、そうしているうちに彼が来るんじゃないかと不安にも思う。
彼は、苦手だ。何度回数を重ねたって、挨拶もまともに口に出来ない。その原因は分かっている。それもまたくのいちとして失格だろうことも、分かっている。

「あ、なまえ」
「……っ、け、食満くん」

ああ、来てしまった。気配には気付いていたのにやはりどもってしまった私は、それを取り繕うように笑顔を作って会釈をする。こんにちは、それに対して彼もまた笑いながら応えた。

「今日はどうしたんだ?」
「え、っと……」
「授業で使った忍具の返却です。……よね?」

言葉を探していると助け船を出してくれた富松くんに、ええその通りと頷く。けれどそれだけじゃないのを思い出して、私は頭の中で何度か繰り返してから彼に向き合った。

「それと、くのたまの教室が雨漏りしているから、修繕してもらいたいの」

よかった言えた、そう喜びそうになるのをぐっと堪えて、彼の答えを待つ。勿論用具委員長である彼が断ることもなく、「分かった、準備をするから待っててくれ」そう返された言葉に私は頷いて、気付かれないように息を吐いた。
赤面していないかしら、彼を見つめてしまわないように私は目を伏せる。凛々しい顔も優しい笑みも必要以上に私の心を浮き立たせるから、やっぱり彼との対面は苦手だった。





くのたまの教室に向かう足取りはいつもより軽い。滅多に近寄れないそこに足を踏み入れることを躊躇する作兵衛たちを気に掛けながら、俺はなまえの背中を見つめる。背筋を伸ばし音もなく歩く姿はさすがくのたまと言うべきか、それとも彼女が特別なのか、百合と例えるに相応しいものだ。
こうして不躾な視線を送っているというのに振り返ることもしないなまえは俺に興味なんてないのだろう。実に残念だが、もう数え切れないほど経験していた。いつだってなまえは俺を見ないし、見たとしても用が終わればすぐに逸らされる。まったく口惜しいことだ。
それでもなまえは忍たまの後輩にも優しいし、たまに見せる笑顔も俺の心を捕らえて離さない。色に溺れていると言われても否定できないほどに、俺は彼女ばかりを見ていた。

「此処の真上、なのだけど」
「あ、ああ。……すぐ終わらせる」

教室の中から雨漏りをしている箇所を確認し、次に屋根の様子を見る。この程度なら本当に早く終わりそうだと判断し、だが一応のことを考えて作兵衛たちには補佐を任せて俺が修理することにした。
屋根に登れば、なまえが後に続いてくる。くのたま上級生として忍たまが不審な動きをしないように見張っているのだろうが、それでもその目を向けてくれるのが単純に嬉しい。修理自体はやはり簡単で滞りなく終わったために、その時間は短いものだったが。

「なぁ、なまえ」
「……なぁに?」
「……いや、何でもない。気にしないでくれ」

何か話でもと思ったが、そんなことをして呆れられるのも憚られる。口をつぐんで作業を行い、終わったぜと伝えれば、なまえが礼を言った。こちらこそと言いたいくらいだったがなまえが困るだけなので止そう。
屋根から降りれば「皆もおつかれさま。ありがとうね」作兵衛たちを労うなまえに、その微笑みを俺にも向けてくれたらなと気付かれないよう息を吐いた。





嫌われてるのかしら、と呟いたのは無意識だろうか。あまりに唐突だったから反応に困る俺に、なまえ先輩は平然とした声で「おつかれさま」と労ってくれたから、その真偽は分からないままだ。
けれどふたりの様子から見るに、今日も何の進展もなかったらしい。ちょっとふたりきりになったくらいじゃ意味もないのかと思わず盛大な息を吐いてしまう。それから慌てて口を閉じて、食満先輩に不審がられてないかを確認。よし、なまえ先輩しか見えてなさそうだ。いやあんまりよくもねぇけど。

「じゃあな、なまえ」
「え、ええ。その……ありがとう、ね」

くのたまの敷地の外まで送ってくれる間もふたりは辿々しかった。鈍い部類の人たちじゃないのに、どうしてこうも互いの想いには鈍感なんだろうか。両想いなんだから、いいかげんどっちかが素直に伝えてくれりゃあいいのに。「仲良しだねぇ」と笑いあう一年生たちにも分かっていることだってのに、まったくじれったいふたりだった。


   

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