ありふれたはなし 一日の授業が終わった。今日は町に行く予定もないし、友人は体調を崩して休んだ実習の補習で学園にいない。どうしようかと考えて、すぐに浮かぶひとりの姿。 (忍たまの四年生ももう終わってるかしら) どきどきと主張を始める胸の鼓動に、私はいつもの場所へと向かって歩きだした。 あの場所まで距離はさほどない。けれどその道中にも紫はいるものだから、そのひとりひとりに視線が行ってしまう。 一年生を引き止めてぐだぐだ喋るのは滝夜叉丸。くのたまに囲まれてるのはタカ丸さん。見かけた穴には穴掘り小僧の喜八郎。違う違う、彼らじゃない。 結局彼を見つけられなかったまま、目的地である用具倉庫の傍へ辿り着いた。ここに居なければどうしよう、そんなことを考え、確かめなければどうしようもこうしようもないかと振り払う。 最高潮に近付く鼓動を感じながら、身を隠して様子を窺ってみれば、そこにようやく、お目当ての姿が。 「三木!」 思わず掛けた声は大きくて、三木ヱ門の背中がびくりと跳ねる。それから振り返る三木ヱ門は私を認めると仕方がなさそうに息を吐いた。 「また来たのか」 「うん。今からユリコちゃんのお手入れ?手伝ってもいい?」 「物好きだな、なまえは」 別にいいぞと言われて、私は軽い足取りで三木ヱ門へと近付いていく。突然やって来て大切な火器の手入れに水を差しても、それでも苦笑ひとつで許してくれる三木ヱ門は、すごく優しい。 「でね、あの子『食べ過ぎたかしら』って笑ってるの。具合が悪いなら医務室に行けって言ったのに……それで、」 ユリコちゃんの砲身を磨く。細かなところや危険なところは三木ヱ門が触らせようとしないから、きっとちっとも役に立っていないのだろうけど、三木ヱ門はこうして一緒にいさせてくれる。そのことに気分が高揚してしまっているからだろうか。はたと気がつくと私ばかりが話をしていた。 本当は三木ヱ門に火器について語ってもらってもいいのに、三木ヱ門の話を聞こうとしていた筈なのに、知らないうちにいつもこうなっているのだ。 というか、三木ヱ門は殆ど喋っていない。時折相槌を打ちながら、ユリコちゃんをまっすぐに見つめて、綺麗にしようとする手は止めない。それはとても素敵な姿で正しいことなのだけれど、だからこそうるさくしちゃって迷惑なんじゃないか、と。今更、本当に今更気が付いた私は、次に繰り出そうとした言葉がつっかえてしまった。 黙っている方が、いいかしら。その方が手入れにも集中できるだろうし、ただでさえ押し掛けてきたのだからあんまり迷惑にならない方がいい、だろうし。けれど三木ヱ門と話をしたいと思うのも、本心なのだ。 「どうかしたのか?」 考え始めると、三木ヱ門がそう訊いてきた。その手が止まっていて、訝しむような顔を向けてくる。慌てて何でもないのと誤魔化そうかと思ったけれど、それで誤魔化されてくれるほど単純じゃないことは知っていた。 だから私はへらりと笑いながらも思ったことをそのまま話すことにしたのだ。 「ん、その、ね。話してたら迷惑かと思って」 「は?……ああ、なんだ今更」 呆れるような口振りに、けれど三木ヱ門の表情は柔らかい。私を映す瞳はすぐにユリコちゃんへ戻ってしまったけれどその表情はそのままだった。 ユリコちゃんへ向けるのと同じ類いの表情が向けられたことに驚いて、驚き以外の感情も併せてどきどきが再発する。せっかく治まってきた筈なのに、ああもう、三木ヱ門に聞こえちゃったらどうしよう。 「迷惑になると思ったら最初から断るし、ぺちゃくちゃとうるさいのが嫌なら話の途中でも帰らせるさ」 三木ヱ門は私の混乱に気付かないまま、そう言葉を紡いだ。ほうと一安心して私はその言葉を考える。 三木ヱ門なら確かにそうするだろう。三木ヱ門は優しいけれど、火器に関することだと容赦はない。だから迷惑だったなら砲口を向けてでも私を帰らせる筈だ。 今更か、確かにその通り。そしてそれを許容してくれていたのも、やっぱりその通りなのだろう。 天にも昇りそうなほど浮かれる私は、そしてこの後とどめを刺さんばかりの言葉に鼓動が最高潮に達するのだ。 「それに、別になまえの声は、嫌いじゃないし」 三木ヱ門が、ユリコちゃんを見つめていてよかった。 私は顔に熱が集まるのを感じ、「そっか」意味のない音で誤魔化しながらその嬉しさを噛み締める。別に私のことを総じて言ったわけじゃない、嫌いじゃないが好きだということでもない。けれど三木ヱ門に嫌がられていないことが分かって、何より安心できるのだ。 「ほら、続きは?」 「……えっとね、それで体調を崩しちゃったから実習に参加できなくて、今日は補習を受けに行ってるの。お馬鹿でしょ?」 火器が好きで、その手入れを一緒にさせてくれて。私の話を聞いてくれて、相槌をくれて、続きを促してくれて。 たまに分かりづらいけれど、本当に、とても優しいひと。 目次 ×
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