02

新入生の身だからと小平太には後で連絡を取ると言い残し校門を過ぎれば、少し先で待っていた千鶴は唇を尖らせて「遅いわよ文次郎」単純な文句を口にした。

「何してたのよ。さっきの、誰?」
「……ここの教師だ。知り合いでな」

やはり思い出さないか。かつての彼女の言葉を思い出し、文次郎は悟られぬように息を吐く。

潮江文次郎には記憶がある。いわゆる前世というものだ。過去五回分の人生の、生まれてから死ぬまでの記憶。それは鮮明なものではなくスライドに写る映像を眺めているようなどこか自身と切り離されたものであったが、けれど確かに自身の過去なのだと理解していた。
前回の生では前世などというものを信じていなかったが自分という人間はいつもこうだったらしい。記憶があったりなかったり、思い出す度に記憶のない過去を悔やんでいた。記憶があればもっと上手くやれたものをと後悔に苛まれていた。彼は元来真面目すぎるほど真面目で、自分に厳しい人間である。

「ふぅん……?」

だから文次郎は、隣に立つ女がかつて共に忍の道を学んだ者であり、ひとつ前の世で共に死んだ内村千鶴であることを、自分の咎ではないかと思っていた。彼女を幸せにすることが自身に課せられた贖罪なのではないかと、思っていた。

「……それより、文次郎と呼ぶのはやめろと言っているだろう」
「やだ思春期?そんなキャラじゃないでしょう」
「違う、それに違和感があると言ったのはお前だ」
「ええ?」

文次郎は記憶の何処かがぎりぎりと締められるのを感じながら、何でもないといった表情を動かさない。その程度のこと、様々な時代を生きた記憶のある文次郎には容易いことだった。
対する千鶴は、訝しげな顔で首を傾げる。その表情は文次郎の記憶にある千鶴よりも何処か幼く、しかし今年十六となるその身においては本来の年相応というべきなのだろう。

「私、今までずっと文次郎って呼んできたじゃない」

嗚呼。文次郎はほんの一瞬、固く目を閉じる。
何度も確認したことだ。今世の千鶴には、今までの記憶は残っていない。

「それより文次郎、同じクラスみたいよ」
「……またか」
「文次郎と一緒だと宿題とか楽でいいわー」

文次郎が嫌そうに顔を顰めれば、千鶴は可笑しそうに笑う。これからの高校生活を語る千鶴にはなんの不信もそこにない。中学校で優秀な成績を残していた文次郎が同じ高校へ進学するためにレベルを落としたことを、そうした理由を、千鶴は知らない。

千鶴が記憶を無くして生まれたのは自身のせいではないと文次郎は分かっていた。正確に言うならば記憶の有無を定める要因など自分の過去の生を遡っても分からず、責任はないと断言は出来ないのだが、分からない以上はないとして構わないだろうと思っていた。
しかしそれと千鶴を幸福にせねばと思う気持ちに関連はない。文次郎の意思にあるのは、ひとつ前の生でのことだ。薄汚い世界に千鶴を巻き込んだのは文次郎だった。彼女を死なす羽目になったこと、彼女が殺される羽目になったことを、文次郎は償わなくてはならないと信じ込んでいる。千鶴が忘れていても、関係ないとばかりに信じている。




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