バレーボール部の朝練前、いつもより少し早く千鶴は家を出る。まだ薄暗い道を共に歩く者はいない。いつもならば文次郎が一緒だったが、彼は家の門から黙って見送るだけだった。前世の私と関わることで何か心境の変化でもあったのだろうと千鶴は考える。多分きっといい方に変わったのだからそれでいい。少し寂しい気もしたけれど、今まではあまりに甘えすぎていたから。
そうでなかったとしても、今日ばかりはひとりで登校すると伝えただろうけれど。

「内村千鶴」
「……七松、先生」

校門の前、そこに立つひとに、千鶴は足を止める。いつもならば体育館でひとり先に活動を始めているそのひとが待っているのは、間違いなく自分だろう。難しい顔をしている彼に何と言おうかと悩むが、先に口を開いたのは小平太の方だった。

「もう、大丈夫なのか」
「ええ。すっかり……元通りです」

彼にとっては幸か不幸か、そう答えるしかない。そっか、と呟いた小平太は、瞬巡する様子を見せ、そっと笑顔を見せた。困ったようなその表情は似合わないなぁと思いながらも、千鶴は続きを待つ。

「聞いてくれるか」
「はい」
「私は仙蔵のように女心の分かる男じゃない。文次郎のように長い付き合いもない。だから、どうすればお前が喜ぶのか私には分からん。でも、お前には笑っていてほしい。悲しいときには泣いて、怒っているときにはそれを顕にして、でもなるべく幸せだと笑っていてほしい。だから、その、望みがあったら言ってくれ。可能なかぎり何でも持ってきてやるし、私にできることなら何でもしたいと思うんだ。それに、何と言うか……」
「七松先生」
「……なんだ?」

慣れないことに戸惑っているのだろう彼に、千鶴は思わず笑ってしまっていた。年頃の少女は鈍感ではない。小平太が言わんとしていることは分かるし、それはとても嬉しいことなのだ。だけれどもなかなか話の核が切り出されないことに堪えきれなくなって、千鶴は急かすように訊いた。

「私のこと、どう思ってるの?」

過去のことを気にするなとは言えない。きっとそれがなければ彼がこちらを気にかけることはなかった。バレー部のマネージャーの打診が来ることもなかっただろうし、彼に惹かれることもなかっただろう。その想いが過去の延長でも構わなかった。過去の話や拙い助言をくれた心優しい幼馴染みのおかげで自分の抱く想いは自分自身のものだと思うことができたし、自分の知らない過去も間違いなく自分の一部だと、信じることができたのだから。
しかしそれでも今の自分についてどう思っているのか、千鶴ははっきりと、聞きたかったのだ。

「好きだ」
「……昔のこと、覚えてなくても?」
「ああ。私はお前が、好きなんだ」

堂々と答えられたその言葉に、きっと胸を痛めることはないのだろう。





――幸せな夢を見た。

薄汚い路地裏で見知った顔に背中を預ける夢を見た。

大きな屋敷で軍服の美しい青年と向き合う夢を見た。

布団の中で医師に連れられた青年を迎える夢を見た。

赤く染まる町で泣いてる少年を抱き締める夢を見た。

どこかの学園で愛しいひとに抱き締められる、幸せな夢を見た。




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