19 立ち尽くす小平太に、さてどうするべきかと千鶴は考える。曖昧に頷いただけの彼は、相当戸惑っているようだ。それはまぁ仕方ない、自分でさえもどうしていいか分からないのだから。千鶴は放つ言葉に迷いながらも、何でもないような表情を繕い続けた。「まぁ、座んなさいよ」余裕を繕うことで、主導権を握ろうとした。 「すまなかった!」 その考えもすぐに瓦解してしまったけれど。 がばっと音がしそうなほどに頭を勢いよく下げた小平太は、九十度近くに身体を折ったまま更に続ける。 「今まで、これまでお前のことを忘れてしまっていて、本当に、すまなかった。謝って済むことじゃないとは分かっている、だけど、だけど……っ、本当にすまなかった!」 その声は震えていて、千鶴はそっと息を吐いた。そこに呆れの色はない。その単純なまでの謝罪は千鶴の知る彼らしく、だからこそ響く。自分が求めようとした何かよりも相当自分の心を震わせる。千鶴は浮かびそうになる涙を抑えながら「小平太」彼の名を呼んだ。 「顔上げなさいよ、小平太」 そう言えば恐る恐る体勢を戻す小平太に、千鶴は笑ってみせる。先程より随分と簡単なそれは、彼を戸惑わせるのも容易いようだ。一発殴られるとでも思ったのかしらと、千鶴は更に笑う。 「許してあげるわ」 「……え?」 「記憶がないのは、仕方がないもの」 目を瞬かせる小平太に、千鶴は肩を竦めてみせた。『今回』は自分も忘れていたらしいから、それでおあいこだ。そんなことで悩んでもらう必要性はひとつもなかった。彼に求めたものは分からないままだけれど、ずっと落ち込んで過ごしてもらいたいわけじゃあなかった。 「それはまぁ、一時は恨んだけれど、だからといって私が不幸だったわけじゃない」 最初の生は、伴に生きた。 次の生には、大切なものを遺してくれた。 その次の生は随分と気にかけてくれた。 その更に次は幸福であれと祈ってくれた。 まぁ最後の生はそうとばかりも言えないけれど、しかし千鶴にとってこれらの生はけっして悪いものではなかったのだ。 「私は幸せだったのよ、今までも」 「……千鶴」 「辛気くさい顔してんじゃないわよ。馬鹿みたいに笑ってなさい。それがあんたのいいところでしょう」 千鶴の言葉に小平太の頬がゆっくりと動く。出来上がった歪な笑みに、千鶴はくすくすと愉快そうに笑い声を零した。それを聞いた小平太の顔も嬉しそうに、喜びが湧き出るように快活な笑顔へと変わる。ずっと昔を思い出すようなその表情は、子どものようで、けれどとても似合っていると感じた。 「千鶴」 「なに」 「抱きしめてもいいか」 「どうぞ」 そしていつかのように、広げた両手で包み込まれる。割れ物を扱うように、そっと。あたたかくて、少し硬くて、けっして不快ではないその抱擁を、幸福だと噛み締める。 ――ああ、そうか。 「……小平太」 「ん?苦しいか?」 「いいえ。もう少し強くてもいいくらい」 思う意識はぼんやりとしているけれど、千鶴は理解した。確かなものだと分かってしまった。 何かひとつ、望むことがあったとしたら。 「小平太」 「なんだ?」 「私のこと、どう思ってる?」 「いっとう大事な奴、だと」 その言葉に安心しながら、千鶴はそっと瞼を閉じる。訪れる暗闇は心地よく広がり、暖かさと幸福が交わって反響するようだった。 「小平太」 「うん?」 「『私』のこと、よろしくね」 何かひとつ、彼にしてもらいたいことがあったとしたら。 きっと、もう一度この腕の温もりを感じたかっただけなのだ。 ← → 目次 ×
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