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入院は一日のみで、千鶴は見慣れぬ両親とともに見慣れぬ自宅に帰った。文次郎が持ってきた写真や彼の説明で然程問題なく両親と接し、また何かあってもフォローできるよう文次郎が傍についていたので滞りなく帰宅に至った。

「趣味は悪くないわね」

自分の部屋のベッドに腰掛け、千鶴は部屋を見回す。自分らしい、と思える部屋だ。しかし勉強机にも小物類にも壁紙にも見覚えはなく、何かを思い出すこともない。これは重症だわと自分に溜め息を吐きながら、千鶴は文次郎へと目を向けた。
カーペットを敷いた床に胡座を掻く文次郎は少し居心地が悪そうに見えるが、それは部屋の雰囲気に合わないからでなく自分のせいだろうと判断する。判断するだけで、それをどうしようということはなかった。むしろどうすることも出来ないのだから仕方がなく、それに思い悩むよりは別にある問題を解決するべきだと判断した。

「さて、これからどうしようかしら。善法寺と立花の計らいで数日は学校も休めるんだけれど」
「……記憶は戻りそうにないのか?」
「予兆はないわね。何が予兆と言えるのかも分からないし。数日の間に戻らなかったら、暫くは私が『私』らしく過ごすしかないみたい」

その場合は知らなくてはならないことが多数ある。だがそれも仕方ないかと、千鶴は軽く肩を竦めた。
理屈は分からないが、千鶴は『私』と呼ぶ今生を消してしまっている。記憶を持たない『私』が再びこの身体に戻るとき、周りの環境が滅茶苦茶に荒らされていたら可哀想だ。自分であって自分でない少女の生活を守るためならばその程度のことは当然、千鶴はそう考えていた。

「だから宜しくね、潮江。あんたの幼馴染みのためにもね」
「ああ」

そしてその為には協力者が必要だ。文次郎ならば申し分ないし、彼が拒むこともない。きっと『私』に対してもそうだったのだろうと千鶴は考える。まったく不器用な男だ。

「……眠いわ。また明日にでも来て頂戴。私は寝るから『お母さん』に言っておいてくれる?」
「お前な……」

ふわぁ、と大きな欠伸をこらえもせずに漏らせば、文次郎は呆れたような顔をする。寝間着はあるかと箪笥を漁れば、文次郎がゆっくりと腰を上げるところが横目に見えた。着替え始める前に帰るつもりなのだろう。そう思ったが、ドアを開ける前に文次郎は千鶴を見据えた。

「内村」
「なに?」
「彼奴に会うつもりはないのか」

それが指す人物が分からないほど、鈍感ではない。
千鶴は手を止めると、ふわぁと欠伸をもうひとつ零した。

「ああ、そうそう。もうひとつあんたに頼みたいことがあるのよ」

ついでに立花にもね。そう言って笑顔を作る。文次郎は暫しの沈黙の後に、ただ頷いて了承した。




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