13 必要なものを取りに千鶴の家へ向かった文次郎と仕事へ戻った伊作の代わりに千鶴のもとを訪れたのは、この病院で看護師として勤務する食満留三郎だった。留三郎もまた過去の記憶を持っており、伊作から経緯は聞いていたため久し振りだなと軽い応酬をする。ベッドの上に座る彼女に血圧やら脈拍やらといった測定をしながら話すことは現代の話が多かった。話を聞くにこの千鶴が生きていた時代から然程年月は経っていないのだが、それでも技術進歩は目覚ましいもので千鶴は楽しそうに相槌を打つ。そんな話も一通り済み、そろそろ文次郎が戻ってくるかと留三郎が考えたところで「ねえ」千鶴が問いを投げ掛けた。 「あんたは……どうして看護師になったの?」 「ん?まぁ、これまで色々やってきたんだけどな。今回は伊作と歳が近くてふたりとも記憶があったから、久し振りに同じような仕事を選んだんだ」 「医者にならなかったのは?」 「俺が医学部に入れると思うのか」 「ああー……あんたたち本当に仲がいいわね」 「話の逸らし方が無理矢理だな。いいけどな」 まったく、と息を吐く。そして暫しの別れを告げるつもりだった口を閉じ、パイプ椅子を引き寄せそこに腰を下ろした。 まったく回りくどい奴だ。聞きたいことがあるなら直接本題に入ればいいのに。「それで?」話を促せば千鶴はぱちぱちと瞬きし、それから困ったように笑った。 「お見通しだった?」 「お前が俺に世間話なんて持ち掛けるかよ。聞きたいことがあるんだろ?」 「……『この時代の私』について、何か知っていることはある?」 「ない。強いて言うなら昔の記憶がないことと、小平太の部活のマネージャーになったことくらいだ」 それも殆どが仙蔵や伊作からの伝聞である。その答えに「やっぱりあんたが一番遠いわけね」千鶴は満足気に笑った。なるほど彼女の言う通りだと留三郎は思う。千鶴と小平太の関係について一番遠い場所にいるのは自分だった。文次郎は千鶴の近くで過ごし、仙蔵や長次は小平太と同僚や親友という近しい関係だ。伊作も離れてはいる筈だがなんだかんだと小平太を気にかけている。自分も気にならないではないが、彼らほど当事者に近くないのは確かだった。 「これから愚痴を言うから、誰にも言わないでくれる?」 「ああ」 「善法寺にもよ?」 「分かってるって。これも仕事のうちだし、守秘義務もある」 「そう、ならよかった」 そんな自分だから捌け口になるのだろう。吐き出せるのなら吐き出せばいいと留三郎は思う。千鶴と小平太の関係に直接の関わりはないが、当然心配していないわけではないのだ。しかも今の千鶴は(少なくとも見かけは)年下である。悩める少女の愚痴のひとつやふたつ聞いてやらないほど大人気なくはなかった。 「この時代の『私』は、記憶がなかったのよね」 「ああ、そう聞いてる」 「記憶があったなら、幸せになれたのかしら。再会したときにあいつを一回投げ飛ばして、泣きそうな顔で謝るあいつを渋々許して、もう一度あいつと歩んで一緒になったりして、幸せになったのかしら」 「……かもしれねぇな」 「でも、分かってるのよ、もしもの話に意味がないことくらい。ただ認めたくないだけだって、分かっているの」 千鶴は膝を抱え、そこに顔を埋める。留三郎から見えた彼女の表情は平然としたものだったが、その奥にある感情はまったく別のものだろう。 「酷い話よね。私は忘れていてもあいつのことを好きになるなんて」 「……内村」 「本当に、酷いわ」 折角諦めたのに。 その呟きはあまりに小さくくぐもっていたから、きっと聞かせるつもりはなかったのだろう。留三郎はそう思いながらも、耳に入ってしまったその言葉に考える。この千鶴についても留三郎が知ることは多くはない。きっと彼を想っていたのだろうと予想し、それは叶わなかったのだろうと彼の言葉を振り返ることしかできていなかった。 きっと疲れてしまっていたのだ。長い間想い続けることに、報われないことに。今こうやって平気そうな顔を取り繕う下で、この少女はやはり複雑な想いを抱いているのだ。 ← → 目次 ×
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