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文次郎の話を聞いた千鶴は、腕を組みふぅんと息を吐いた。そのまま唇を尖らせた彼女は、それでも理解したらしい。苦々しい表情を浮かべながら「つまり」現状を受け入れる。

「私は本当は死んでいて、この身体は今の私……私にとっては『来世の私』のもので、なのに何故か私が出てきちゃったと。ややこしいことになってるのねぇ」

今の千鶴としての記憶もないらしい千鶴は「面倒だわ」呟く。呑気にも見えるそれに文次郎は呆れを覚えながらも、彼女も自分以上に困惑しているだろうと文句を言うのは止めた。代わりに問うのも、恐らくは意味のない質問だった。

「心当たりはないのか」
「ないわよ。未練はなかったつもりなんだけど」

嘘だ。文次郎は脳内で即座に否定する。心当たりはなくとも未練は常に抱えていた筈だ。ひとりの男の影を追って、その目に写ることもなく死んだのだから。けれど文次郎はそれを言及することはなく、そうかと深く掘り下げることもしなかった。未練はどうあれ、心当たりがないのは本当だろうと。
「今のところそれ以外に問題はないみたいだけど」大問題を前にそんな言葉では少しも安心など得られないが、伊作は言う。

「とりあえず、今日一日は検査入院ってことにしようか。聞いておきたいこともあるだろう?」
「そうね。ちょっと、潮江、家の場所も親の顔も知らないなんてやりにくいし、写真でも持ってきてくれる?」
「……ああ」
「早く元に戻ってくれればそれに越したことはないんだけど」

突然のことだから、いつ戻るのか予測も立てられない。それまでの間どうにか誤魔化さなければならないし、それを補助するのは自分の役割だと文次郎は理解している。学校も暫くは休んでも問題ないだろうが、長引けばそうも言ってられないだろう。同級生で、同じクラスでよかったと思う。
とりあえずは仕事に忙しい千鶴の両親へ千鶴の無事を伝えることと、その写真を用意するのが先決だろう。文次郎は千鶴の携帯電話を操作し、そこに彼女の両親の写真がないことを確認する。勝手に触ることで文句を言われるかもしれないが、非常事態だと自分に言い訳をして誤魔化した。

「あ、学校にはどうする?仙蔵なら事実を伝えても誤魔化しに協力してくれるだろうし、僕から連絡しておこうか?」
「げっ、まさかあいつ教師なの?……ちょっと潮江、まさかとは思うけど私あいつのこと慕ってなかったでしょうね」
「慕っている方だったな」
「うわぁ……」

最悪だ、と顔を顰める千鶴には仙蔵に対する苦手意識が残っていたらしい。記憶がなかったとはいえ自身の取っていたであろう態度に表情を歪める。それに対し伊作は苦笑を零し、宥めるように声を掛けた。

「仙蔵も心配してたんだよ。君が運ばれてすぐやってきたし、押さえたりもしてくれてたらしいし」
「あいつが心配ねぇ、想像もつかないわ……ん、押さえる?何を?」
「え、あ、いや……ほ、ほら、クラスメイトとかっ」

口が滑った伊作が言葉を重ねるが、それを墓穴と気付かせる態度に文次郎は思わず舌打ちする。勘のいい千鶴のことだ。それも、過去の記憶を持つ千鶴だ。きっと気が付いた。
文次郎と伊作には別に隠す意図があったわけではない。ただ、伝えていいものかと躊躇っていただけだ。千鶴自身もそれを知ることに躊躇いを覚えたのだろう、ほんの少し表情を硬いものに変え、それでも、声にした。

「……いるの?」

その声は震えるかと思ったが思いの外はっきりと通る。その目が伊作を捉え、文次郎を捉える。そこに籠められた覚悟を悟れば、文次郎には正直に答える以外の選択肢など無いに等しかった。

「記憶を持った七松小平太が、いるのね」

その確信に肯定を返す。
そう、と呟いた千鶴は、感情を隠すように目を閉じた。




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