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千鶴が目を醒ましたのは、病院に運ばれて三時間ほど経ってからだった。目を瞬かせて天井を見つめる千鶴に、ベッドのすぐ傍にあるパイプ椅子に座っていた文次郎は腰を浮かせて顔を覗き込む。思わず零れた息は安堵に染まっていて、ずっと付きっきりだったからかようやく重い荷物が降りた気分だった。

「起きたか、内村」
「……ここは」
「病院だよ」

千鶴の問いに答えたのは、この病院の医師のひとりである善法寺伊作だった。千鶴の視線がゆっくりと彼を捉える。ぱちぱちと瞬きを繰り返す千鶴に、「名前、教えてくれる?」伊作は人当たりのいい笑みを浮かべながら訊ねた。勿論カルテに記されているしそれがなくともいつかの記憶から知っている筈だが、これは本人の意識が混濁していないかの確認の為だろう。

「……内村、千鶴」
「うん。何があったか覚えてる?」
「ええ……」

千鶴はゆるゆると上げた自身の手を見つめる。それからふっと自嘲するように笑ったのを見て、文次郎は違和感を覚えた。内村はこんな表情をしただろうか、いやこれは寧ろ、とそこまで考えたときだった。その疑問がより確たるものになったのは。

「んん、まさか生きてるとはねぇ」
「……内村?」
「ふふ……間抜け面ねぇ、潮江」

そう笑う彼女には憶えがあった。けれどまさかそんな筈は、そう訴えたいのに声が出なかったのは、彼女が当然のようにその表情をしているからだ。
「それに、」彼女は絶句している文次郎から再び伊作へと視線を移す。表情をうんざりしたものに変えて、それから呆れたように笑ってみせた。

「久しぶりね、善法寺。何百年振りかしら?」
「え?」

ぱちぱちと、伊作の大きく開かれた目が何度も瞬く。そして勘づいたのだろう、「え、えええ?!」大声をあげてしまったのはきっと不可抗力だった。
千鶴にとって、伊作は初対面の筈だ。文次郎が伊作について話したことはないし、小平太も写真か何かを見せたことなどなかったのだから、伊作のことを知る由もない。ましてや親しげに声を掛けるような仲である筈もないのだ、今回の千鶴とは。
だから、つまり。

「まさか……思い出したの?」
「……いや、」

脳内の混乱をやっとの思いで落ち着けたのだろう、導き出した答えを伊作が口にする。けれど、そうではないだろうと首を振ったのは文次郎だ。パイプ椅子に腰を下ろしながら、彼は眉間に皺を寄せていた。確信に近い嫌な予感が胸を占める。それでも自分の考えが杞憂ならばいいがと胸のうちで願いながら、千鶴へ質問を口にする。

「……何があったか覚えているか?」
「何回聞くのよ。何があったって、そりゃあ……へまして死にかけたとしか言えないわよ」

あんたよく助かったわねぇ、などと笑う千鶴に、文次郎の胸の奥がずんと重くなった。もう予感などと誤魔化せない。これは、やはり、そうなのだろう。文次郎の様子をおかしく思ったのか伊作が声を掛けるが、文次郎はそれを黙殺して質問を続けた。

「……お前、今、何歳だ?」
「え?」
「はあ?」

不思議そうな顔をしたのは伊作だけではなかった。千鶴も怪訝そうに声を上げる。知ってるでしょうがと息を吐きながら、それでもしっかりと文次郎を見据えて千鶴は答えた。
そしてその答えに、文次郎は自分の考えが当たっていると悟る。

「二十七よ」

――此処にいる内村千鶴は、前回の内村千鶴だ。




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