きっかけひとつ 03

「立花先輩の、う、嘘つき……!」

そう叫ぶ声に、俺ははっとして茂みになっている方を見る。音を立てずに姿を見せたのは顔を真っ赤にして震えているなまえだった。俺の視線に気付き再び姿を隠すか否かと悩んだ様子の彼女は、結局のところその立ち位置で留まった。俺としてはなまえの気配に気付かなかったことに衝撃を覚えていて、咄嗟に何も言えなかったという情けない事態だ。

「嘘?何が嘘だというのか自分で説明してみろ」
「それは、その……」
「言えないのなら私の言ったことは全て事実になると思え」
「……立花先輩は意地悪です」
「私に相談を持ち掛けたお前の見る目に問題があったんだな」

余裕の表情を崩さない仙蔵は、「私はもう行く」意気消沈するなまえも置いて別れを告げて歩き出す。残された俺となまえは、どうしていいのかと気まずい沈黙の中にいた。
本当にどうしたものか。ずきずきと胸の辺りが痛む。宥めるように手を当て、俺は何でもないように笑顔を取り繕った。嫌われてはいてもその衝撃をなまえに伝えることはしたくない。心根の優しいなまえのことだから気に病んでしまうかもしれないからだ。

「……あー、なまえ、すぐに直せると思うから、後で誰かに届けに行かせるぞ」
「私は、」

俺が言い終わるかどうかのところでなまえは口を開いた。同時に俺はぴたりと口を閉ざす。なかなか言い始めなかったが、続きを催促しては聞けないと思ったのだ。なまえが俺に何かを言おうとするのは久し振りのことで、その為なら幾らでも待つつもりだった。
そして沈黙もほんの少しだけのこと、なまえは小さな声で話し出す。

「私は、その、と、食満先輩が嫌いなんかじゃない、です。むしろ、その……」

仙蔵と話していた『嘘』とはそれか。嫌われてはないのかと、ほっとするのは止められなかった。痛みの消えた胸から手を下ろし、更に『むしろ』の続きを待つ。
しかし言いよどむなまえが再び隠れようとしたので「なあ、」俺は声を掛けてそれを阻止した。阻止できたことに、安心した。

「なあ……なんでいきなり他人行儀になったんだ?」

今ならば聞かせてくれるだろうか。その予感に、俺は熟考することなく問い掛ける。するとなまえはびくりと反応したものの、隠れることも逃げることもせずに困ったように眉を下げた。真っ赤な顔の彼女は吃りながら、それでも何かを言葉にしようと必死そうだ。

「だ、だって……」
「……」
「だって、留くんに彼女が出来たときもし勘違いされたら駄目だと思って」
「え、」

そして口早に紡がれた、予想外の言葉。
それ以上に衝撃的だったのは、呼び名の方だ。なまえも気付いたのか、「あっ、違っ、そ、その、け、食満先輩に!」……非常に分かりやすく訂正を入れてくる。
懐かしい呼び名を聞いて緩む口元を隠すように手を当てた。慌てるなまえは時折敬語も抜けていて、それがまた可愛い。
それにしても、なまえのこの反応。泣きそうにも見えるそれはただの幼馴染みにしては度が過ぎるんじゃないだろうか。期待してもいいんじゃないかと考えるのは短慮すぎるだろうが、胸はどくどくと跳ね始める。まったくさっきまで痛みを訴えてたくせにと自分のことながら呆れつつ、俺は一歩距離を詰めた。もう一歩。

「……なら、他人行儀になる必要はないだろ」
「え?」
「彼女なんて考えらんねぇよ、お前以外に」

あと一歩、もう少しで手が届く距離。だが俺の言葉に目を見開いたなまえは、あっという間に姿を消した。相変わらず遁術は凄い腕前だ。さっきも気配に気付かなかったし、今追いかけても見つけられることはないだろう。
返事は聞けなかったが今急ぐ必要はない。なまえは嫌そうな顔をしなかったし、望みはある筈だ。

「……まずは、これの修理だな」

仙蔵から預かったなまえの箱、これを修理して渡すときに、もう一度言ってみよう。今度は逃がさないように掴まえて、なまえの口から『むしろ』の続きを聞くのだ。
俺は上機嫌に片付けを終わらせ、足早に長屋の自室へ戻っていった。途中穴から引き上げた伊作に「よかったね」などとの言葉を貰いながら。


end


 

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