きっかけひとつ 02

なまえは忍たまと疎遠というわけではない。
くのたまにしてはおっとりしているなまえは後輩に優しい先輩だと懐かれ、五年生には何処か抜けてる奴だと呆れられつつも面倒を見られている。俺と同じ六年生にはあまり近づかないようだが、話しかけられれば対応するし用があったら直接伝えていているようだった。それは文次郎や小平太に対してもで、つまり避けられているのは俺だけだと、思い知らされる。

「……」

用具委員会の見回り中、遠くに見えるなまえと仙蔵の姿に俺はそっと溜め息を吐いた。ふたりの様子に苛立ちのような、嫉妬のようなものを覚えるが、なまえが誰と仲良くしようがなまえの自由なのだ。どうこう言う権利は俺にはない。
談笑するふたりの姿を極力視界に入れないようにして作業に戻る。この壁の修補が終わった頃にはふたりは立ち去っているかもしれない。あっちが気付かないのならば、俺が見なかったことにしてしまえばこの気持ちも無かったことになる筈だ。
そんなわけがないとは、知っていたけど。

「食満先輩、壁の修補終わりましたぁ」
「ああ、お疲れ。じゃあ見回り再開だな」
「はいっ」

報告に来た喜三太の頭を撫でて言えば、揚々と一年生たちが先頭になって歩き出した。俺も工具を担いで後を追おうとし、一度だけなまえたちの方を見れば、ふたりの姿はまだそこにある。
ただ、さっきとは違い、仙蔵がこっちを見ていてなまえはその影に隠れるように立っていた。

「食満せんぱーい?」
「あ、ああ、今行く」

仙蔵の動く唇を読むが、それは俺に当てられたものではないらしい。対するなまえの言葉は分からない。しかしそれが一体何を示しているのか、嫌な考えしか浮かばず俺はすぐに目を逸らす。ぐるぐると汚い感情が腹の中に沈むのには気付かない振りをして、新たな修補箇所を見つけ出した後輩たちに追いついた。

そのまま見回りと作業に没頭し、学園内を一周したところで委員会の時間は終わりを告げた。一年生たちを先に帰し、片付けを手伝おうとしていた作兵衛にも残りは俺がやるからと早めに上がらせた。そうしてひとり片付けに熱中する。脳裏に浮かぶ光景を振り払うように。

「留三郎」

けれど仙蔵の声に呼ばれ、俺は片付けの手を止めて振り返った。そこにいたのは仙蔵ひとりだ。周囲に誰もいないと確認した俺が何を思ったのかは考えないことにする。

「なんだ、仙蔵」
「直せるか」
「……上等そうだな、委員会のものか?それともお前の女装用か?」

仙蔵が寄越したのは化粧箱だろう箱だった。歪んでいるのか引き出しの部分が閉まりきらないらしい。板に破損は無さそうだしすぐに直せるだろうと考えながら訊けば、「いや、」仙蔵が答える。

「とあるくのたまのものだ。泣き付かれてしまってな」
「なんだ、わざわざお前に言わなくても直接持ってくればいいのに」
「まあ、そう言ってやるな」

やれやれと肩を竦める仙蔵は少し楽しそうにも見えて、嫌な予感が胸を過る。聞かない方がいい気がしたが、問う前に仙蔵は口を開いた。

「あいつはお前が嫌いみたいだからな」
「……そのくのたまって」
「なまえという五年生だ」

知っているかと仙蔵が問うが、咄嗟に答えられることはなかった。ガンと槌で頭を打たれたような衝撃、急速に心の臓が冷えていく感覚。もしやと予想はしていても、実際そうだと言われると平気ではいられなかった。

「……そう、か。なら、仕方ねぇな」

それでも俺は頷くと、箱に視線を落として青くなっているだろう顔を隠すように伏せた。仙蔵には一度戻ってもらい、工具類を片付けたら長屋に戻って作業をしよう。夜には直るだろうから、仙蔵に渡してなまえに返せばいい。本当は直接返しに行って話をしたかったが、なまえが俺を嫌っているのなら、仕方ない。

「いいのか?」

仙蔵の言葉に思わず顔が上がる。先程ふたりで話していたときに読んだのと同じ言葉。けれど仙蔵は俺を見ておらず、またしても別の相手にその言葉を向けていたようだった。
ドク、と胸が痛いほどに、打つ。




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