私と彼の五日間 02 彼と話したいと願って随分経つが、その機会は意外にもあっさりとやってきた。 火曜日、三限目。入学して二ヵ月ほど経つとようやく九十分の授業時間にも慣れてきて、私はあくびを噛み殺しながら後片付けを始めた。その作業の中で教室を出ていく人の群れをちらと見る。 大教室で行われるこの講義は一般教養科目であるため、いろんな学部の学生が集まっていた。彼もいるだろうかと期待していたがこの人の量から探し出せる筈もない。先週と同じく早々に諦め、私は鞄を手にして出入り口に集まる人だかりに身を投じた。今日はこの講義で終わりだったから、さっさと帰ってゆっくりしよう。 そう思って外に出た、すぐのこと。 「痛っ」 「あ、悪い」 前にいた男にぶつかってしまった。前の男がいきなり方向を変えたせいだ。まぁ鞄を落としたりしたわけじゃないし、すぐに謝ってくれたから簡単に済ませてしまおう、そう思って男の顔を見て、私は目を見開いた。 彼だ。 思ってもなかった邂逅に、私は咄嗟に言葉が出なかった。「こちら、こそ」なんとかそれだけを絞り出して、それで終わりに出来るわけもなく、名前を訊こうかとして。 「あんた、」 でも先に開かれた彼の口に、私はその言葉を待った。真っ直ぐ交わされた視線に胸のあたりが熱くなる。何が紡がれるのか、期待する。 「わっ」 けれど言葉の続きを聞けることはなかった。 人の波に流され、彼の姿が見えなくなる。慌てて彼の方に進もうとしても他の学生に邪魔そうにされるだけ。どうにか人だかりを抜けたときにはもう彼の姿は何処にもなかった。 はあ、と深い溜め息。けれど収穫はある。彼はこの講義を受講していた。来週、授業前に出入り口で張ってみようか。 私は鞄を抱え直すと、のったりとした足取りで帰路へとつく。大学を出るまで彼の姿を探したけれど、やっぱり彼を見つけ出すことはできなかった。 ← → 目次 ×
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