白衣:伊作とついでに雑渡さん

研究室から出てくる伊作くんの白衣はいつも何かで汚れている。煤だったり薬品だったり謎の蛍光色の液体だったり日によって様々だけど、私を見てにこにこ笑う姿は無事みたいだから心配はしなくていいんだろう。ちなみに今日は真っ赤な染みが出来ていた。漂うトマトのにおいはケチャップだろうか。

「ごめんね、随分待たせたかな」
「ううん。こっちも講義が長引いたから、今来たところ」
「そっか、よかった。すぐ鞄取ってくるよ」
「急いで転ばないでね」

うん、と頷いた三歩目で転ぶ伊作くんはもう一種の才能なのかもしれない。あははと恥ずかしそうに笑う伊作くんにもう二回は躓くだろうなと予想した。

「あのドジさえなかったら助手に欲しいくらいなんだけどねぇ」
「助手なら諸泉さんたちがいるじゃないですか」
「伊作くんは面白いからね」
「言っておきますけど、伊作くんにアイロン掛けさせたらその白衣に穴が開きますからね」
「……助手は召し使いじゃないんだよ?」
「それを諸泉さんの目を見て言ってきてください」

ひょっこり顔を出した雑渡先生は伊作くんの研究室の先生だ。学部も違う私は雑渡先生の講義を受けたことはない。こうして伊作くんを待つ間に一言二言会話をすることはあるけれど、知れば知るほどよく分からない人。伊作くんが選ぶくらいだから凄い先生なのかもしれないけれど、伊作くんは第一志望の研究室を抽選落ちしていた筈だからどうなんだろうか。いつもピシッとした白衣は諸泉さんがアイロン掛けをしているとの噂だし。

「今失礼なこと考えたでしょ」
「あはは、まっさかぁ」

じとーっと見てくる雑渡先生から視線を逸らして笑えば、いいけどね、と溜め息。「今度手土産持ってきてね、手作りのでいいから」雑渡さんはそう言ってパタンとドアを閉めた。言い逃げだ。
悪い人ではないだろうけど、駄目な人には見えてしまう。伊作くんにはこんな大人になってほしくないな。ぱたぱた足音を立てて戻ってきた伊作くんを見て、そう思う。

「お待たせ。行こうか」
「……うん、心配ないか」
「何が?」
「なんにも」

白衣を脱いだ伊作くんの服に汚れはない。伊作くんが綺麗な格好で帰れるのは白衣のおかげだ。まあ、外で転んで土で汚れることだって伊作くんにはよくあることなんだけど。
ご飯を食べに行こうと隣に並べば、鞄に詰め込まれた白衣の汚れが見えて、うわぁ、私は思わず声を上げた。

「洗濯大変そうだねぇ」
「うん。染みになったら留三郎に怒られるだろうなぁ……」
「……」

そう言えば以前の蛍光色の液体のときは、あまりに汚れが落ちなくて寮で同室の食満くんが代わりに洗ってくれたって、言ってたっけ。それ以外にもよく迷惑かけてるとも、聞いたような。
……もしかしてこうして人は駄目になっていく、のかも。

「やっぱりちょっと心配になってきた」
「何が?」
「私、頑張って洗濯上手になるから」
「う、うん、?」

他人に迷惑をかけさせるくらいなら、私が全部の面倒を見れるように頑張ろう。とりあえず目下の目標は染み抜きだ。伊作くんは駄目人間にさせないんだから。首を傾げる伊作くんが躓いたのを転ばないように支えながら、私はそう決心した。


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