転生後の三郎次と年下になった先輩夢主

「貴方が卒業するまでにまた来るわ。そのときも同じ言葉をくれると言うなら、そのときは一緒に花を見に行きましょう」

池田三郎次は二年生の頃、くのたま六年生である朝子に想いを寄せていた。幼さ故に憧れと混同していたのかもしれないが、その想いは彼の中で膨らむ一方であり、吐露せずにはいられないものだった。彼女に想いを告げるときに涙が溢れたのはあまりの苦しさによるものだったのかもしれないし、きっと叶わないと分かっていた未来を嘆いてだったのかもしれない。卒業まであと僅かだった朝子は三郎次からしてみれば大人の女性で、三郎次自身はまだまだ子どもでしかなかった。しかし朝子は三郎次の言葉を笑うことなく、否定することもなく、ぱっちりとした目を細めてほんの少し未来の約束を口にした。それは傷つけないための優しい嘘だったのかもしれないし、年下の相手を億劫がった当たり障りのない言葉だったのかもしれない。それでも三郎次にとっては未来に繋がる暖かな言葉で、いつかを信じる希望になった。
ある肌寒い朝に朝子は卒業し、三郎次は三年生になった。立派な忍者になろうと去年と同じ火薬委員になり一層勉強した。きっと笑わないと信頼している友人たちには想いについて話し、勉強に使える本やよく効く薬について教えてもらったり、体力をつけるために一緒に走ったりもした。
そうして過ごした翌年、四年生では委員長となった(委員会歴では後輩の)六年生を支え、より厳しくなった授業も耐え抜き知識や思考を学び心身を鍛えた。そんなある日のことだった。

「朝子先輩、亡くなったんだって」

誰が発信源だったのか分からない。けれどそんな噂が三郎次の元に届いた。
かつての先輩の生死が聞こえてくるのは珍しいことではない。なるべく自身の情報を洩らさない忍者であっても学園にだけは就職先を伝えていることは多いし、友人や先輩と同じ就職先だったという話もある。学園にまで聞こえてくるのだから関係者のもたらす情報であり、その噂は信憑性が高いとも言える。

きっと、朝子は死んでしまった。三郎次にもそれは分かった。
かといって信じるのとは話が別だった。

朝子先輩は会いに来ると言っていた。その言葉を信じなくてどうしろというのだ。気遣わしげな友人たちの視線にも構わず、三郎次は学び鍛え続けていた。やがて五年生になり、六年生になり、卒業の日を迎えるまで、ずっと。

長くを過ごした家のような存在でもあった学舎を三郎次はじっくりと眺め、門をくぐった。これが最後かもしれない。少なくともすぐに戻ることはないだろう。振り返ることなく三郎次は歩き続ける。少ない荷物のまま向かうのは就職先である。働いて、一人前になって、そうしたらきっと朝子先輩は――

「三郎次くん、ちょっと待って!」

呼び止められ、三郎次は慌てて振り返る。そこにいるであろう朝子に何て言おうか考えながら。けれどその先にいたのは事務員の小松田だった。耳に入ってきた声も確かに彼のものだったというのに、何を考えているんだと自嘲する。

「これ、卒業するとき三郎次くんに渡すようにって言われてたんだ。間に合ってよかった」

差し出されたのは手紙のようだ。紙がやや日に焼けているのと皺が気になったが、道中転んだらしい彼は急いでくれたのだからと目を瞑ることにした。皺はともかく、日に焼けているのは随分前に書かれたものだからだろうか。
とにかく、と三郎次はさっき別れの言葉を告げたばかりの彼に礼と再度の別れを告げる。「またねぇ」大きく手を振る彼のいつも通りの声に見送られて暫く歩き、適当な岩に腰掛けて手紙を開いた。

三郎次へ、と書かれた文字にどきりとする。
その字は間違えることのない、朝子の字だった。
期待と不安が混じりあう胸が騒ぎだし、文字を追うのが恐くなる。けれど久方ぶりの彼女の言葉に、三郎次は深く呼吸をして覚悟を決めた。
書かれていたのは簡単な挨拶と卒業を祝う言葉、そしてこれが書かれた日が朝子の卒業の日であること。三郎次の卒業までに朝子が現れなければ渡されるよう預けたこと。つまり彼女はもうこの世にいないこと。三郎次の言葉を嬉しく思ったこと。朝子にとっても三郎次はただの後輩ではなかったこと。さすがに恋慕はなかったがそういう関係になれていてもきっと幸せだったこと。そんな夢を与えてくれたことへの感謝と、会いに行けないことへの謝罪と、三郎次の幸福を願う言葉。そういったことがとりとめなく書かれていた。

三郎次は目元を拭った。ずっと理解した振りをして、見てこなかった現実だ。朝子は来なかった。あのひとは約束を違えるようなひとではない。どうしようもなかったのだ。いなくなってしまったから。死んでしまったから。手紙を遺してくれたことは三郎次にとって幸か不幸かは分からない。けれど彼女の言葉であったから、三郎次は受け止めることにした。朝子が彼に嘘を言うことはないのだから。

溢れる水は止まることを知らない。三郎次はただ泣いていた。彼女へ想いを告げたとき以来、ぐるぐると胸の奥で渦巻く感情のままに泣き続けた。きっとこれが最後だと、片隅でそう考えながら。



その後、忍者として生き三十ほどで死んだ。それが記憶にある最初の生だ。

三郎次には幾つかの生の記憶がある。忍者であったり、漁師であったり、軍人であったりと実に様々な生を経た三郎次の今現在は、高校生であった。戦も飢饉もない世の中の学生というのは何とも平和だ。勉強して遊んで、ちょっとの刺激に喧嘩もしてみたりして。真面目ではないが不良とも言い切れない池田三郎次という人間は実に自由だった。

「三郎次、そろそろ行こうぜー」
「おう」

気軽につるめる友人ふたりとゲームセンターに行く約束を果たすために、放課後薄っぺらい鞄を持って教室を出る。またねー池田くん、そんな女子の声に片手を振って返した。その様子に友人が「うわあ」わざとらしく嘆く。

「さすが、モテる男は挨拶も違う」
「モテない俺たちはそもそも帰りの挨拶もしてもらえないのに」
「それ何回も聞いた。置いてくぞ」
「待って三郎次。ゲーセン逆ナンで俺たちにもおこぼれを!」
「ははっ、ていちょーにお断りするから諦めろ」
「なんでえ?!彼女いないくせに!」
「まだいらないだけだし」
「まさか……お前……男に興味が……?!」
「待って……俺まだ心の準備が……」
「ほんとに置いてくぞー」
「待って待って」

何の中身もない会話も下らなくて楽しい。三郎次は友人たちを待ちながらこっそり笑う。楽しい時間を過ごせるなら恋人なんていらなかった。もう十年くらいしたら伴侶を探す必要も出てくるだろうが、今付き合ったとて結婚まで行く気もしないだろう。
三郎次の恋は最初の生に未だ囚われている。
かつて憧れ恋焦がれたたったひとりの女性は、きっと美化され神聖化されているのだろう。記憶の中の朝子はとても美しく凛とした女性だった。数ある生の中では結婚もしてきたが、それは義務や信頼からのものだ。彼女以外の女は好きにはなれるが愛することはできないでいた。
きっと自分はずっとそうなのだろう。たまに遭遇するかつての先輩や友人のように記憶を失って生まれてこない限りは。好意を持ってくれた女性に同じ想いを返せないのは苦しく思うこともあるが、それだけの想いを持てたことが誇らしいとも思う。三郎次は現状に満足していた。
満足だと、思っていた。

「三郎次」

校門を出たところで、鈴を転がしたような声がした。
聞き覚えのあるような気がする声は、しかし誰のものだったかは思い出せない。はたして誰かと姿を探してみるが、そこには友人と話している生徒かひとり帰路を辿る生徒ばかり。
幻聴かと首を傾げてみれば、「三郎次」とやはり声がした。
背後からのそれに振り返れば、思っていたよりも下方に声の主はいた。
赤いランドセル、此処から然程遠くない小学校の制服。小柄な背丈。見覚えのある気がする、けれど知らない幼い顔立ち。ぱっちりとした目に真っ直ぐに見つめられ、三郎次は胸がざわめくのを感じた。

「突然、ごめんなさい。お友達と約束もあるのに」
「い、いや……」
「すぐ済むの。約束を果たせなかったことを、謝りたかっただけだから」

ふわりと微笑む少女は大人びて見える。年齢よりも随分落ち着いているようなのは、もしかしたら少女も転生しているのかもしれない。そう考え、ようやく気がつく。
そういえばかつてからの友人も、大切なひとが後輩として入学してきたと喜んでいた。同級生だった先輩たちは一回りほど歳が離れたという。何があってもおかしくはない。

「……朝子、先輩?」
「ええ。遅くなってしまって、本当に、ごめんなさい」

そう眉を下げる表情には、確かに朝子の面影があった。
数百年。それだけの時間を越えてまで来てくれたというのか。今までの生も幾つかあっただろうに、覚えていてくれたのか。三郎次は少女と視線を合わせると、できうるかぎりの笑みを浮かべた。口を開けば思わず浮かんだ言葉がそのまま音として零れ落ちる。

「約束はまだ有効ですか?」
「こっちの質問よ、それは」
「桜はもう散ってしまったから、まずは別の花でもいかがでしょう」
「貴方と見るのなら、蒲公英でもツツジでも特別だわ」

どんな花もきっと彼女の笑みほど美しくはないだろう。三郎次はそう思いながらも次々と言葉を紡いでいく。そういえば友人たちを待たせているが、もう少しくらい放っておいても大丈夫だろう。それよりも今は再び逢うことができた喜びを感じていたかった。ずっと待っていた幸せを、ずっと向ける先を失っていた恋を、ひたすらに噛み締めていたかった。
差し伸べた手には記憶にあるものより随分と小さな手が重ねられる。見上げていた彼女の目は見下げる形になっている。互いは余りに変わってしまったけれど、それで揺らぐような想いではなかった。
他の人間には聞かせたくないので今は見送るが、花を見る前には自分の想いを告げよう。三郎次は優しく目を細めながら考える。あのとき告げた言葉に、それ以降に募らせた想いを幾つか付け加えて。きっと彼女は穏やかに笑うだろう、その頬を染めることができたなら、それは極上の喜びとなるに違いない。


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