寂しがり屋な数馬と許嫁

いち、

彼女の許嫁は寂しがり屋でした。

存在感が薄いと言われる彼は、誰かに忘れられることを酷く嫌っていました。親にも兄弟にも忘れられることが多い彼は、毎日泣きそうな顔で彼女のもとを訪れて、彼女に名前を呼ばせました。彼の両親が彼を忘れても、村の人々が彼を忘れても、彼女だけは自分を忘れないでと泣きながら懇願しました。それは彼が忍術学園に行くことになってもそのままで、一緒にいてほしいと許嫁が望むならばと彼女も行儀見習いとして入学し、いつの間にか三年目になりました。

二年と少しという決して長くはない期間に、彼には仲間が出来ました。同じ萌黄を纏う友が出来ました。すべての人に忘れられることのなくなった彼が、寂しいと泣くことのなくなった彼が、もう此処に来ることはないのでしょう。彼女はそう気付き、一粒涙を零しました。
悲しくなどないのです。許嫁に笑顔が宿るのですから、喜ぶべきなのです。あの人が笑うのならば、私も笑っていなければなりません。

「……寂しい」

そんなこと、言えるわけがありませんでした。



に、

彼はほんの少し強くなろうと思いました。存在感がないのは忍としては美点だと教えられましたから、誰かに忘れられても悲しまないよう、今より少しだけ強くなろうと思ったのです。寂しいけど、彼女と会うのも我慢します。会えば優しい彼女に甘えてしまいそうだったから。ちゃんと強くなれたとき、彼女に会いにいこうと思ったのです。

「最近朝子のところに行ってないよな。いいのか?」
「うん、今まで甘えすぎて迷惑だっただろうし、少し離れた方が朝子も楽かと思って」
「ふーん……でも、大丈夫なのか?」
「何が?」
「あいつ相当寂しがり屋なんだろ」
「……え?」

彼は知りませんでした。 自分が寂しがり屋でしたから。彼をいつでも迎えられるよう、屋敷でひとりじっとしていた彼女もそうだったなんて、知らなかったのです。



さん、

不味いこと言ったかな、と友人は表情には出さずに焦りました。自分は無自覚に人を怒らせたりしてしまうようなので、今回も何か失敗したのかと思ったのです。何せ彼がまんまるの目を零れそうなほど見開いているのですから。

「それ、本当なの?」
「た、ぶん。藤内が言ってた。くのたまも」
「……ありがと!」

礼の言葉と同時に走り出した彼を、友人はぽかんとして見送りました。何なんだろう、自分にはどうにも分かりません。他の友人なら分かるだろうかと、訊きにいこうかとふらりと歩き出しました。
一刻後にようやく会えた別の友人に、話す前に何故か怒られてそれどころじゃなくなってしまい、結局忘れてしまったのですが。
それでもこの友人は、誰にも知られずとも、彼と彼女の仲を繋ぎ止めた確かな存在でした。



し、

「あ、数馬、三之助か左門見なかったか?」
「どうしよう作兵衛!」

かくかくしかじかと、彼は出会した友人の言葉に応えず先程知った事実を話します。彼女が寂しがり屋だということはこの友人も知っていましたので、今更何を言っているんだと思いましたが、彼がその事実を知らなかったことを知るとざあぁっと音が鳴りそうな勢いで顔の血の気が引いていきました。

「やべぇな……今まで通いつめてたのに急に姿を見せなくなった許嫁、偶然他の女といるところを目撃し談笑するふたりを見て『私のことはいらなくなったのね』と勘違い、心に傷を負った朝子は許嫁に別れを告げられるよりも早く世を儚んで、なんてことも……」

相変わらずの想像力です。
けれど今の彼は友人のそれをただの妄言だとは笑い飛ばせませんでした。同じように真っ青な顔で彼はこの世の終わりだとばかりに叫びます。

「他の子となんて話してないよ!」
「いや、でもよ、何が勘違いに繋がるか……」

堪えきれず、彼は走り出しました。後追いだけはするなよ!と友人の声を背中に受けましたが、冗談じゃないと聞こえない振りで足を速めます。
蒼白な顔で彼を見送った友人もまたふたりの仲を繋ぎ止めるのに一役買ったことになるわけですが、やはり誰もそれを知ることはないのでしょう。



ご、

「食堂はこっちだー!」
「左門!朝子を見なかった?!」
「あっちにいたぞ!」
「ありがとう!」

彼はなおも走ります。
当然、一直線に走るこの友人の指差した方とは逆方向に。



ろく、

「ジュンコちゃんが羨ましいわ。好きな人に愛されているんですもの」

誰かの仄暗い想像のような事態が起こることもなく、彼女は小さな赤い友人を眺めて呟きました。その呟きに小さな友人は首を傾げ、その想われ人はすっと目を細めます。

「まるで自分が愛されていないみたいな言い種だね」
「愛されていたわ。知ってる。でも、今も本当にそうなのかしら」

変わらない想いなんてないのよ、と、先輩か誰かに聞いたのでしょう言葉を紡ぐ彼女に、小さな友人は同情したのか擦り寄りました。
不安になるなら、聞けばいいのに。小さな友人の恋人は呆れつつ思いましたが、小さな友人がそれを察したのか嘆息するようにちろりと舌を出します。まるでそれが女心なのよと教えるようでした。



しち、

僕は誰かに忘れられても傷つかない強い人間になりたかったんだ。君が隣にいたらその優しさに甘えてしまうから、ほんの少しだけ会わないでおこうと思った。でも、それは君を悲しませるつもりじゃなかった。

「朝子を好きじゃなくなるなんてありえないし、朝子がいなきゃ生きていけないんだ」

息を切らせて、泣きそうな顔でそう言った彼に、彼女もまた泣きそうな顔で手を伸ばしました。ごめんなさい疑ったりしてごめんなさい、いいや僕の方こそごめん寂しい思いをさせてごめん、謝りあうふたりに取り残されるかたちになったもう一方の恋人たちは、呆れた風にしつつもその場をそっと後にしました。
あと四半刻もすれば真っ赤な目と顔で微笑みあうのでしょう。そうして互いの愛を再確認、明日からはまた以前のように仲睦まじく過ごすのです。

「朝子、僕の名前、呼んで?」
「はい、数馬さま」

めでたしめでたし。



(後半力尽きた)


×
- ナノ -