被害妄想の激しい食満

休日の、昼に近い午前中。目を覚ました留三郎はずきずきと痛む頭を押さえて体を起こした。酷い痛みは学生時代に何度も味わったもので、つまり、酒が原因のものだろう。久し振りに羽目を外したからか記憶も曖昧だ。
いつもは隣に寝ている恋人も、時間が時間だからか部屋に姿がない。リビングにいるか出掛けたか。とりあえず水でも飲もうと立ち上がる。驚くほど体が重かった。

「わ、美味しい。料理上手だね」
「本当?ありがとう」

リビングに続くドアを開けようとしたところで聞こえた声に、留三郎は動きを止めた。二人分の声はどちらも聞き間違えるわけがないもの。ひとつは可愛い恋人の朝子、もうひとつは親友の伊作のものだ。
隙間からそっと覗けば、小さなテーブルに向かい合う二人の姿。テーブルには皿や汁椀が幾つか並び、伊作が箸を運んでいる。
しかし、はて、何故ここに伊作がいるのか、何故彼が彼女の手料理を食べているのか。

(確か、昨日……)

留三郎はずきずきと痛む頭で記憶を辿り始める。昨日、近所に住んでいる伊作が、風呂が壊れたから一日だけ貸してくれと言ってきた。それを快諾して、翌日はお互い休みだからと酒に付き合わせ。最終的に酔いが回って帰れそうにないからと泊めたんだったか。泊めたんだから飯を食ってるのも頷ける。なんらおかしいことはない。
再びドアノブに手を掛ける。留三郎の動きを今一度止めたのは、次の伊作の言葉だった。

「この味噌汁なら毎日だって飲みたいよ!」

――おい待て伊作、そんなプロポーズじみた台詞吐いてんじゃねえ!





食満留三郎とその恋人の朝子が付き合いはじめてから数年、一緒に住むようになってからも数ヶ月になる。互いの両親への紹介もとっくに済ませ良好な関係を築いており、そろそろ身を固めてもいいんじゃないか、孫の顔を見せてくれないものかと親や祖父母にもせっつかれる日々を過ごしていた。
そしてプロポーズをしようと決心をしたのが一ヶ月前。さんざん悩んで給料三ヶ月分の指輪を買ったのが一週間前。プロポーズの決行予定日は一週間後に控えた交際記念日。サプライズにしようと計画を立てては考え直し、プロポーズの言葉のひとつひとつに頭を悩ませ、受け入れてくれるか不安を抱いたり、とにかくあらゆる想いで胸がいっぱいだった。
そんな最中に、この光景である。

(プロポーズ目前に、まさかの親友の裏切りだと……!)

ある意味ハイになっている留三郎には、他愛ない筈の一言でその場面が『親友が自分の恋人に手を出そうとしている』という安っぽいドラマにありそうなシーンに変換された。
人の恋人を口説こうとは親友の風上にも置けない奴だ!留三郎は憤慨する。留三郎の中で伊作に対する評価が2ランクほどダウンした。ちなみにランクの各位としては恋人→親友→友人→知人→顔見知り→文次郎といった具合だ。
当然伊作はそんなことなど考えておらず、完全に留三郎の被害妄想である。しかしハンカチが手元にあったら噛み締めて「ギリッ!」なんてやりそうな留三郎にはそれ以外の可能性など考えられやしなかった。

「ふふ、そう言ってくれるのは嬉しいけど」

部屋に乗り込み伊作を一発殴ろうとした留三郎を三度止めたのは、リビングから聞こえた朝子の声。

「私が味噌汁を作るのは留三郎の為だけだから」

あ、キュンと来た。
彼女の言葉が、特に『留三郎の為だけ』部分が何度もエコーして留三郎の胸に響く。伊作への事実無根な恨みなんて一気に霧散した。
「留三郎が羨ましいよ」なんて笑う伊作に留三郎は心の中で謝る。変な言い掛かりをつけてすまない親友よ、お前がそんな奴じゃないのは俺が誰より知っていた筈なのに。下がったランクも元に戻しておこう。
今度こそ入ろうかとにこやかにする留三郎をまたしても止めたのは、伊作の声。

「ところで、結婚はまだなの?」

……やっぱり1ランクダウンで。


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