平常運転 深月が風邪を引いた。もう少し正確に言うなら、伊作や二年の川西左近、一年の猪名寺乱太郎と一緒に川に落ちて風邪を引いた。保健委員の深月は彼らと共に薬草採りに行き、何らかの不運で川に落ちたらしい。何回同じことを繰り返すんだと頭が痛くなった。 採ってきた風邪薬用の薬草を三年生の保健委員に渡し、その足で食堂に向かう。本来俺が薬草採りを行う道理はないのだが、俺の部屋に左近と乱太郎まで寝ているのだから仕方ない。早く治してもらわねば困るのだ。他の保健委員に任せては、また川に落ちかねないし。 「あら、ちょうどよかった。今できたばかりよ」 「ありがとうございます」 食堂の調理場に顔を出すと、食堂のおばちゃんが鍋をふたつ出してくれた。ひとつは大きな、ひとつは小さな鍋の中身はどちらも粥で、風邪を引いた四人の昼飯だ。 水と大きな鍋と取り皿を持ち、俺はその辺にいたくのたま下級生に小さな方を深月に持っていくよう頼む。くのたま長屋へは立ち入り禁止であり、俺が堂々と持っていくことはできないからだ。 その際渡すよう小さな包みと鼈甲飴をひとつふたつ。包みは風邪薬だった。保健室にひとつだけ残っていたものだ。採取に行ってやったのだからこれくらい許されるだろう。飴は用具委員会の下級生用に用意したものだが、きっと口直しを欲しがるだろうから。 駄賃がわりにと遣いを頼んだくのたまにも飴を持たせ、俺は部屋に戻る。三人分の苦しむ声が廊下にも響いていて、下級生が通ったら驚くだろうななどと考えた。 「ほら、保健委員会。おばちゃんが粥を作ってくれたぞ」 「ありがとう留三郎……」 「ああ待て動くな。俺が取り分けてやるから」 ひっくり返して火傷でもされたらたまったもんじゃない。取り皿に粥を分けてやり、匙と一緒に渡す。「あちっ」それでも三人同時に舌に火傷を負うのだから。用意してあった水を渡して、俺は深く息を吐き出した。 空が茜色に染まっている。随分遅くなってしまった。くのたま長屋に忍び込み、罠には充分注意しながら先を急ぐ。あのあと保健室に行きひっくり返った薬棚を起こすのを手伝ったり出来上がった薬をくしゃみで台無しにされたりとしていたせいだ。 目当ての部屋の天井裏に辿り着くと、二人で決めた暗号を送る。「大丈夫、降りてきて」少し鼻声の深月の言葉に、そっと板を外した。 「大丈夫か?」 「うん、留三郎がお粥と薬を持って来させてくれたから。随分ましになったわ」 「そうか、よかった。夕飯は?」 「さっき後輩が持ってきてくれたわ。皆は大丈夫?」 「ああ、食欲もあるし薬も飲んだ」 筈だ。昼と同じく粥を運んで、後は残りの保健委員に任せてきたから詳細は知らないのだが。深月に余計な心配を掛けるわけにもいかないから、まぁ黙っていよう。 音を立てないようそっと降りる。トン、と足裏に軽い衝撃。深月の傍に腰を下ろすと、赤らんだ頬に優しく触れた。 顔色は随分ましになっている。これなら明後日には元の様子に戻りそうだ。明日には動こうとするかもしれないが、「本調子でないのに動いて、悪化させたり怪我をすることのないように」「ゆっくり治して、元気なお顔が見たいです」という彼女の後輩たちの言葉を伝えたから大丈夫だろう。 「留三郎の手、冷たい」 「お前の顔が熱いんだ」 添えてくる手もな。当然払うことなんか出来ず、気が済むまで好きにさせてやる。反対の手で懐を探り、目当てのものを引っ張り出した。 新しい薬だ。明日の分も先に渡しておく。また見舞いには来るつもりだが、遅くなってしまったら困るだろうと。 今飲む分を水と一緒に差し出せば、添えられていた手が離れる。すっかり熱が移った手が外気に触れて、少し物足りなさを感じた。 深月は薬を飲み下すと、「やっぱり苦いね」鼈甲飴を口に入れる。保健委員のくせにと笑ってやればちょっとばかり拗ねたように唇を尖らせた。その様子に口吸いをしたくなったのは黙っておこうと思う。 「飴ももう少し置いていくか?」 「ううん。それ、作兵衛や一年生たちにあげるものでしょう?今日もらった分で充分よ」 「阿呆、そんなこと気にすんな。飴はまだあるし、あいつらだって深月が元気にならねぇとつまらないだろうしな」 深月を慕っているのは保健委員会だけじゃない。時折手伝いや差し入れに来てくれる深月は用具委員会でも懐かれている。本当は黙っているつもりだったが乱太郎の見舞いに来たしんべヱに伊作が口を滑らせてしまい、ひどく心配させてしまった。どうにか宥めたが、姿を見せるまでは気にし続けるだろう。 「早く元気な顔見せてやれよ」 「うん」 少し辛そうに笑う深月にやっぱり我慢できなくて額に唇を押し当てたのは、さて、どうやって許してもらおうか。 「……で、帰ってきたらなんでもう一人増えてるんだ?」 「お鍋を返しに行ったとき、池に落ちちゃったそうですー」 「ゴホッ、すみません……」 「ああ、もう……伏木蔵、お前にまで伝染っては堪らん、今日はもう帰って寝ろ。くれぐれも転んだりするなよ」 「はぁい。食満先輩はどうなさるんですか〜?」 「………………用具倉庫で寝るか」 ← ×
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