天に笠

・夢主が出てこない
・夢主が非常に空気
・ほぼ滝夜叉丸と喜八郎
・はたして夢と言っていいのか分からない
・そんな感じの滝夜叉丸夢





一、



「喜八郎、穴を掘ってくれ。深く、底が見えないほどのものをひとつ。場所は裏々山の、一番高い杉の木の傍らがいい。木の西側だ。埋める作業は私がするから、頼む」

日が沈む少し前、空が橙と濃紺に混ざり合う頃。
喜八郎が穴掘りを終え地上に顔を出すと、滝夜叉丸がそこにいた。
どうしたのかと首を傾げてみれば、滝夜叉丸からさっきの言葉が滑り落ちる。それを聞いて、喜八郎はこてんと逆側に首を傾けた。
穴を掘れだなんて珍しい。掘るなと言われることは多々あれど、彼からそんなことを言われるなんてはじめてだ。喜八郎が無感動に考えていると「頼む」滝夜叉丸の声が震えていることに気がついた。
ますます珍しい。人に泣いていることを悟らせるなんて。自信家の彼が他人に弱味を見せることなんて、同室者である喜八郎相手にもないことだった。

「いいよ」

喜八郎は理由を問うことはせず頷いた。単純に興味がないからだ。いくら珍しくともそれ以上思うことはない。興味のないことを追及するくらいなら、すぐにでも穴を掘りに行く。
穴を掘るのは好きだから、その理由が何であろうと断ることはない。学園の外で、かつ滝夜叉丸が始末をするのなら、用具委員に五月蝿く言われて煩わしい思いをすることもないだろうし。
穴から出て、愛用の鋤を肩に担ぐ。この蛸壺の名前を心の中で呟いてから、慣れた手順で穴を塞いだ。明日には保健委員か誰かが落ちていることだろう。

「じゃあ、先に行って掘っているから」
「私も行く。すべて見届けたい」
「そう」

やっぱり珍しい。先を歩く滝夜叉丸の背をぼんやりと見つめながら、喜八郎はもう一度首をこてんと倒した。





二、



夕陽は沈み、月の明かりが木々を照らす。忍ぶには向かない夜だった。
そういえば夕食を食べ損ねた、とやはりどうでもよいことのように喜八郎はぼんやりと考える。穴掘りに夢中で食べ損ねるのはよくあることだから、大したことじゃない。食事当番をすっぽかしたわけでもないし、級友たちはまたかと思うだけだろう。
がみがみと叱る滝夜叉丸は此処にいるから、いつも彼が用意してくれている握り飯もないだろうけど。それに対しても思うところはない。一食抜いたところで支障をきたすほど柔じゃない。

「……」

がつん、と鋤が固い音を立てた。ビリビリと伝わる振動は岩に当たったものだろう。
これまでかな、と喜八郎は穴の口を見上げる。ぽっかりと空いている筈のそれは随分と小さく見えた。
あらかじめ用意していた縄で地上へ戻ると、穴の淵に立っていた滝夜叉丸が「完成か?」と問い掛ける。喜八郎が頷けば穴の中を覗き込んだ。

「底が見えんな」
「暗いからね。明るくなったら見えるかも」
「充分だ。朝まで掛けるつもりもない」

礼を言う、と呟いた滝夜叉丸は、用具倉庫から借りてきた鋤の柄をぐっと握り締めていた。力が込められているその手は小さく震えているように見えるが、本人は気付いていないのだろうか。

「喜八郎、お前は先に戻っていていいぞ。部屋でくつろぐ前に土は落とすように」
「はーい」

鋤を肩に担ぐ。この後滝夜叉丸が何をするのかなんてことはやっぱり気にせず、喜八郎は下山した。帰ったら一応炊事場を覗いて、米が残っていたら握り飯にして食べておこう。風呂もそろそろ空いている頃だ。そんなことを考えながら。
背後から聞こえる嗚咽は珍しいと思ったけれど、それでもやはり気には留めなかった。





三、



「おやまあ」

珍しいことが続くものだ。喜八郎はそれを目の当たりにして抱いた感想はそんなものだった。
学園に戻った喜八郎は、まず考えていた通り炊事場を覗いた。先に風呂を済ませていたのか少し遅めに夕飯が出来上がったらしいそこではまだ何人かが食事を取っており、おかずは残っていなかったが米は食べ尽くされる前に確保できた。握り飯にして置いててやるから先に土を落としてこいと追い出され、言われるまま風呂に行き長屋に戻れば部屋の前に握り飯がみっつ。それを持って部屋に入って、握り飯をひとつ摘まみ上げたときに気がついた。
衝立の向こう側、常日頃から綺麗に整頓されている筈の滝夜叉丸の領域に今日だけ乱れが見えた。文机の上に手紙らしきものが、畳まれもせずに置かれている。ほんの少し席を離れるため筆や忍たまの友を出しっぱなしにするときも一々揃えていく滝夜叉丸が、送られてきた手紙を放置するなんて。なんともまあ、珍しい。
どれどれと握り飯を頬張りながら喜八郎は手紙に目を通す。他人のものを勝手に見ることに罪悪感などなかった。
わざわざ漁って読むつもりもないから、滝夜叉丸はその性格を理解して読まれて困るものは仕舞うようにしている。だからこれを読むのは悪いことじゃない。もし詰られたときはきっとそう主張するだろう。
手紙は滝夜叉丸の郷里からだった。手紙の最後に書かれた差出人の名は深月。以前滝夜叉丸から聞いたことのある気がするその名前は、たしか隣家に住む同い年の娘だったか。自画自賛の次くらいに滝夜叉丸の口から出てくるのがその名前だったと喜八郎は記憶を辿る。
もう一度文を読み返して、なるほど、と喜八郎は納得した。この手紙が原因か、と。





四、



滝夜叉丸が深月の話をするとき、締め括りの言葉は必ず『だから深月は私の幼馴染みに相応しい』だった。話はいつも『字が綺麗なのだ』とか『文で私の体を気遣った優しかろう』とか他愛ないものだが、自分以外を認めることなど滅多にない滝夜叉丸が彼女だけは素直な言葉で褒めていた。ぐだぐだと自分語りを交えることもなく、彼女の素晴らしさだけを語っていた。
それはそういう感情に鈍い喜八郎でも『ああその娘に心を寄せているのか』と分かるほど、分かりやすかったのだ。



手紙の内容は、深月の婚姻の話だった。
つまり、そういうことだ。





五、



終わりを告げなくては。
手紙を読んだ滝夜叉丸は、ただそう思った。勝手に流れ落ちる涙をそのままに、震える手から滑り落ちる紙をそのままに、胸の内に溢れる数多の感情をそのままに、心の片隅で育てていた恋心の終わりだけを受け止めていた。
喚かずに済んだのは、いつかそういう日が来るだろうと考えていたから、深月を失う覚悟をしていたからに過ぎない。
忍を目指したその日から、想いを告げることはしないと決めていた。彼女もきっと同じ想いだったと自惚れでなく言えるけれど、それでも通わすことはしなかった。
止めてほしかったのだろう、婚姻を仄めかす文が来たときも、滝夜叉丸は気付かぬ振りをした。だから、この日が遠からず来ることも、分かっていたのだ。
滝夜叉丸は両の目から零れる涙を袖でぐいと拭う。すべては自業自得、泣く資格なんてあるわけがないと自身に言い聞かせながら。

「葬らねば」

今まで捨てきれずにいた想いを、しかし今日こそ終わりにしなくてはならない。今まで送られてきた文も、彼女に似合いそうだと渡せもしないのに買ってしまった髪紐も、彼女に関わるものすべてを想いと共に捨ててしまおう。
郷里と深月に思いを馳せるために立っていた杉の木にももう行くことはできないだろうから、その根元に埋めようか。深く深く、誰にも掘り返せないところまで。
情けなくも震える手と腕では上手く掘れないだろうから、その作業だけは、理由を追求することのない同室者に頼むことにして。



喜八郎が去った後、想いの篭ったすべての品をひとつひとつ穴に落としていく。一度止まった筈の涙が再び溢れ出すのも今日ばかりだと穴の底へ。想いもすべて、地の底へ。
掘り返された土を穴に埋め直し、作業を終える頃には涙の跡も土汚れに紛れて見えなくなった。

明日はきっと、いつもの私だ。





六、



学園に戻り、滝夜叉丸はどうしたものかと考える。風呂に入りたいところだが、すっかり冷めてしまっているだろうし、何より湯も汚くなっているだろう。今日ばかりは水を浴びるだけで我慢するしかなさそうだ。
鋤は明日返すことにしようと決めながら、手拭いを取りに長屋に向かう。喜八郎はもう寝ているだろうか、普段の眠りは浅くない筈だが、とは思いつつも一応気配と足音を忍ばせ部屋の戸を静かに滑らせる。
規則正しい呼吸に胸を撫で下ろし、さて手拭いをと視線を巡らせたところでふと気がついた。
文机の上、暗闇にぼんやりと浮かぶ白。
はたと思い当たるのは手紙の存在だ。恋が終わろうと返事は書かねばと思い、ひとつだけ部屋に残したそれを、一体どうしていただろうか。衝動のまま行動した故に、その辺りの記憶は曖昧だった。
放置していたとしたらなんたる失態。滝夜叉丸は焦りを覚えながらも目を凝らす。喜八郎に読まれてしまっていても既に泣いたことは気付かれているだろうから今更であるし、他者に言い触らすような性格でもないからもう構わないのだが、万が一他者にまで知られるようなことがあればたまったものではない。特に自称アイドルの火器オタクとか、と慌てる滝夜叉丸の目にやっと把握できたそれは、彼にとって予想外のものだった。

「……おにぎり?」

唖然とするが、しかし確かに皿に乗せられた握り飯がふたつ、文机の上に鎮座している。滝夜叉丸の机にあるのだから、彼に食べろということだろう。
確かに夕餉は食べ損ねたが、一体誰が用意したというのだろうか。思い当たる節などないが、夕餉を抜いた理由を知るものはただひとりである。

「まさか、喜八郎が……?」

衝立の向こうで寝息を立てる彼に目を向ける。あの朴念人が、他人が一度食事を抜いたくらいで用意するものか。自分の食事にも拘らない奴が。
手に取ってみると表面は乾いていたが食べられないほどではない。一口食み、食べ進め、ひとつを平らげたときにふと口端が微かに上がっているのを感じた。
手紙は畳まれた状態で机の下に落ちていた。これを読んだのだろうか。今日のことで気を使ったというのだろうか。いや、全くの気紛れなのかもしれない。それでも滝夜叉丸は、確かに微笑えた。

「珍しいこともあるものだ」

明日は雨かと空を見上げる滝夜叉丸に、喜八郎もまた彼に対して同じ意見を抱えていたことは知る由もない。





七、



「それにしても酷い雨だねぇ」
「この雨じゃユリコの散歩も諦めないと……」
「残念だねー……あ、滝夜叉丸くん、喜八郎くん」

朝食を共にした三木ヱ門とタカ丸が長屋に戻ったとき、一室の戸が微かに開いているのに気が付いたタカ丸がその住人の名を呼んだ。
「タカ丸さん。おはようございます」既にしっかりと忍装束を見に纏い、文机に向かっていた滝夜叉丸は、顔を向けて挨拶を述べる。ごろごろと寝転がる喜八郎もちらりと目を向けて間延びした挨拶の言葉を口にした。

「あれ、またお手紙?」
「ええ。我が幼馴染みに祝い事があったので」
「仲良しなんだねぇ」
「何、幼馴染みとして当然のことですよ。では、私はこれを預けてくるので」

腰を上げた滝夜叉丸はタカ丸に一礼し、三木ヱ門と軽く軽口の応酬をすると、ふたりの横をすり抜ける。事務室に預けに行くのだろう。それを見送りながら、タカ丸は「ううん?」少しばかり眉を寄せた。

「どうかしましたか?」
「今日の滝夜叉丸くん、ちょっと元気ないみたい」
「そうですか?」
「気のせいかなぁ。喜八郎くんはどう思う?」
「……さあ?」

タカ丸の言葉に三木ヱ門は滝夜叉丸の後ろ姿に目を向ける。さっきまでの様子も、そんなに変なところはなかったけれど。多少言葉が少なかった気もするが、いつもいつも喋りすぎな分そう感じただけではないのか。まぁ、確かに、何か足りない気はするけれど。
勘違いかと結論づけても納得できない様子のタカ丸に、話を振られた喜八郎はこてんと首を傾げるだけだった。


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