Sの初期症状には、例えば幻覚を見たり、イライラしたり、ソレがわからなかったり。 | ナノ
登場人物は志摩くんと勝呂くんと雪男くんです。グロいです。しますぐゆきです。狂ってます、みんな狂ってます。それでも大丈夫な方のみスクロール。
話の解釈は個人個人でお楽しみ下さい。なんせ私が説明出来ない(笑)


























 「愛しとります、坊」

 そう言って自らの眼前に片膝をついてしゃがみ込み、手を取り瞳を伏せる彼は美しかった。
 愛の言葉と共に恭しく手の甲に落とされた唇に、勝呂竜士は体をぶるりと震わせた。背中を駆け抜けた悪寒が頚椎へ辿り着きひやりと脳の温度を奪っていく。
 伏せた瞳が再び自分を見つめれば、ああもう逃げる事なんて出来ないなと思った。最初から逃げるつもりなど毛頭なかったが、開いた口の奥から覗く尖った犬歯を見つめながら、そんな事をぼんやりと思ったのだ。それが自らの本心である等と彼は知る善しもなく、噛み付かれた痛みに小さく呻いた。
 エナメル質のそれが表皮を破って肉へ突き刺さる嫌な音を立て、その部分が焼けるような熱と痛みを放つ。真っ赤な血がどぷりと溢れたのを見て志摩廉造は至極嬉しそうに目を細めた。
 本来ならそう簡単に食い破られる事のない肌は同じような行為を重ね酷く脆いものとなっていた。治りかけのそこが再び裂かれて、声をあげまいと歯を食いしばり眉間に寄せた皺をより濃いものにすれば、生理的な涙が勝呂の眼球を覆う。
 ああ、坊。ホンマかいらしいなぁ。
 溢れ出す血だけでは物足りなくて、傷口を強く吸う。勝呂の堪えきれなかった母音が噛み締めた口の端から漏れた。それを上目遣いに見上げれば、怯えたような瞳とかちあう。恐怖の色の揺れるその瞳を身を乗り出して覗き込むと、勝呂の瞳の中で死人のような目をした志摩が見つめ返している。
 坊の中に居る俺はこないな顔しとんのか、とその瞳に手を伸ばせば勝呂がびくりと肩を強張らせて瞼を閉じた。その瞬間、志摩の中でカチリと何か嫌な音がなる。勝呂へと伸ばした手が震える。

「坊、今、俺を拒絶しよった?」
「…ッ!な、ちゃう、志摩ッ、ちゃう…志摩!」
「しよったよな今、坊。坊、俺が恐いんとちがいます?そうやろ」
 カーッと顔が熱くなり目眩で視点がぶれる。勝呂がすっと身を引く志摩の肩を掴んで首を振り、必死に否定を繰り返すが、志摩からの返事はない。

「志摩、俺を見ぃや!」

 勝呂が叫ぶように志摩の名前を呼ぶと、志摩がゆっくりと勝呂の目を見た。ほっと息を付いた勝呂が志摩の肩から手を離すと、志摩が優しく勝呂を抱きしめた。温かい腕に抱かれ、勝呂が体の力を抜く、その瞬間、腹に拳を突き入れられて、勝呂は滑稽なうめき声を上げた。

「坊、俺を見捨てんといて」

 床に膝を付き疼くまった勝呂の目に入ったのは志摩の手首の自傷行為の跡で。真新しい傷の増えたそこを見つめながら笑う。
 俺はここに居る。そう呟いてその手をあらん限りの力で握り締める。その痛みに志摩が正気を取り戻せばいいのに、否、志摩はずっと正気だった。
 そう言えば志摩はいつから俺の前だと耳が聴こえなくなったんだろうか。そんな事を思いながら、勝呂はその用無しの耳へ愛を囁く。
 愛しとる、志摩。そんなお前が、俺は、大好きや、志摩、だから俺を離さんといてや。



「勝呂くん」
 名前を呼ばれて目を開ける。臥位のまま横に顔を向けると白衣の『奥村雪男』が居た。辺りを見渡す。見覚えのない白い壁の部屋だ。窓はなく、オレンジ色の蛍光灯のせいか部屋は薄暗い。
「調子はどうですか、勝呂くん」
 何でお前にそないな事聴かれなあかんねん、と起き上がろうとすると、四肢がベッドに縫い付けられ動くことが出来ない。唯一の話し相手である白衣の男に志摩はどこ言ったんや、と尋ねると、男は眼鏡の奥の瞳を細めて笑った。

「    、               。」
 勝呂は首を傾げた。どうやら自分の耳も最早ただの飾りに成り果てたらしい。