昨日の夜、ここに入れられたときはまだ、自分が何者かなんて知らなかったなと思いながら、私はあの広い部屋に足を踏み入れた。
夜だから、果ての見えない天井。ただ闇が続いているみたいだ。
「このさ、棺みたいなのって何なのかな?わかる?」
『っていうか、棺だよ。六百年前……先生みたいに角の生えた子が何人かここに来たんけど、それを入れておくためのものらしいぞ。ルシみたいな人たちが昔来て、魔法使って大量に棺作ってた』
「ふぅん……?なるほどね」
ルシの干渉はあったと考えるべきだな、と私はアタリをつけた。
呪いが成功していたにしても、うまくいきすぎだ。角の子の伝承が生まれたこと、神官という存在が生まれていること。呪いがルシに作用したと考えるほど楽観的ではない。私は力が強いルシというわけでもないから。
「……ところでエース。六百年前のあの一件のあと、何が起きたかってわかるかしら」
『ああー……そうだなぁ。この城から出られないから、外のことはなんとも。それに、気がついたときにはもう結構時間が経っていたんだ』
「そうなの?」
『きちんと動けるようになって、なんとか城から離れてみようかとかいろいろやってみたんだ。そしたら、街が遠くに見えたんだけど、どうも人の姿が見えなくて……何があったのかわからないんだけれど』
「……ふうむ。私もここに来るまで、きちんとした道を通らされてないから、街がどうなってるかは見ていないのよね。じゃあどうなってるかはわからない、と」
『何か気になることでもあるのか?他の人なんてどうでもいいってさっき言ってなかったか?』
「人をどんな極悪非道だと思って……いや、まぁどうでもいいんだけどさぁ。ちょっと気になっただけだけど……ま、どっちにしろ今はどうしようもないよねえ」
そうエースに声を返した、その時だった。
私は暗がりに、光が細く走るのを見て、それをみつけた。
『……先生、これ……』
「……ええ。これは」
透き通るクリスタル。前に通ったときにはなかったもの。
それは、間違いなく、私のかたちをしていた。六百年前のあの日、倒れ臥した私と同じぐったりと四肢を投げ出した姿を。
伝承の一つだ。
ルシは運命の仔だから、使命を持って生まれてくる。その使命を果たしたとき、クリスタルへと昇華するのだと。
それのどこが昇華なんだ、死と同義ではないかと、昔も今も思っている。そして、結果的にそれは正解だったのだろう。私は死んで、クリスタルになった。
死ぬことが使命だったら、笑えるな。そんなことを思いながら、私はクリスタルに手を伸ばす。
触れた瞬間だった。電気が走るような感覚があり、触れた場所から痛烈に白い光が漏れ、一瞬部屋を埋め尽くす。
「あっ、!?」
『先生!』
そこにあったのは、魔力の奔流だった。流れ込んでくる、そうとしか表現できない感覚は暫時続き、糸が切れるよう突然終わった。私は膝から崩れ落ちる。
目の前のクリスタルは、弾けるようにして崩れ果てた。さらさらとすべらかに落ちた粒子は、無風の空気にゆっくりと溶けていく。
『先生、平気か!?』
「ああ……う、だい、大丈夫……今のは……」
私は己の両手を見つめ、目を細める。私の身体に変化としか呼べない何かがあった。今までとは何かが違うのに、それを表現できない。
けれど、何かが変わった後の身体の方がしっくりくる。私は、一つ思い当たることがあった。
「ファイア……」
魔法を唱える。思った通り、手の中には小さな炎が芽吹いた。
『先生、魔法が……!』
「ええ、力が戻ったわね……とはいえ、死ぬ寸前の私は魔力が枯れかけてたから、あんまり……量がないんだけど」
私がエースに力なく笑いかけた直後。
ドンドン、と叩く音が聞こえてきた。
とっさに剣を構える私と、私をかばうように立つエース。音の発生源をたどると、どうも棺の一つから音がしているようだった。
「……待って、なんで棺から音がするの……」
『先生大丈夫、僕ずっとここにいるけどまだ幽霊は見ていない』
「誰も幽霊だなんて言ってないでしょ、あなたの兄弟のいたずらもありえるでしょ……!」
『いや、そんな気配はしないけどな』
私は剣を構えながら、ゆっくりと音のする棺に近づく。近づくにつれ、声らしきものまで聞こえてきた。……くそ、最悪、出せ畜生。最ッ悪!
その声に、私は聞き覚えがある気がした。
「……うそ」
「最ッあ、……おい、そこに誰かいるのか!?開けろ、開けないと殺すぞ!!」
「姉さん、あなたは会話術を学ぶべきだわ……」
つぶやきながら、私は棺の蓋を開ける。思えば、私の棺は運良く転がり出たから開いたけれど、外からこんなにしっかり留め金で留められては中からは到底破れまいな。
棺の蓋を開くと、中にいたのは。
なかなか、どうして。
「クンミ姉さん……」
「あ?……お前、クソガキか?おいおい、何で老けてる」
「……姉さん、どうして……」
片方だけ折れた角に、褐色の肌。顔に白くのびる大きな傷。
それは間違いなく、転生した後に面倒を見てくれた、クンミ姉さんだった。……面倒を見てくれた、って言うと語弊がある気がしてならないが。よく叩かれたし、詰られた。そういう人だった。
けれど、彼女はゆっくりと身体を乗り出して、私の首に腕を絡めて抱きついて。
「逃げろ、クソガキ」
「え……?」
彼女はそのまま、二度と唇を開くことはなかった。
肩にかかる重さがみるみるうちに消え、彼女はがくりとこうべを垂れた。
「姉さん……?」
その頭が、崩れ落ちるように私の肩から落ちた。
高くも低くもない、聞いたことのない音を立てて、頭は地面に転がった。片方だけ伸びた角のきれいに残った、髑髏が。
「……姉さん」
骨と皮だけになった身体では頭を抱えきれなかったから、首がちぎれて落ちたようだった。クンミ姉さんの、白とも金ともとれる色素の薄い髪はぱさついて、地面に舞っていた。
『先生?どうしたんだ?』
後ろから声をかけられて、私は肩を跳ねさせる。エースは心配しきった顔で、私の目をじっと覗き込んでいた。
『突然、棺を開けて……死体なんか取り出して、何してるんだ』
「……取り出した?私が?」
私は、クンミ姉さんの身体を丁寧に棺に戻し、振り返って地面の髑髏を抱き上げる。片方だけ、まっすぐ天に伸びる角。闇の中、うっすらと金色にすら見える。
髑髏もまた、棺にそっと入れた。棺を閉じる。
「エース。あなた、本当にそこにいる?」
彼は問いかけに答えなかった。
何でエースは、私の傍にいるんだろう。あの日、彼は死んだのに。
私はもしかしたら、白昼夢を見ているだけなのかもしれない。
そんなことを呆然と思った直後、異音は空気の震撼から始まった。
ドンドンドンドン!!突然の音が背筋を震わせる。さっきクンミ姉さんがしたように、内側から棺の蓋を叩く音が、四方八方から。慌てて周囲に視線をやる。今、私は一人きりだ。大量のルシに囲まれたらひとたまりもない。
手の中の剣を強く握りながら、私は恐慌状態にあった。息が自然と荒くなる。こんな、こんなところで阻まれていいはずが……。
そう思って立ち上がったとたん、音は止まった。私は戸惑い、立ち尽くす。
と、一面の闇の中、一斉に。
棺が開く音がした。
……ああ、なるほど。
私はただ、これから何が起こるのかを理解した。
「……あなたがたは、私の系譜。私が得てもよかった、母から継ぐはずだった力を残して死んだのね」
ここにいるのは、私と腹を同じくする者たちだから。
「使命を譲り受ける。その、命ごと」
だから許してくれとは、言えないけれど。
開いた棺のそれぞれから、光が漏れる。大きさはまちまちで、大きいものもあれば、闇に溶けそうなものもあった。なんにせよ、それらはまっすぐ私に向かってきて、魂を補填した。
魂継の呪いは、本来このためにある呪いだった。死人から力を譲り受けるもの。魂を混ぜ合わせて、力を誰かに移すもの。私がそれを転生に利用したのは拡大解釈もいいところだった。
成功したんだから、後悔などない。……後悔はない、が。
「……クラサメ、」
今、ここにいない彼に呼びかける。
私は、私たちは、正しかったろうか?
ここに戻ってくるために、そのためだけに、何十人の角の子が死んだのか。私を愛してくれた人の魂までもを、私は喰ってしまった。
これから得るものは、その犠牲に見合う結果なのだろうか?
みんな、私に逃げろと言った。されど私は、戻ってきた。
「……ごめんなさい」
苦しませて、ごめんなさい。
それでも私は。
一つだけ、譲れないんだ。
私はクラサメにもう一度会いたかった。
世界をどんなに血まみれにしてでも、私はあなたに会いたかった。
私は。
…………私、は……。
「エース。あの日のことを覚えてる?」
答えはない。
彼は亡霊だったのか、私が彼に会いたくて作り出した幻影だったのかさえわからない。それでも会えて、嬉しかった。だから彼に話すつもりで、言葉を続ける。
「私はずっと忘れていた。でも今、全てが私の中にかえってきて、怒りに焼かれて死にそうだわ」
私は一人、死地に立って、振り返る。先へ進むためにファイアを散らして部屋を照らすと、クリスタルと化した己の死体があったそのずっと奥に影が見えた。
慌てて走り出し、炎をいくつも灯してその影を照らし出す。
「クラサメ……」
そこには、石像がいた。何かに手を伸ばそうとした瞬間に留められた、男の姿。
ずっと前に恋をして、今でも変わらず愛している人が。
私は彼に縋り付く。
「クラサメ!!クラサメッ……!」
彼の伸ばされた手を握り、跪いて抱きついた。石と化したクラサメはひどく冷たく、心に風を吹き込むかのようだった。
早く呪いを解かなければ、そう思うと同時、私は動けなくなってしまった。
呪いを解く?
それができなくて、六百年もかけて転生したのに?
「……」
……しかし。
今なら、答えがある。六百年かけて分配された母の魔力を、私は今保有している。完全に母と同一とは言えずとも、第一世代に近いレベルでの魔力を行使できるということだ。
でもそんなことをすれば、せっかく集めた魔力がすっからかんになってしまう。一度得た魔力上限に従い回復はするだろうが、時間がかかる。少なくとも数時間、また魔法がろくに使えなくなってしまう。
「謀ったな女王……」
あの性悪女王は、試しているんだろう。自分と系譜を同じくする者たちから命だけでなく魔力までも奪った私が……その魔力を使って女王を殺すか、男一人を石化から解放するか。
試したいのだ。どちらを選ぶのか。
「……、」
ぎゅっと握った指先が、彼の皮膚に触れない。そのことが嫌で仕方がない。
ただそれだけが私をここまで連れてきた。ただそれだけが。……ただ、それだけが。
「……笑わせてくれるわね。そもそも私は、この人に会いたくて戻ってきたのよ。あんたなんか、最初っからおまけなんだから……」
ここにはいない女王に悪態を吐いた。
触れたところから彼の身体に魔力を流し込み、石化の呪いを蜘蛛の糸を解くように分解していく。冷たい石の奥に、光がちらついた。どくんと脈打つ心臓の気配を感じ、そこから広がっていく温度に涙が零れそうになった。
もう魔力なんかいくら枯渇しても構わないとさえ思う。光の奥にクラサメの声を聞いた気がして、同時。
伸ばされていた手が、私の肩に落ちた。
顔を上げる。彼と目が合う。
肩に落ちた手が私を抱き寄せる。
温度が混じる。耐えきれない涙の膜が決壊した。
私は手を伸ばし、彼のマスクに触れる。石化の呪いが解けると同時に、他の付帯した呪いも解除できたみたいだった。
マスクが床に落ちて、高い金属音がした。
「……お前、何で戻ってきたんだ」
「言うに事欠いて第一声がそれかっ!?」
クラサメが呆れた声で言うので。私はとっさにそう怒鳴る。
「もっと、他に……会いたかったとか、何か……」
涙の粒がいくつも落ちて、すぐにそれは頬をしとどに濡らした。それを見たクラサメの目が見開かれる。
困った顔なんて今、しないでよ。そう思ったらまた涙が落ちてきた。クラサメは悩んで、結局私を抱きしめることにしたらしい。安堵する。
最初っからそうしろ、バカめ。内心で舌打ちしながらも、私は彼の肩に額を押し付けた。
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