But it's a bad bet.
(けれど、悪い賭けだわ)


夢主の名前を入力し、変換をクリックかタップしてください。デフォルトだと“ナツメ”になっています。




いつもどおりの夜だ。
少なくともナツメには変化などない。クラサメが車を出すと言うのでそれに乗って、あのアパートに戻って、着替えをすることにした。
ついてすぐ、ナツメはクラサメがいようが気にもせずに服を脱ぎ捨てる。それから、下着を選ぶ。

「……下着に凝る理由がわからん」

「私は男がタイピンに凝る気持ちがわからないもの」

「そうじゃなくて。今日は脱がないだろう」

そんな、極めて個人的なことを平然とあげつらわれて、ナツメは一瞬だけ指を止めた。今日は、なんて。……これはきっとカトルとのことを怒っているな、とすぐ思い至る。
クラサメがどんな人間であろうと、カトルとのことはナツメたちだけの秘密だから仕方がないのに。あのまま普通に付き合い続けていたって、言わなかったろう。

「わからないでしょ、それは。まだ」

だから意味ありげに笑って、持っている中で一番布面積の少ないラ・ペルラの黒い下着を引っ張り出した。クラサメの表情が目に見えて険しくなる。
でもそういうの、もう気にする立場にないので。

ナツメはまた躊躇いなく下着を脱いで、新しいものに着替えた。クローゼットから選ぶのは、ヴァレンティノのプリーツドレス。ルブタンのピンヒールを履いて、バスルームの戸棚を開けた。
取り出すのはシャネルの真っ赤なリップ、マックのアイライナー。仕上げに透明なルージュを載せる瞬間、柄にもなく手が震えた気がした。
気の所為だろうけど。

ナツメ。お前、どこに住む」

「どこって?……適当にアパートでも見つけるつもりだけど」

「……もしかして忘れてるのか?」

「何を?」

「お前の資産は逮捕に基づき凍結されているし、FBI本部から離れた場所に住むこともできないんだぞ」

「……えっ何それ」

「何それも何も……一応今服役中ってことになってる、筈だから」

「う、嘘。……じゃあこの二ヶ月の間に出たシャネルの5番は」

「買えないだろう、そりゃあ……」

呆れているんだか同情しているんだかわからない顔でクラサメが言う。ナツメは震える。
どうしたらいい。クラサメが心配する通り、住む場所もない。「一応月700ドルまでの補助は出るが」700ドルで何ができるんだ、バカ。

「……うちに来るか」

「はぁ?」

「部屋なら余っている。事情があってな。うちなら、捜査官が見張るという面目も立つし」

「……はは。クラサメの、本当の家にってこと?」

笑えた。
じゃあ実は美人妻と五歳の子供が、なんてオチはないと思っていいんだろうか。っていうか、なぜ部屋が余っている?離婚でもしたのだろうか?聞きたくないから、疑念を無視する。

それは置いておくとしても、二ヶ月前まで普通の恋人として生活していたのに、今度はそれを抜きにして二人で住む?
無理に決まってるじゃないか。馬鹿げている。

その場合、自分たちはまた、“ああ”なるんだろうか?

「じゃあ、今日。カトルを逮捕してから。考えてみる」

「ああ。そうだな」

意図的に、浮かぶ疑問を無視した。どうせ、全てが終わる頃には、クラサメはきっとナツメとの生活なんてもう考えたくなくなっている。
わかっていても、ナツメは終わりに向けて進まなければならない。
この男が間違いなく唯一無二だとわかっていても。

ナツメは強く目を閉じた。










カトルは七時半きっかりに現れた。ナツメはいつもどおり、十分遅れて到着する。
すでにワインはデキャンタの中でたっぷり空気と混ざった後で、椅子に座るとギャルソンが音も立てずに近寄ってきてグラスに注いでくれる。

「前菜は?」

「マリネは嫌いだろう、チーズを頼んでおいた」

「ありがと。……なんか、あのぬるっとした見た目の感じが苦手なのよね。誰かが口に入れて、吐き出したみたいじゃない?」

「二度と食えなくなるからやめろ……」

「それは楽しいからもっと言おうかしら」

ブラックスーツが妙に似合うカトルは、ナツメの記憶が確かならもういい年のはずだ。
結婚とかしないのかね、と余計なことを考えかけて、やめる。そんなことになれば面倒だ。ナツメやあの子供を養子にしたいとか言い出しかねないし、それ以前にどこの女であろうとナツメとカトルの関係性を理解しないだろう。
ここに来るまでずっと、クラサメが面白くないとでも言いたげな顔をしていたことには気付いていた。楽しんでも、いた。

私は歪んでいるだろうか?
……そんなの、誰だってイエスと答えるわ。

「それで?二ヶ月、どうしていた」

「ちょっとバカンスかな。正直休暇の使いみちとしては失敗だったわ、逮捕歴のあるレズビアンに絡まれるとは思ってなかった」

「それは……災難だったな」

「なによ、従軍経験あるんでしょ、乗ってくるべきでしょお」

渋い顔で何度か顔を横に振るその様子に笑った。娘の恋愛事情に困っているような顔はやめろと何度言えばわかるのか。
前菜の、オリーブの香りがするチーズと、小さく来られたバゲットを摘みながら、ナツメは浅くため息をついた。ナツメの耳の中のインカムからクラサメの苛立つ声が届いたからだ。『おい、そろそろ』急かすなら、胸元の開いた服で私以外の前に立つなとでも言ってくれればいいのに。
無理か。周りに捜査官がうじゃうじゃいなくても、彼はそんなこと言えない男だ。

私は優しい女だからね。
ふざけた理由をこじつけて、急かされてやることにする。

「そういえばさ。債権の偽造って、誰の発案だったの?この間のやつ」

「ああ……あれは、私だ。計画書を書いたのはな。実行はフェイスとイネスが」

「なるほど、だから出来が微妙だったのか」

自白ならこれで充分だろうと、ナツメは盗聴器のついた腕時計の文字盤を叩いて聞く。インカムから『すぐに行く』と声がした。
それまでの自由時間を、せめてナツメは有意義に使う。

「ねぇ、一つだけわかんないことがあるの」

「何だ」

「私が二ヶ月どこかに行ってた、なんて本気で信じてるわけ?」

カトルは黙る。周囲の席の楽しげな会話や、カチャカチャという陶器の上でナイフが踊る音が鼻につく。

「思うんだけどさぁ。あんたみたいな男が、私やアリアに“護衛”と称した見張りをつけないでおくなんてあり得るのかなぁ?それ以上に、私と連絡が取れなくても放っておくなんて、ネグレクトまがいなことするかなぁ?」

これは、電話の前からわかっていた。
緊急逮捕から一ヶ月以上。この男がナツメを放っておくはずがない。
きっとそう時間を空けず、カトルの手で誰かしらが送り込まれると思っていた。囚人側でも看守側でも。そして、司法取引の指示だか脱獄の指示だかが来るんだろうなと、辟易していたのだ。
それがこなかっただけで、ナツメは驚いた。ちょっとは一人前だと思ってもらえてるのかとも思った。

でも知らない振りは。
端的に言って、“やりすぎ”。

「……前にも言ったことがあるな。賢い美人ほど厄介な人種はこの世にはいない。黒人でもユダヤ系でも関係なく」

「その意味、聞きそびれてたわ」

「人は逆境の中でしか賢くなれない生き物だ。幸せな人間ほど愚かでいられる。賢いということは、その分虐げられて学んだということ。美人が賢くならねば生きられない状況は限られる」

「ふぅん……。思ったより俗な理由だったのね。でもまあ、納得はした」

「ひどい話だが、……お前はブロンドに生まれさえしなければ、まともに生きていけたんだろう」

「……本当に酷い話だわ」

カトルの言葉に、ナツメは笑う。
笑ってから、硬直する。

今、こいつ、なんて言った?

硬直して、しばらく沈黙して、恐る恐る視線を上げる。
カトルは変わらない表情で、ナツメを見ていた。

「……知ってる?」

ナツメは己の唇が震えるのを感じた。

「知ってる。あんた、……知ってる……」

you know, you...know.
その繰り返し。
二の腕に鳥肌が立った。

「何で知ってんのよ!!」

ブロンドに生まれさえしなければ?
髪が金色でさえなければ、一体何が変わるか?

例えば――ニューヨークのど真ん中で誘拐されて、北部の変態に売り飛ばされ数年に渡って“飼われる”ことなど、なかった。
とか?

ナツメは己の声が引き金になったことを、直後に知った。
レストランになだれ込み、カトルを囲む捜査官は見えなかった。ナツメはカトルを呆然と見つめ、カトルもまた凪いだ目でナツメを見つめていた。
血の気が下がって、体温が下がって、……ひどく寒い。その寒さは、あの箱の中の温度に、似ていて。
吐き気がした。

ナツメは椅子に座っている。それなのに平衡感覚がなくなりそうだった。

あの数年のことを知っている人間なんて、いなくていいのに。

吐き気が止まらない中で、ばたばたと騒がしい足音。
静かなレストランの空気を切り裂いて、無粋の代表格たちは揃って銃を構え、インディゴ色のジャケットに黄色で刻印されたFBIの文字を背負い、我が物顔で歩いてくる。

「カトル・バシュタール、中国の国債を偽造した罪で逮捕する。お前には黙秘する権利と、弁護士を呼ぶ権利がある」

カトルは無理に立たされても、ただナツメを見ていた。
その穏やかすぎる目が怖くて仕方なくなった。

どうしてそんなに冷静なの。
もしかしなくても、彼は全てを知っていた?ナツメが思惑の上でしたのと同じで、彼も覚悟の上で今日ここに来たのだろうか?

問う暇など与えられるはずもなく、彼はエミナとカヅサが連行していった。クラサメは、視線を宙に固定させたまま動かないナツメを気遣う素振りで、手を差し伸べてくる。
その手を見つめて、ナツメは己の背筋が震えるのを感じていた。

もしかしてこれは大きなミスではなかったか。
カトルを売り渡すほど、ナツメの目的は尊重されるべきものだったか。
だってナツメが得るのは結局、この安堵の理由だけではないか?

クラサメだけは信用できてしまうこの徹底的な違和感の正体がわかるだけ。
ただ、それだけなのに。

ナツメはその手にしがみつくようにして立ち上がり、反動をきかせてクラサメの首に縋り付き、彼が一瞬戸惑って動けなかったのをいいことに唇を重ね合わせた。ナギが銃を取り落とした音がした。
顔を離せば、混乱ここに極まれりといった表情のクラサメが立ち尽くしていた。

「な、何、何を……」

何って、決まってんでしょ。

「上手にできたご褒美もらって何が悪いのよ?」

あんたのために、世界一私のこと大事にしてくれる人間を裏切ったよ。
さぁ、褒めなさいよ。

ナツメは舌打ち混じりに、そう言った。





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