出ていくためにどんな言葉を連ねたらいいだろう。
私にはそれがわからない。

肌寒い季節、屋上はことさらに寒いけれども、こんな国よりずっと寒い国で育ってきた私にとっては大したことじゃない。むしろ、人の声がしない場所は過ごしやすいとも言える。
ほとんど無風の午後、私は手の中の羊皮紙をただじっと見つめている。

「……思いつかないな」

どんなにどんなに考えても、うまい言葉が見つからない。
さすがに顔を見合わせて告げる勇気はないから、せめて手紙にしようと思った。あなたのことが好きなので迷惑をかけられません、なんて今更どう取り繕っても信じてもらえる気がしない。
面と向かって怪訝な顔でもされてみろ、私はさすがに死にたくなるだろう。そうだろう。自分のことくらいわかっている。

きっと婉曲に書いたって、彼はわかってくれない。直球に書いたって信じてくれない。
そもそも自分でも、誰かに恋をしている自分が信じられないのだ。ナギが知ったら卒倒もんだな、なんてひとりごちる。

何が何でも生き抜かねばと決めたのはもう二十年近く前のことだ。あれから私は、それしか見てない。その世界を崩すものとは、たぶん距離をおくべきなのだ。
私はミリテスという国に、道具として生まれた。道具が人間になるには、どんなに手をつくしたって足りない。


さあ、なんて書けばいい。クラサメに望むことはただひとつ、わかってほしいってことだけだ。
気持ちをただ伝えるための方法を、私は知らない。誰も教えてくれなかった。人を操るには、好意を抱かせるには、そんなことばっかり教え込まれて。

時間はあまりないから、急がなければ。そう思うたびにゆらぐペン先を見つめてため息をついた、その瞬間だった。

「何をしている」

背後からかかった声は妙に呆れの色を孕み、私の背筋をみっともなく震えさせた。
まるで犯罪を見咎められた罪人のごとく、おそるおそる振り返る私の顔にぎょっとして、クラサメは「驚かせてすまない」と反射のように言った。

「だが、冷えるぞ。何をしているんだか知らないが、こんなところでなくても……」

「あなたには関係ないわ」

放った声が思ったよりずっと突き放すような声音だったので焦る。焦って私は何か言おうと彼を見るけれども、言葉がうまく出てこない。
クラサメは怒らなかった。片眉を上げ、浅く息を吐き、私の隣に許可を求めもせず座る。

「何を書いている」

「……なんでもない」

「白紙のままだが、インクがだいぶ固まってやいないか。よほど書きづらいことでもあるのか」

「だから、あなたには関係ないって……」

こんなふうに嘘ばっかりついているから、この人は私を信じてくれないのだろうか。
たぶんその予想はあたっていて、でも本当のことなんていまさら、どうやって話していいかわからない。

結局、率直に聞いてみるしかないのだろうとも思う。なぜクラサメが昨夜のことなど忘れた顔で隣に座るのか、私にはわからないけれど、でも。

「……少し話してもいい?それで、信じてくれると嬉しい」

「それは……内容によるが」

「そうだよね。じゃあ、信じてくれなくていいわ。そういう話をする。でも……一つだけわかってほしい。私はあなたの同情を誘いたいんじゃないから」

それだけは信じていてくれないと、たぶん臆面もなく泣いてしまう。そう思って告げる。

「同情はしなくていい。評価もいらない。ただ、そこで聞いててほしい」

うまくまとめる自信がないから、きっとめちゃくちゃな話になるけれど。
それでも、あなたに話したい。結局は隠しきれない、わかってほしいという欲を消せない。

あなたにありのままを認めてもらえたら。ありのままを愛してもらえることが、もしもあったら。
私は私のありのままを愛せるような、そういう甘ったるい勘違いを振り切ることがどうしてもできない。

要領の掴めない注文を、クラサメはしかし了承した。彼の深い頷きが私に言葉を急かした。


「私はミリテスの生まれだけど、ミリテスの血は一滴も入っていない。ミリテスに閉じ込められた、あるルシたちの間に生まれたの」

「ミリテスに閉じ込められた、……とはどういう意味だ」

「ああうん、そこから話すべきよね。ごめんね先走った」

ルシであることはもうとっくに言ってあった。でも、その先を話していない。

それを語るには、故国の機密を十個も二十個も暴露しなければならないけれど、どうせ信じないと思えば割り切れた。こんな場所で誰が聞いているはずもないのだし、それなら迷惑にもなるまい。
彼が私に興味を持たないのなら、絶対に。

「ルシの里がどこにあるかは知ってるわよね」

「ああ。ミリテスとルブルムの堺、その北端だ」

「立地が悪いのよ。ミリテス並に作物は育たないし。それに、ルシの集まりだから、どっちの国についたってトラブルのもとだった。……そんな中、ミリテスの兵器開発事業が一定の水準に乗った。それで主導権争いの均衡が破れたのね」

もう三十年は前になるだろうか。
そこからは早かった、なんてまるで見てきたように語ったのは、私と同じように育った二つか三つばかり年上なだけの男だった。
私たちの間では、懸命に語り継がれる物語。自分たちはミリテス人じゃない、ルシの血族で、血を繋いでいくことには道具である以上の価値がある……そう信じなければ、いつ集団自殺やらに発展していたか。

「ミリテスはルシの里を武力で圧迫し、ルシたちは屈した。里という体制を守ることが一番大事だと、セツナ様……ルシの里の、いちばん長生きのルシが決めたの。その翌年から、ミリテスが望んだ通り、生まれたばかりのルシたちから魔力の少ないものをミリテスに献上する決まりができた。ミリテスからすれば、ルシの血脈をミリテス内に持ってこられれば、魔法を攻撃の主とするルブルムに圧倒的に優位に立てる。ルシの里は巻き込まれなければそれでいい……そういう利害の一致から、ルシの嬰児を差し出す決まりができたのね」

「お前、待て……待て、なんだその話は……。いくらなんでも陰謀論が過ぎるだろう」

その反応は予想の範囲内だ。ルシの里は存在すら疑われる場所である。ルシという存在がいたことが確認できるというだけで、何の証拠もないのだ。そんな場所に存在する集団と秘密裏に話を取決めている、そんなことおいそれと信じられるほど馬鹿な男だったらきっとこんな話はしていない。

だから、そこが疑われてもいい。けれどそれでは話が進まないので、ここで一度切る。

「陰謀論がねじくれた、そう思ってくれてもいい。もしかしたらこれは真実ではないのかも。それでも私の親は確かに純血のルシだった」

話は、ここからだ。
だから気を遣って、「面白くなるのはここからなのよ」なんて前置きをつけてやったのだが、クラサメの顔はおおいに歪んだ。すでに面白くもなんともないと、その表情は如実に語っていた。




ルシの血族の確保が、ミリテスの狙いだった。
である以上、ルシ同士の交配が始まるのは時間の問題だったと言える。

制度上は機密であり、存在を公に知るものはいない。どこまでも関係者だけで固められた組織に名前はなく、とりあえずは諜報局の所属となっている。
主に階級は血の濃さで決まり、待遇も生まれつき決まっているのだから笑える。

「ルシの里から引き取られたルシは第一世代と呼ばれて、交配にのみ利用されるわ。言語を覚える機会もほとんど与えられず、魔力では決して抜け出せない小さな部屋に閉じ込められて暴行まがいの性行為と出産の繰り返しよ。たいてい擦り切れて、三十年かそこらで死ぬわ」

そこで生まれるのが、第二世代。第二世代からは、他国へのインテリジェンス、つまり諜報行為に使われるようになる。いわば、魔法を使える遊撃部隊。生まれてから二十年も、生きている幸運と恩義を説く洗脳を受け続ければ、どんなに反抗的な子供も優秀な兵士に成り果てる。
けれど第二世代が諜報員として使われるのはせいぜい数年。それがいわゆるリミットだ。特に女であれば、その傾向が顕著だった。

第二世代の戦闘能力はかなりの高水準を保っている。だから一応任務でも利用はするけれど、それ以上にねずみ算としての価値の方が高いのだ。
そう、価値の高さは、女の方がずっと上。男は一日何回だって吐き出せても、女が産めるのは一年に一人だから。

「……待て、それは……つまり」

鋭いわね。
私は笑った。うまく笑えている自信はない。

第一世代と第二世代の女を纏めて“プラント”と呼び、男を纏めて“触媒”と呼ぶ。
第二世代までが、交配の対象である。そう告げたら、クラサメの顔が大いに歪んだ。歪んだが、構わず続ける。

「難しい話じゃないし、おかしな話でもない。第二世代がどんなに役に立つとしても、第三世代……ルブルム人より少し多めに魔力を持つ人間が大量に確保できた方が便利なのは当然のことでしょ。第一世代の段階では数名に過ぎなくても、彼らが各々十人二十人って産まされるのよ。そこで生まれた第二世代にも同じだけ産ませれば、最終的に数百人の規模の軍隊を作れるの」

「……ちょっと待て、待ってくれ。あの男……お前がナギと呼んでいた男と、お前は……プラントがどうのと言っていなかったか」

「盗み聞きは笑えるけど、その話をずっと覚えてるのはちょっと気持ち悪くない?」

「茶化すな馬鹿!」

畳み掛けるように言われて、私は肩を竦める。ちょっとふざけただけだって言うのに。
それから、クラサメからは目を逸らす。顔を突き合わせて話せる内容ではない。

「私は第二世代だよ。諜報員になってからずいぶん経つわ。さすがに潮時でしょうね」

ちなみにナギは第三世代で、生まれた歳が近いこともあってプラント対触媒の優先パートナーであるが、そのことはとりあえず置いておくとしよう。
クラサメは苦々しげな声で唸る。

「……なぜそんなことをいまさら話す。せめてもっと早く知っていれば、潮時なんてものが来る前に知っていれば」

「そんなこと?なにがよ?信じなくていい、陰謀論と与太話よ。そんな真剣に応えてくれなくても、」

「だが事実なんだろう」

あまりにも直球に言われたから、答えに窮した。
事実。そうだ、事実だ。私が信じる、たったひとつの真実だ。

それをまっすぐ事実と断じる、その強さが眩しくて仕方がない。
私の表情とか、昨日のことだとか。そういうものを見て、完全な主観から私の言葉を事実と決めたのだと伝わってきてしまうからだ。たぶん私はこの人のこういう部分に触れて血迷ったのだろうななんていまさら思った。

血迷った。そうあっさり思えるあたり、もう腹に収めてしまっている。二十歳そこそこ超えての初恋なんていう、おそろしく厄介な代物を。

「昔ね、ナギと一緒に訓練を抜け出して、独房って呼ばれてる場所に行ったことがあるのよ。すでに交配だけに役割の絞られた第二世代と第一世代は、狭い部屋一つを与えられて、もう出ることができないの。それが独房ね。ともかく私たちは独房だけがある部屋に行ってみた。“オヤ”っていう人がそこにいるんだって、年上の子供に言われてね」

ちなみに教えてくれたその女児は、今では立派に女性となって、立派にプラントに成り果てている。だからもう、彼女も誰かの親である。

「二人でこっそり、忍び込んだ。独房には、管理のためだろうけど、小さな窓がドアの上のほうについているのよ。ドア自体はきっちりロックされてるから開かないし、私たちにはどうしようもなかったから、その窓から中を覗いてみようってことになった」

そもそも立入禁止を何度も何度も言い含められていた場所だった。だから私たちは焦っていた。早く親ってものにひとめでも会わないと、きっとすぐに連れ戻されるに違いないと思ったから。

「なんでそのドアを最初に選んだのか覚えてない。なんとなくだった。たぶん、何かがあったんだろうと思う。例えば、血が直結でつながっているから魔力の波動が似てるとか……いや、よくわからないけどね」

ナギに四つん這いにならせて、その背に乗って、中を見た。中には自分と同じ色の髪をした女がぐったり俯いて、ベッドに座り込んでいた。腹が大きかったのをやたら生々しく覚えている。

おかあさん?

私はそう呼んでみた。“オヤ”で、女であったらそう呼ぶらしいと、知識として知っていたからだ。
女は弾かれたように顔を上げ、私を見た。そして私の姿を認めるやいなや、目を見開いてこう叫んだ。

「逃げなさい!……って。それだけだった。でもそれだけで充分だった」

私は慌てて飛び降りて、ナギの手をひっつかんで走り出した。騒ぎを聞きつけてやってきたミリテス兵には見つからずに済んだ。後から知ったことだが、幼少の段階で独房に近づいたら殺処分ものだったらしい。当然といえば当然か、洗脳が効かなくなってしまう。

そしてこんなことを知っているのは、私たちの後に同じことをして殺処分をくらった子供がいたからだ。生きているだけで幸運だった、なんて安堵していられるほど、図太くも愚かにもなれなかった。

「……それは、確かにお前の親だったのか?」

「さあ?今更確かめる手立てないから。それに……そうだったとしても、そうでなかったとしても、たぶんあの人は同じことを叫んだし、私も同じことをしてる」

結果から言えば、この一件があったおかげで、私とナギに関しては全く洗脳が効かなかった。どんな極限状態の洗脳だって、あの悲痛な声をかき消すことができないのだから。

そもそも、全員が受けていた洗脳の強度だって怪しかったものだ。なんせ、ただでさえ一度外に出た第二世代は洗脳が解ける確率が高いのだという。だからこそ“独房に至らず、死のう”なんて言葉が未来を言祝ぐ言葉だったりするのだ。ミリテスがいかに必死に掛けたって、洗脳なんざ所詮その程度。
私とナギにとっては、洗脳なんてひとかけらもかかっていないも同然だった。

「私は逃げて、生き抜かないといけない。あれが母だったかどうかは知らない、でも母でもそうでなくても……逃げろって言われたのは確か。私は、あの場所に行きつくつもりはない」

あの狭い場所で、人格を犯され続け。
これから犯される道具を、これから犯す道具を産むためのプラントに成り果てるのだけは、絶対。

私がそう言い結ぶのを、クラサメはじっと聞いていた。心なしか顔がいつもより白く、血の気が引いているように見える。
怒っているように見えはしたが、突然こんな話をした私に怒っているのか、私が置かれている現状に憤ってくれているのかはわからなかった。

そうして、暫しの沈黙が落ちた。
クラサメが無言の気まずさを打ち破る細やかさを持ち合わせているとまでは期待していないので、私からいなくなってやるべきだろうと思って立ち上がる。

「だから私は逃げるの。逃げれば、私一人だけじゃない、逃げられなかった連中だって少しは浮かばれるかもしれないと思うから」

最後の一言は欺瞞が混じりすぎていただろうなと僅かに自己嫌悪。そんなこと、結局はどうでもいい。連れていきたい言葉も想いも持ち合わせていない。それは引け目かもしれないし、そうでもないのかもしれない。
どうにしたって、私は自分以外のために生きることすらできないのだ。そんな未完成で、毒にしかなれない人間だ。もうずっとわかっている。

ともあれ私は立ち上がる。羊皮紙とペン類を取りまとめて去ろうとする手を、唐突にクラサメが捕らえた。

「    」

彼は名前を呼んだ。この潜入にあたり使っただけの名前のくせに耳によく慣れていて、私はあっさり立ち止まる。

「……は、本名か」

「え?」

一瞬、何を聞かれているのだか戸惑った。数瞬置いて、その偽名が本名かどうかを聞かれているのだと気付く。
間をもたせるにしてもなかなかに下策だなと思いつつ、私は微かに首を横に振った。

「違う。本名、という意味で言うなら、私は名前なんて与えられてない。呼び名は七型ニ号。できるだけ互いをそう呼ばないようにしてはいるけど、第二世代にあだ名をつける権利はないの。第三世代は管理しきれないから、流されてしまってるところあるけどね」

価値が下がるほど自由が認められるなんて笑える話のはずなのに、クラサメは笑ってくれそうにない。だから、とりあえずその笑い話は口に出すのはやめておく。

「……じゃあ、なんと呼べばいい」

クラサメは妙に真剣な目で、じっと私を睨み上げた。もしかしたらこれは睨んでいるのではなく、ただ真剣な顔をしているつもりなのかもしれないなと思った。

「私のことなんて呼ばないのが、きっと一番の正解だと思う」

「逃げるなと言ったら、お前はどうする」

意味の通らない答えを返されて、私は戸惑いぽかんと口を開けた。これだけの話を聞いて、そういうことを言うか。

「逃げるよ。危ないもの。一人で戦うほど私、強くないもの」

「私が守る」

強く宣言されて、私は暫し固まってしまう。
理由がまるでわからない。

「私が守るから、お前はここにいろ」

「なんで?……かわいそうだから?」

自分の声が、あまりに優しげで、私は自分で戸惑った。クラサメも僅かに目を見開き、言葉を探しているように見えた。その真剣な視線を見てしまっては、もう、その言葉に甘えるなんて選択肢はなくて。

「私、あなたにだけは守ってもらいたくない」

だから、真剣な顔をして私を見つめてくれる人に、せめても誠意を返そうと思う。私の人生になど、どうか巻き込まれてくれるなと。
一度は巻き込もうとした相手に何を白々しい……それでも想いは真実だから、必要以上には語るまい。

今度こそ私はその手を振り払い、屋上から立ち去るべく気配を振り払うようにして歩き始めた。
言いたいことは伝わったと思う。私がどれほど厄介か理解できただろうし、困難の中にある女をそれだけで救いたがるほど阿呆でもないと思う。もし彼がそういう阿呆だったらどうしようと思って、……それなら惚れたことなど撤回してしまえばいいか、と苦笑する余裕は若干でも残っていた。






Back
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -