いよいよもって、おかしい。
私は目覚めと共にそう思った。
私はこの城にいて、子どもたちの先生で、クラサメの同僚だった。さっき見た夢の続きだった。
あれは誰の夢なんだろう?
私は隣のクラサメの体温を感じながら立ち上がり、伸びをして周囲に視線をやる。まだ昼の陽気。今度も、大した時間眠っていたわけではなさそうだ。
「……何なんだろ」
体の動きにさからえず、気がついたら眠っていた。この石のベンチは、座ると強制的に眠らされてしまうらしい。空気の中にもしかしたら何かが潜んでいて、私をむりやりに動かしているのだろうか?そんな魔法、聞いたこともない。
魔法なんて、ルシさまぐらいにしか使えないものだ。
「もう、いいや」
考えるのはやめる。クラサメもまた立ち上がって、私の手を取った。助けてくれる人がいる。
なんだか色々わからなくなってきた。頭が働く気がしないし、体も言うことをきかない。
きっとこの城がおかしいのだ。この城を出さえすれば、元に戻るはず。
私はクラサメに連れられ、トロッコの線路を進んでいく。朽ちた線路の間を踏むと、時折革靴の先端が引っかかって音をたてた。
線路の終わり、積まれた資材の間を通って、下り階段に差し掛かる。階段を降りると、城の外壁に出た。どうやら、先ほどのトロッコは城の外壁工事のためのものだったらしい。
でなければ、城壁がところどころ崩れているはずがあるまい。
「これ、先に進めないよね?」
「……」
またさっきみたいに体が勝手に動かないように、私は必死に身構えた。けれど、いくら待てども体は硬直したままだった。どうやら大丈夫そうだ、とほっと安堵を吐き出したとき、クラサメがするりと私の手を放した。
「クラサメ?」
彼は一瞬振り返ったものの、立ち止まらず先へ進んでいく。どうしたのだろうと追う目の前で、彼は欠けた外壁部分を飛び越え、欠けてないところまで飛んだ。そして振り返り、手を差し伸べる。
「……いやいやいやだからなんであなたは自然に私に同じことができると思ってるの……」
今度は、体は勝手に動かない。私は数秒立ち止まり、覚悟を決めた。
外壁は縦にえぐれるようになっている。失敗して横に転げれば、かなりの高さを落下することになる。まず命はあるまい。
だが、ここを超えねば先に行けないのだろうこともわかっている。
私は数歩下がり、助走をつけ、跳んだ。
クラサメは伸ばした手で私の腕を捕まえ、完璧なタイミングで私を引いた。結果として、クラサメを巻き込んで倒れこみはしたものの、跳躍は成功した。
「っは、あー、もう!こわい!」
「……」
「あ、ごめんね、どくから」
私がクラサメの上から退くと、彼は壁に手をついて立ち上がる。彼は私を置いて、またすたすたと先に進んでしまう。配管の上をとんとんと小さな靴音を立てて歩き、姿はさっと見えなくなってしまった。
「……おこってる……?」
もしかして、さっきから私ばっかり危険から逃げようとしてるから怒ってるのかもしれない。私は立ち尽くし、スカートをぎゅっと握りしめた。
クラサメに見捨てられたら、私は。想像するだけで、心臓がぞくぞく嫌な音を立てて鳴って、足元が抜け落ちそうに思った。どうしてだろう。ここに来たばかりの私は、一人だった。誰かを頼るなんて、考えもしなかった。それがもう、彼がいないとどうしようもなくなっている。
どうしよう、追いかけないと。そう思って配管の上に靴を載せた、その瞬間だった。
ぎこぎこぎこと、錆びた金属をこするような音がして、はっと顔を上げる。すると、大きな木箱をぶら下げたクレーンの鎖が伸び、ゆっくりと降りてくるのが見えた。それは私のすぐそばで止まる。
顔を上げると、クレーンの操作盤でもあるのだろう、城壁から張り出したバルコニーのような場所に、クラサメの黒いコートが見えた。
「く、クラサメ……」
クラサメはそこから飛び降り、木箱の上に着地すると、先ほどと同じようにまた私に手を差し伸べた。私はとっさに、その手を目指してまた跳んだ。木箱の上で、今度こそ危なげなくクラサメは私を受け止めてくれる。そして木箱を足場に、また先へクラサメが飛び移り、当然のように手を伸ばして私を待つ。
彼は変わらず、私を連れて行く。何の役にも立たない私を。
「ねえ、どうして私を助けてくれるの?」
理由がわからない。考えても、考えても。
この問題だけは、考えないわけにいかないと思うから、私はクラサメを見つめている。
けれどクラサメは答えることができないから、僅かに俯くのみだった。
彼はまた、私の手を取り、私を連れて先へ進む。どうしていいかわからないくらい、微弱に伝わる体温に全てを預けてしまっている。
手を引かれて、すぐそばの大きなドアをくぐった。どうやら城のメインホールか何かの二階部分への入り口だったらしく、そこは今まで見てきたどんな部屋より広い部屋だった。天井も高い。
二階は通路だけのフロアになっていて、中央は吹き抜け。城なんてものの知識に乏しい私でも、きっと社交の中心だったんだろうなんてことは想像がつく。
二人でその中央を通りぬける。灯りの差し込む窓は部屋のずいぶん高い場所にしかなくて、地面は夜の水たまりみたいに真っ黒だった。
だから、その影が現れたとき、私は驚かなかった。
『……一体どうして、戻ってきたんだかな』
小柄な影。低くも高くもない、少年の声。彼は闇の中に立ち、私を見ていた。
「あなたは……」
『オレはエイト。ちなみに、槍を持っていたのがナインで、銃を持ってたのがケイトだ。あんたはオレたちのことを覚えていないんだろう?』
「覚えてないんじゃない。そもそも、知らないの」
そう答えながら、違和感もあった。その名前はどこかで聞いたような。
けれどなぜ彼らは、私が彼らを知っていると思うんだろう?
クラサメも、出会った瞬間から私を知っているみたいだった。まるで疑ってもいない態度で。
『でもな、あんたのことだから。そこまで含めて作戦かもしれないし。本当に覚えていないのか、覚えていなければオレたちが騙されると思っていたのか。何にしても、そういう奴だ』
「……私に似た人は、ずいぶんひどい人だったのね?」
私が問うと、影は肩を竦めた。ひどく表情を歪めたような気がした。
『……それは……少し、違うかもしれないがな』
「違う?」
『ひどい奴……それも、確かだけど。でも、それだけじゃないんだ』
口ごもるエイトは、戸惑っているように見えた。私に似ているその誰かを悪く言われたくない、そんな雰囲気もあった。
『……もういい。オレだって、考えるのとか説明するのは得意じゃないんだ。あんたらを殺して、平和を取り戻す。できるのは、それだけだ』
けれどそう言って彼は拳を構える。武器は持っていないようだ。しかしクラサメはあからさまに警戒した。クラサメも、今は武器を持っていない。廃材をわざわざ持って移動しない。思えば、ナインとケイトというらしい、あの二人と交戦したときだってその場にあったものを使った。彼は、これまで警戒という警戒をしていなかった。
なのにエイトには、警戒心をあらわにしている。それだけ怖い相手なのだと、私でもわかった。
「く、クラサメ……!」
「……」
クラサメは私を後ろに追いやるようにした。私はその手に押されて軽くふらつき、直後にはエイトがクラサメの目前に迫っていた。
「あっ!?」
私の喉奥で悲鳴が上がるその目の前で、エイトが凄まじい速度でクラサメに攻撃を叩き込む。別段長身なわけではないクラサメより更に小柄なエイトは、クラサメの間合いの中に簡単に入り込んでしまう。
クラサメは後退しながらそれを簡単にいなしてしまうが、エイトの速度は止まらない。
「だ、だめだ……」
これを放っておいては、だめだ。エイトは肩を丸めるようにして、ひたすらに攻撃を繰り返している。あれでは、クラサメの攻撃がまともに当たらないのだ。
私はすくむ足を叱咤して、武器を探して走り出す。なんでもいい。クラサメが間合いを保てるのであれば、どんな武器でも。
暗い床の上を、足を引きずるようにして走りながら、私は血眼になって武器を探した。木片ぐらいしかない。
が、不意に壁に燭台が掛けられているのに気づいた。これなら長さも、殺傷能力も十分そうだ。
「う……はず、れないっ」
ねじが深く突き刺さっていて、引き抜こうにも力が足りない。私は足元の小さな瓦礫を拾い上げ、ねじを叩く。がつんがつんと音がするうち、手が勝手に動いているんだか自分で動かしているんだかわからなくなってきた。
「あ、あ、あ?」
指先が痛い。喉の奥がひりつく。もういや、痛い、やめて。他の武器を探すから、止まって。
けれど、何かが私を急かしている。
クラサメを助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ。もうあの人を失いたくない、もういやだ。もう繰り返したくない……。
そう祈って、瓦礫を叩きつける。瓦礫はとうとう、いびつに割れた。同時に、ねじは外れ、燭台は緩んで斜めに倒れる。私は掴んで、その燭台を引き抜いた。
「く、くら、くらさめ、クラサメを、」
助けなきゃ。私が。
もういやなの。
私はためらいのない足取りで走り出した。見たことのない速さで世界が通り過ぎていく。足が長くなったような錯覚があった。
クラサメに弾かれ、再度振りかぶろうとする、エイトの背中に私は迫る。
『んなっ……!?』
直前で振り返った、エイトの頭目掛けて。
私は燭台を振り下ろした。
ああ、もう、いやだなぁ。
そんなことを、思った気がした。
「っは、はぁ、はぁ、は、はぁ……っ」
エイトは空気にとけるように、音もなく消え去った。私はといえば、気がついたら激痛の走る指先とがくがくする足、干上がった喉を抱えて立ち尽くしていた。
わけがわからなかった。
「く、クラサメ……」
「……」
クラサメも呆然と私を見下ろしていたが、不意に手を伸ばして私のぼろぼろになった手を取った。ところどころすりむけて真っ赤になった手を、彼のグローブに包まれた指先がなぞる。ひりひりと痛みが走った。
「あ、あう、いたた……」
「……」
クラサメは眉根を下げ、すまないと言いたげな顔をした。私はそれが辛くて、ぶんぶんと首を横に振った。
違うの。あなたに、そんな顔をしてほしいんじゃない。
「……私、おかしいな」
私はこの人のことが、好きなのだろうか?
もうよくわからない。好きだったのか、好きなのか、それは本当に私なのか。
この城が、全てを狂わせているような気がする。
「……」
「ああ、ごめん。行こうか」
私はクラサメの手を握る。と、クラサメは目を細め、時折振り返りながら歩きだした。足の震えは、もうおさまっていた。
部屋の外に出ると、光が目を刺すように眩んだ。大きな降り階段と、壁に小分けにされた庭。きょろきょろと視線を彷徨わせると、また石のベンチがあった。
私はクラサメの腕をそっと引き、そのベンチを指し示すと、クラサメも浅く頷いた。
ひどく疲れている。そんな時間は無いと解っていながらも、私は休みたくて仕方がなかった。
ベンチに腰掛けると、肩や足からすっと力が抜けた。私はクラサメの肩に額を押し付け、深い眠りへと落ちていった。
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