仕事を始めて、数か月が経った。私は教師として完全に馴染み、知り合いもたくさんできてきた。容姿に割りと恵まれている自覚はあり、そのせいか多くの女官とはあまり仲良くなれそうにない距離感を保たれていたが、女王の子どもたち付きの女官には私を友人と呼ぶような人間すらいた。付き合いがあまりよくないこと、身持ちも今のところは固くしていること、そういったことが真面目な印象を与えたらしい。実態はかけ離れているけれど、好印象を持たれているなら訂正する意味もない。

憲兵に数名、適当な男も見繕った。任務が終わったら、駆け落ちでもしたふりをして消えるのが一番良い。田舎の出身で、探すような家族の少ない独身が狙い目だ。手紙でも残して駆け落ちを装って、そいつを殺して隠せばとても簡単。そいつらには偶然を装って接触済みだし、どうとでもなるだろう。

「(って脱出用の計画は練り終わってるのに肝心の調査がまるで終わってないっていうね……!)」

私の仕事は、女王の魔法の調査だった。
女王は明らかに、何か隠し玉を持っている。というのが、ミリテス諜報局及び軍の総意。女王が隠匿する魔法兵器を探しだし、攻略法を編み出す最善手を見つけること。そのために私はここにいる。
それなのに、まだ女王がそんなものを所持しているかどうかさえわかっていない。城のほぼ全てを把握し、隠し部屋や用途不明の部屋が無いことまでわかっているにも関わらず。

「(……もし。うまくいかなかったら。私は、今回でおわり。次なんて無い。私は私のために、結果を出さなきゃならないのに)」

もうすぐ夏。
苦手な熱気がすでに空気に潜んでいるのに、ざわりと寒気が肌を舐める。
時間が足りない。命と時間の綱渡り。使い捨ての道具であり続ける、それだけが、私が私で在る方法。

「先生ー!!」

今日の仕事を終え、昼の日差しを浴びながら窓の傍をゆっくり歩いている私を、後ろから呼び止める声があった。振り返ればそこには、女王の子供たちのひとりが息を切らせて立っていた。

「エース、どうしたの?」

「そ、それが、ちょっとまずいことに……悪いんだけど、ついてきてくれないか?」

「ええ、構わないけれど?」

言われるがまま、先ほど出たばかりの彼らの教室へ戻っていく。そういえば、貴族の子女が学ぶ部屋は別にあり教師も別にいるのは不思議なことだ。女王が子どもたちを溺愛していることは有名だし、だからこそ専任の教師をつけているのだとも聞いて知っていることだけれど、それでも十二人もいるのだ。全員を大事にする必要はなかろう。何人かはどこかへ嫁いだり婿になったりするだろうに、他の貴族たちと親交を持たせないものだろうか?


エースの後を追い、教室へ入ると、なぜ呼ばれたのかわかった。彼らは輪を作るように立ち尽くしていて、中央には真っ白な顔の倒れた二人、サイスとナイン。傍らに座り込む傷だらけのエイト、その隣に青い表情のケイト。
真ん中から叩き割られた机、破れた本、割れたグラスとインク瓶。

「これは……」

「その……ナインと、サイスが、ちょっとしたことで仲違いを……」

「それでその、乱闘になってしまって、なんとかエイトが止めたのですが……」

「私たちも避けるのに精一杯でして、結果としてこんな惨状になってしまった、というわけです」

途中から、クイーンとトレイが説明を引き継いだ。どうやら、その直後に私を呼びに来たらしい。
私の授業が終わって直後の乱闘騒ぎ。次の授業はクラサメのもので、こんな事態がばれたら間違いなく全員説教。マザーにも怒られる、と泣きそうな声でシンクが言った。

私はとにかく、倒れている二人に近づき脈を取り瞳孔を確認した。問題ない、脳震盪だろう。それからエイトの傍で回復魔法を唱え続けるケイトの隣に膝をつく。

「せ、せんせ、魔法ぜんぜん効かない……」

「混乱してるからよ。私が代わろうか?」

「いや、いい。オレは傷も多くないし」

大きな青あざを顔に作っておいて、そんなことを言う。エイトとケイトは親交も深いらしいから、邪魔しない方がいいかもしれない。
私はケイトの腕に触れ、背を叩いて落ち着くようにさせた。回復魔法は簡単なものではないが、ケイトは子どもたちの中では魔力の扱いに最も長けているから、これくらい簡単なはずなのだ。動揺さえしていなければ。

ケイトは数度目の試行で、それを成功させた。エイトの顔からゆっくりと、青いあざが消えていく。痛そうに顰められていた目が開かれ、ケイトがほっと息をつく。
さて。

「まずこの二人を、キングとジャック、分担して部屋に運んで。クイーンとデュースはそれぞれついていって、回復魔法を。きちんと引き離してから回復させて、今日はふたりとも部屋から出さない方がいいわ。机は仕方ないから、……そうね、インクと本だけ片付けましょう。机は、水で滑って、ナインが転んで、勢い良く倒れこんでしまったことにする。幸いにも二人がけの机一つしか壊れてないから、今日のところはなんとかなるでしょう。サイスはそれに巻き込まれただけ、昏倒してしまったので私が急遽処置をして部屋へ運ばせた。いい?」

「……え」

「本は誰かの部屋に一時移して、後で焼却炉に持っていけばいいわ。わかったら、さあ!キング、ジャック、二人を頼むわね。あとのみんなは片付け、早く。本をまとめて、誰かの部屋に隠すの」

彼らがぽかんと大口を開けたのにも構わず、私は廊下に出た。一番近い女官の仕事部屋へ向かうと、雑巾を借りて部屋へ戻る。先ほど言いおいた通り、数名は姿を消して残りの彼らはすでに作業を始めていた。
私は床に膝をつき、雑巾で床を拭う。それから割れたグラスの破片を壊れた机の傍に移し、他の机にあった水の入ったグラスを持ってきて新しく水を零す。がたがたに並びの歪んでいた机を正しく並べ直し、割れたインク瓶と破れた本を全て、子どもたちが運んでいく。どうやら話し合いの結果、ナインの部屋に運ぶことに決めたらしい。サイスでもいいのだろうが、サイスだと後々面倒くさい可能性があるとして、ナインに押し付けられた。力関係が目で見えるようだと私は笑った。

生徒たちが全て戻ってきたところで、時間切れになった。ぎりぎりで間に合った。

「……これは、一体何があった?」

「くっ、クラサメ……先生……」

ドアの近くにいたケイトが、飛び上がって悲鳴混じりに彼の名を呼ぶ。私も立ち上がって、振り返った。唯一の同僚である割に全く交流のないクラサメがそこにいた。

「私が説明します」

私は困ったように笑って、立ち上がる。クラサメと目があった。

「実は、授業が終わったところで、私が誤ってグラスを叩き落としてしまいまして。その水で滑って、ナインが転んで机に思い切り倒れこんでしまい、こんなことに。その上、近くにいたサイスまでもがその転倒に巻き込まれ、今二人は自室で休ませています。大変な騒ぎになってしまいましたが、元をたどれば私のミスです。どうか午後の授業を二人が休むのを許していただけませんか?」

「……そうか、ならば仕方あるまい。では、授業に入る。全員、着席するように」

立ち尽くしていた子どもたちに視線をやり、クラサメは教壇に立った。私は一礼して、部屋の外へ出る。机に関しては、備品係に報告すればすぐに新しいものが用意されるだろう。私が原因だと言ってしまった以上、私が動かなければならない。



備品係への報告だけ済ませた私はサイスの部屋を訪れる。回復魔法をかけられた後で、彼女はすでに目覚めていた。

「……何しにきた」

「ちょっとしたお説教に。だってほら、今回の件を知っているのは私だけだからね」

「ふん、あんたみたいな新参が何言っても説得力のかけらもない。あたしが話を聞くとでも?」

「ええ、聞くわよ。だって私に借りがあるでしょう」

そう言うと、彼女はぐっと喉を詰まらせた。私は片眉を上げる。
サイスとナインの起こした騒動から、他の子どもたちを守ったのは私だ。サイスだって、彼らに迷惑をかけることは本意ではないだろう。

「何があったのかは知らないし、別段興味もない。でも、彼らに迷惑をかけちゃだめね。エイトとケイトに謝って、あなたを運んだジャックとデュースにもお礼を言うこと。私からのお説教は以上よ」

簡単に言って済ませると、サイスは意外そうに顔を上げた。

「……それだけ?」

「ん?ええ、これだけだけど?」

「……あんた、変な先生だね」

サイスは俯いて言う。白銀の髪は今は解かれ、はらはらと頬に掛かっている。

「ありがとう」

蚊の鳴くような声で、サイスはそう言った。
子供を騙すのは、とりわけ罪悪感を覚える行為だ。

「どういたしまして」

でも、嘘でも笑うのには慣れてるから。












この一件以降、私は子どもたちに慕われるようになった。
まぁつまり、甘いだけの私の教育が彼らには新鮮だったわけだ。彼らは妙に懐いて、私を見かけると駆け寄ってくるようになった。まだ十五歳にも満たないくらいの子どもたちだが、ここで育っただけあって城のことには精通していた。わかったこともいろいろある。
彼らは実は養子なのだということ。女王は子供を欲しがらず、代わりにルブルム各地から子供を十二人も集めて育てているのだとか。
そして、女王は偉大な魔法の使い手であり、じきじきに魔法を習うこともあることだとか。

「なぁ先生、さっき図書室でルシの本見つけたんだけどさ、ルシって結局なんなんだ?“角の子”ってなに?読んでてもよくわかんなかったんだ」

「ルシっていうのは、ある女性を始祖に持つ一族のことみたいね。この間クイーンにも聞かれたから調べちゃったわ。でも里に引きこもっているから、詳しいことはやっぱりわからない。クリスタルを信奉する神官の集団なんですって。それから、“角の子”っていうのは……」

穏やかな午後の日差しの中、私は中庭で子どもたちに話をしている。あまりにもゆっくり過ぎていく時間が、私の心を安堵させる。
守られているような、妙な安心感。ずっとこのさなかにいられるなんて、私は彼らが羨ましくもあり、認めたくないことだが、大切でもあった。

「……“角の子”っていうのは。ルシの一族にはね、極稀に角が生えた子供が生まれるって伝承があるのよ。まぁ、外界にはあまり伝わってないみたいで、詳しいことは私も知らないんだけどね。そういう子供は凶兆の証として、クリスタルに生け贄として捧げられちゃうらしいわよ?」

「うわルシ怖っ!」

「生け贄って発想がもう怖いよね」

「でも先生、そんな話本のどこにも出てなかったよ?何で知ってるの?」

シンクが首を傾げて聞く。私は一瞬答えに窮した。
それでも幾ばくの時間を開けず、私は彼女の疑問に答える。

「……そうね、不思議なこともあるものだけど。世の中には、ルシの里に行ったことがある、なんて人もいるのよ」


――あの里に関わらないで済むなら、きっとそれに越したことはないだろうに。




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