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ニ週間が経っても、ルカは目覚めなかった。そのうちに、医師の負担があまりに大きすぎたこともあって、シドは医師を増やすことにした。モンスターとの交戦なども多く、騎兵隊の負傷もコクーンにいた頃とは段違いだったためだ。目覚めないルカの診察だけを続けさせるわけにはいかなかった。
新しく増やした医師は年配の女性医師で、当然専門は内科だ。心療内科も考えたが、目覚めてもいない人間のストレスを癒せる医師などいなかった。自発的にいつか目覚めるというのなら、それまで身体の調子を診てくれるだけでいいと思った。

話しかけても返事はない。瞼は閉じられ、瞬きさえなかった。最初の数日は揺さぶってみたりといろいろしてみたが、そのうちただ隣で待ち、時折話しかけるばかりとなった。
ルカが目覚めないのが彼女からの罰なのだとしたら……待つのも償いかもしれないと、思ったから。彼女にはそんなつもりはないとわかっていて、そう思ってしまう。耐えれば耐えるほど、罪が雪がれるかのような身勝手な幻想を、しかし否定はできなかった。

結局何週間経っても何ヶ月経っても、ルカは目覚めなかったけれど。





それから一年が経った。ルカはまだ目覚めない。日暮れの執務室、今日は仕事もそう多くない。

最近の奇妙な事態といえば、魔法を使える人間が各地で認識されはじめたことだ。最初はルシ化かと思われたが、ファルシへの接触がほとんどない現状ではそれも考えにくく、烙印も見つからず、また同時に多くの人間が力を得たことから結局大した対処をすることもなく看過されている。それを利用した犯罪でも起きればまた規制する必要もあるのだろうが、今のところ大きな問題はない。
シドの周囲でも、ナバートや数名の兵士が魔法を使えるようになってきていた。初めて力が顕現したとき、ルシたちをその力を理由に殺害しようとしていたナバートは酷く取り乱したものだが、ロッシュが結局なんとか落ち着かせたようだった。シドはそれを詳しくは知らない。どうでもよかった。
シド自身、ルシだった頃には及ばないとしても、驚くほど強い魔法を行使できるようになってしまったから。彼自身、戸惑っていたのだ。使う機会の無い仕事でよかったと、一人胸をなでおろしたものである。

暫定政府では、アカデミーという名前で正式な政治組織を編成することが決定した。暫定政権には関わりを持っていたシドだが、ここでそこからは離脱することとなる。リグディは怪訝そうな顔をしたが、シドは騎兵隊を見て己を理解していた。己一人がリーダーとなるのは、こと政府であれば好ましくない。まして最後の聖府代表であったシドや、最大の警備軍部隊だった騎兵隊をコクーンの遺物とする声も未だ多少あった。シドが矢面に立つのは誰にとっても良いことではなかった。
シドは広域即応旅団を正式に騎兵隊と改名し、民間機関として設立し直し、そのトップとして続投していた。市民のために働くのは変わらない。これまで以上にパトロールを強化し、生活空間の開拓を第一とした。騎兵隊の司令であることだけを己の立場とし、シドは政府とは積極的に関わらないことを決めた。
代わりに、アカデミーに新しく併設された議会には名を連ねた。基本的に空の上であるから、特に重要と思えるときだけ顔を出すだけであったが、議会はうまくやっていた。己の仕事は、新しい政府が間違いを犯さないように見張ることだと思っていた。

と、リグディが数回のノックの後、返事も聞かずに飛び込んできた。気安いにもほどがあるが、まあいいか。もう軍隊ではない。

「閣下、南部で通報が!大型モンスターが相当数出現したと」

「そうか……距離は」

「ざっと40キロってところですかね……飛空艇を幾つか出しますか?」

「そうだな。中規模でいいだろう」

リグディはすぐさま踵を返し部屋を飛び出していく。2分後には、討伐のため連隊がリンドブルムを発つだろう。
フットワークは明らかに軽くなった。こういうとき、つくづく民間に鞍替えしてよかったと思う。特に騎兵隊はアカデミーから即時応戦の許可を得ているので、艇を飛ばす際誰にも許可を求めなくていい。
実はアカデミーの専属パトロール隊になるという話もあったのだが、それはシドが蹴った。機動力を重視したというのもあるし、聖府の反省から、一箇所に権力を集めすぎるのはよくないという判断をしたのもある。騎兵隊は一歩引いて、それなりの力を有しつつアカデミーを見張るべきだ。シドがそうしているように。互いに見張り合っていられれば、間違いも起きないだろう。

「……いや、それは有り得ないか」

きっと間違いは何度でも起きる。人が人を管理する限り、それは仕方ない。ファルシでなくとも人を操ろうとするやつはいるだろう。だからシドにできることは、“間違いを起こさないこと”ではない。“間違いが起きるまでの時間を出来る限り伸ばすこと”だった。

シドはふと気になって席を立ち、私室へ続くドアを開けた。視線の先、ベッドには何本かのコードで繋がれたルカがいる。彼女は数時間前に見た時から一切変化していない。自発呼吸はするものの、身動ぎ一つもしないのだ。傍に生体情報モニタがあり、変化の殆どない心拍数を伝えている。一年前から、ずっとそう。
シドはベッドに腰掛け、すぐ近くにあるルカの手を取った。

「……ルカ、ホープ・エストハイムは相当優秀なようだぞ」

ホープ・エストハイムがアカデミー内部に作られた研究者育成のための学校に最優秀の成績で入学したという知らせを先ほど受けた。スノウ・ヴィリアースが、頼んでもいないのにルシたちの近況を定期的に連絡してくるのだ。そして必ず最後に、「ルカに伝えておいてくれよな」と言う。眠りについていると知っているからこそ。「もしかしたら、仲間たちの名前を聞いたら思い出すかもしんねーだろ?」いつだったか、彼はそう言っていた。

「それから、セラ・ファロン。あのファロン軍曹の妹が教師になったという。ホープ・エストハイムはファロン軍曹に世話になったと言っていたし、あの姉妹には人に教える才能があるのかもしれないな」

その心遣いが、どうしようもなく気に障ることもあった。
シドは毎日何度もルカの様子を見ている。ナバートだって毎日のように会いに来て話しかけているし、たまに来るロッシュは無言だが、大抵暫らくの間傍らに立って見下ろしている。そんなシドたちの想いより、ほんの数日一緒だっただけのルシたちの言葉の方が彼女の心を揺らすんじゃないかなんて、そんな事。

「……コクーンと下界を繋ぐグラン=エレベーターも、いよいよ着工したんだ。もっと進めばそのうち、ファングとヴァニラのクリスタルも取り出せる。それは君の望みでもあるんだろうな」

それでも、ルカが目覚めるんならなんでもいいとも思う。たとえルシたちのおかげでも、もういい。
ルカが起きさえしてくれれば。どこまで弱っているんだと、自分でも思う。

あれからずっとルカにとっての夜が明けない。なぜ覚めない。ルカの頬を、シドの手が滑る。
この一年、ルカは何も変わらなかった。その始まりになってしまった、あの日をシドは覚えている。ルカは立ち止まらなかった。ただ背を向け、忘れろと言っていた。自分のことはもう忘れてと言って、そして戻ってこなかった。
あの時の笑顔が、脳裏に張り付いて剥がれない。

「……起きろ、」

忘れろと動く唇が。無風の中で揺れる髪が。
飛び出していく、後ろ姿が……どうしたって忘れられない。愛していたから?違う。愛しているからだ。
あんなことになるまで顧みなかったものを、こうなってから思い知る。彼女が救いになっていたことをようやく理解した。理想が生きるのは生かそうとする誰かがいたから。一瞬全て見失ったのに、シドの理想が今でも生きているのは、彼女が生かそうとしたからだ。

「起きてくれ……早く……!」

起きてほしい。起きて、いつもの調子でふざけていてほしい。真剣なことなんて何も必要ないと、リグディとじゃれてナバートと戯れてロッシュをからかって。ずっとそうしていてほしい。誰より近くに今、いてほしい。だって愛しい。なのにルカは目覚めない。

陽が沈む瞬間、窓の外で光が煌めいた。刺すみたいに鋭い光が部屋に差し込む。それが一瞬、ルカの顔を照らした。

起きてくれ。起きてくれたらもうあんなことにはさせない。起きてくれさえすれば。そしたらもう、危険には近づけさせないのに。今度はシドが守れるし、ナバートもロッシュもきっと全力でルカのために動くだろう。もう矢面で戦う必要なんてない、もう傷つくこともない。
そう、起きてくれさえすれば。

シドは諦めなかった。ナバートもロッシュも、諦めていない。けれど待つだけの日々が、削り取るみたいに己を疲弊させているのに気付いていた。それでも諦めきれない。だって彼女は呼吸をしているし、心臓は鼓動を続けている。

何か一つ足りないという気がしていた。ほんの少し、釦を掛け違えているだけで、微かに変化するだけでルカは目覚める、そんな気がしているのだ。その一つが見つからないから、シドはずっと待っている。

ルカは今日も目覚めなかった。





titled by 失踪宣告
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