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ジル・ナバートとヤーグ・ロッシュは、平原からかなり離れた地点の洞穴で発見した。声を掛けるまでもなく、ナバートはまるでずっと起きていたかのように目を覚ますと、直ぐ様あの切れ長の目でぎろりとシドを睨んだ。
「……まあ、理由は聞かなくとも予測がつくがね、何も言わずに消えるというのはあまりに礼を失していると思わないのか君たちは」
「そんなことあんたに言われたくないわね」
「とうとう敬語の体も辞めたな……いいだろう、もう後輩としてではなく逃亡者として扱おうじゃないか」
ずっと慇懃無礼を地で行く態度を貫いてきた彼女だが、ついにただの無礼となった。
ルカは全くもって友人の趣味が悪い……。後ろでリグディが苦い顔をしていることは見なくてもわかる。
と、ナバートの向こうでロッシュもまた目を覚ました。
「准将……何を、」
「もう准将でもない。聖府は早くも解体が決定したからな。つまり君たちも中佐じゃない」
そう言って肩を竦める。それは仕方のないことだった。コクーンの旧態然とした制度はすべて解体し、いちから作り直す。それは有意義無意義の話ではなく、単純に市民の嫌悪感がこれからますます増していくだろうとこは考えずともわかっていたからだった。聖府はそれだけのことをした。目の前にいる、この二人も。
だからきっと逃げたのだろう。生きるためか、死ぬためか。いずれも
ルカに会うためだとシドは知っている。
と、ナバートがシドの悪夢を刺し貫いた。
「そんなことはどうでもいいわよ。あの子は?居ないの?」
「
ルカに……君たちを頼まれた。迎えに来たんだ、乗りなさい。君たちのことは、守るから」
「……あいつは、准将のことは信用できないから自分の身は自分で守れと言っていました」
「まあ……否定はしない」
否定はしないが言い方が最低だな
ルカ。……目覚めたなら、覚えておけ。目覚めたときには。
「は、話を逸らさないで……あの子は?……
ルカはどこよ!?」
「……
ルカが居たなら、君たちを迎えになど来なかったよ」
苛立った。
彼女が目覚めていたなら、どんな手を使ってでも彼らと再会させようなんて思わなかった。彼らを恨みに思うことはないにしても……否、思うべきではないとしても、納得出来ない部分はやはりある。
シドの言えたことではない、かもしれないけれど。
「……彼女が最後に言い置いた言葉くらい叶えてやる。来なさい。
ルカのために君たちを守る」
彼女が最後に言い置いたのは、やはりどうしてもこの二人のことだった。忌々しい……あんなことになったって、彼女の中の優先順位は変わらなかった。ああ、憎らしい。
「言っておくが拒否権などない。君たちの望みなど知ったことではない」
そう言い放つと、二人は目を見開いて硬直した。目に滲むその色を絶望という。身勝手な……シドは苛立ったが、つい昨日自分も同じような状況だったことを思い返して内心で苦笑した。二人に立つように促して、すぐ近くに駐めた飛空艇に向かって歩き始める。
「……
ルカは見つけた。が、意識がないんだ」
「え?じゃあ……生きてるの?生きてるのよね!?」
「ああ……心臓は動いてる。呼吸もしてる。でも、目が覚めない……丸一日眠っている」
ボーダーラインは、とっくに超えてしまっていた。しかしそのことに危機感を抱いていたのはシドだけで、ロッシュは微かに首を傾げた。
「それくらいなら……怪我によっては、あり得ることでは」
「外傷がまったくない。血液検査の結果も正常だった。……医師は、あれが精神的なものであるなら、かなり長い時間目を覚まさないこともあり得るという」
「長い時間……って」
「数時間から数年まで、全く予測できない。怪我も何もしていないからこそ……問題だと……」
シドはふいに言葉が詰まった。……感傷的になっている。心底くだらないと、思う。そんなことを考えているくらいなら、早く市民を保護する方法を考えるべきだ。リンドブルムから物資を提供して昨日の夜と今朝はなんとかなったけれど、既に底を尽きかけている。急いでコクーンと往復し、なんとか物資を運びださなければならない。また、混乱しているからこそ起きるトラブルも出来る限り予測して避けなければならない。
一体どれくらいの間、
ルカが眠り続けるかはわからない。それでもやるべきことは目の前にあった。そのことを僅かながら煩わしいと思う。
ルカの隣にいて、目覚めるのを待ちたい気持ちがほんの少しとはいえあるのだ。でも、それどころではない。
「君たちにも出来る限りのことはしてもらう。我々が今すべきことはただひとつ、とにかく市民を守ることだ」
「……そんなの、知ったことじゃないわ……」
ナバートが苦しそうにそう呟いた。彼女は顔を片手で覆っている。精神的なもの……そういう診断が、おそらく後悔に苛まれているだろう彼らにとってどれほど重いものか知らないシドではない。自分だって追い詰められている。
「
ルカを落胆させるような行動は慎むことだな。あんなことになった挙句市民のために何もせず敗走を続けていたなんて知れたらさすがの
ルカでも呆れるぞ」
「知ったようなことを言わないで……!!」
「言うさ。私が言わず誰が言う」
ロッシュがナバートの肩を叩いて落ち着かせ、シドたちは飛空艇に乗りリンドブルムへと戻った。道中、ナバートとロッシュは一言も口を利かなかった。
ルカは目を覚まさない。
あと10時間で目を覚まさなければマズい。そう言われてから、三日以上が過ぎていた。それでも希望はまだ消えていない。数時間おきに、自室を覗く習慣がついてしまった。生体情報モニターがあり、心拍数などは測定するようにしているから、異常が起きれば同じ情報を医務室のディスプレイで確認している医師が知らせてくれる筈だけれども、それでも気になるものは気になるのだ。
今日もただそれだけの理由で、シドは自室を覗いた。それまで一番大きな司令室に出ずっぱりだったから、今日はまだ様子を見ておらず気になっていたのだ。
結果、僅かに後悔するはめになった。侵入者が居たのである。彼女は椅子に座り、
ルカの顔をすぐ近くで見下ろしていた。
「……何をしている、などと野暮なことは聞かないがね。せめて一言申し出て会いに来るべきだとは思わないか」
「あんたが
ルカをここに閉じ込めなきゃ済んだ話よ」
「それはまた話が違うだろう」
「そうね。でもあんたに会いたくなかったから」
本当に、まるで敬語の気配さえしない。というか敬意さえ感じない。いや、もう慣れてはいるのだが……そんなことに慣れているのが地味に虚しい。
と、彼女が一人だけであることが少し気になった。ロッシュはいないようだし、彼の方は侵入してまで
ルカに会おうとしていないのだろうか。……彼は倫理観がまともなだけだろうな。
「ロッシュは一人で侵入したりしないようだが、君はするんだな」
「そりゃそうよ。私だって
ルカに会いたいと解ってて、一人だけで会いに来るだなんてそんな卑怯なことをするやつじゃないわ」
「……自分が卑怯だという自覚はあったのか」
「バカにしてるわね?当たり前よ。卑怯じゃなきゃなんだって?……
ルカがそれでいいって言うんだからこれでいいのよ」
つまり
ルカのせいなんだな。シドは内心でため息を吐く。
ルカらしいといえば
ルカらしい。二人のことなら、なんだって全部無理矢理にでも肯定してしまうのだろう。それを愛情と呼ぶのは間違いでもあり、正しくもある。いずれにせよ、少なくとも誰かが外から糾弾できるものではない。
「……精神的なもの……なのよね」
「医師はそう言っていた」
「そう……」
ナバートは呟いて俯き、
ルカの頬を撫でた。爪先でゆっくりと、何度も上下に往復する。それはどこか危うげな行動で、シドは微かに身構える。ナバートが何をしたとしても、直ぐ様取り押さえられるように。
が、それは杞憂に終わった。ナバートはするりと、手を引いた。
「ねえ、
ルカが目覚めたら。もう二度と、あんなことにはならないで済むかしら……?」
「……するまいと思えばな」
「
ルカが大事だわ。この子が生きて、近くで笑っていることが一番大切なの。そんなことを今更思い知って……私は」
涙が一筋、その目から滑り落ちた。あまりにも静かに落ちたので、一瞬それが涙だとわからなかった。
こんなところで泣くなよ、とシドは呆れた。彼女の涙をシドは決して拭わない。心さえ動かないからだ。そして、それができる人間は今眠っている。
「
ルカは知っている、そんなこと」
「……え?」
「
ルカはもうずっと前からそんなことは知っていた。だから必死だった。君たちを救うためだった」
「それは……嬉しい、わね」
ナバートは苦笑した。それでも嬉しいのは事実なのだろう。全く歪んでいる。彼女たちの間にあるものが友情だなんて、もう誰も考えていないくらいに。
それなのにどうしてあんなことになってしまったのかと、シドは苛立っているけれど。
「もう戻れ。
ルカのことは私がなんとかする。……というかあまり近付いてほしくないからな」
「奇遇ね、私もあんたにあまり近付いてほしくないもの」
「それでも今の君には何の力もない」
「……ええ。その通りだわ」
声は微かに上ずって、ナバートは椅子から立ち上がる。そしてシドの横を摺り抜けて、ようやく部屋を出て行った。
シドはそれを音で解してから、
ルカに近付いた。今日も今日とて、穏やかな顔で眠りについている。いつ目覚めるのだろう?いつ目覚めるとしても、もう二度と。
「……するまいと、思っているよ」
もうあんなことにならずに済むのか?ナバートは聞いた。あんなことをせずに済むのか。
ルカを傷付けることなく、ただ愛することは可能なのかと。
そんなことはわからない。わからないけれど。
「二度とさせない」
彼女を傷付けるものをもう許さない。二度と見過ごさない。どんな手を使ったとしてもだ。
シドはそっと、眠る
ルカの額に口吻けた。
titled by
失踪宣告様