ドアの隙間から眺めていた私にも、ぐったりと彼女が倒れこむのが見えた。言ったとおりにできたのだろう。不器用な彼だけれども、人間を気絶させる程度ならば何の事はない。
だが、二度目の勝利をこういった形で得たことを、きっと彼は後悔する。時間を置くべきではない。すぐに用意を済ませ、彼女を転移装置に入れなくては。

「よくできたじゃない」

「……ジル」

彼は見たこともないくらいに寂然と、そして悄然としている。いつもどおりの無愛想な無表情なのに、なんだか泣く直前のような。
だが、私は彼を慰めたりはしない。眼下に横たわるあの子みたいに、軽い調子で「大丈夫」って言ってあげない。笑いかけない。私はあの子じゃないから。そんなことにはもう、何の意味もないのだから。

「あら、まだ仕事中なのだから呼び方には気をつけてロッシュ中佐。……さ、急いで済ませるわよ」

意識を失った彼女の隣に膝を着いて、彼女を抱き起こそうとする。背中の下に手を入れると、彼女は支柱を持たずにがくんと頭が後ろに倒れた。
こんなにも全てを、命さえ無防備に投げ出した様子の彼女を見るのは久しぶりで、懐かしい気持ちにさせられる。まだ学生だったころは、勝手に部屋に遊びにきてそのまま気が付いたら一緒に寝ていたり、一緒に食事をとったりが当たり前だったから。ジルも同様に無防備だったし、この子はそれ以上に自分を信用していた。思い返すと胸に閉塞感がある。でも、ただそれだけ。
これから彼女を喪うのがわかっていて、それで少しだけセンチメンタルなのかもしれない。私は、それでも後悔などしない自らの性格に苦笑した。ええ、歪んでいるわよ。

私とこの子は正反対で、その実とてもよく似ていた。まるで絶対値が同じ数値みたいに、性質ではなく存在が裏返しだった。

だから、私は彼女が居ればゼロだった。いつも心地いい感覚がしていた……この子が隣にいると、どうしようもなく安らいで満たされた。安息だった。
ジルの心に当然空いた空白に、この子は温かい手を差し入れる。そこでうずくまるジルを包む。掬う。ジルに何か起こるたび、この子は顔を真っ青にして必死に駆け込んでくるのだ……ジルを傷付けるものを、何一つ許さないという顔をして。

ずっと私たちは一緒にいると思っていた。ずっと、ずっと、ずっと。

それなのに、埋め合える筈だったのに、それ以外の何かをあなたは×すから。

「さあロッシュ中佐、大佐にお別れを」

「……悪趣味だな。俺は、顔向けできない」

「あら、自分で決めたことでしょう?提案はしたのは私だわ、でも賛同したのはあんたよ」

「お前は、」

他人のことはどうでもいいんだな、とヤーグが言う。
ああもうばかねえ、今更気付いたの?

他人のことだけじゃない。もう、私の想いだってどうでもいい。あんたのこともこの子のことも、あの男なんて死んでしまえ、全部どうでもいい。
だからあんたの想いもただ利用するだけ。この子が私たちを必要としないなら、私たちにももうこの子は必要ない。

「どちらがマシかしらね?どうでもいいから利用する私と、大事だからこそ自ら壊してしまうあなたと」

「……ッ、それは、」

「一つだけ良いことを教えてあげましょうか。彼女を誰より理解していた私がひとつ。彼女は、きっとあなたのことの方が、受け入れ難かった。でも、きっとあなたが先に言っていれば、あなたに傾いていたでしょうね」

そう言ったとき、彼の表情がひどく絶望に彩られたのが知覚できた。それに私は笑い出しそうになった。あんたのせいじゃないか。あんたの臆病が招いた悪夢じゃないか。あんたがもっとあんたがもっと、この子を早く……捕まえていたならば。

後悔というのは、もうどうにもならないからするものなの。だからつまり、もうどうにもならないわ。

あなたが彼女を×きだったとか、私が彼女を×きだったとか、彼女が誰を×だったかなんて。
どうにもならないのよ。どうしようもない。

「これは、復讐なのかしら。もう何もわからなくなったわ」

あの子が私たちだけと生きるのを辞めたとき、この歯車に狂いは生じたの。下界の異物の中、孤独に目を覚まして、思い知ればいい。……思い知ればいい。
これが友情なんて呼べやしないお粗末なものだったってことも。長い間積み重なっていたのは互いへの不信感だったってことも。そして彼女が私を第一に必要としなくなったとき、私の心に初めて小さな傷がついたことも、全て。

「この子は理解しないかもしれないし、理解してもそれを結果と思わないかもしれない。だから、これも無駄かもしれないわ。でも、これであなたも前に進めるし、私も重い足枷が消えた」

捨てられたんじゃない。
きっと、彼女も捨てたつもりはないんだろう。
だから当然のように離れるだけ。
彼女がいなくてもよくなったから、だから掴んでいた彼女の手をそっと離すだけ。
彼女が握り返さなくなった、冷たい手を。

「何も、後悔することはないわ」

そう言って私は微笑み、彼女と最初のさよならをした。




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