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久々に訪れたリンドブルムの食堂に、ルカは内心だけで仄かな歓声を上げた。リンドブルムの食堂が好きなのだ。PSICOMの食堂はやたらと機械的で食事時でも私語は少なく、明暗のはっきりしすぎた指揮系統の分類のせいで、顔見知りもほとんど居ない。対してリンドブルムは、大抵の人間がお互い知り合いのようで、広い食堂はごちゃごちゃとして雑多な印象を受ける。特に今は真昼という時間帯故やかましく、少し蒸し暑い。ルカがこっそり入り込んでも、気づかれなさそうな安心感があるのだ。
……こういう恐怖じみた感情を抱くこと自体、不安を抱いている象徴だ。ばかばかしい。そう思いつつも、一度抱いた安堵まで否定する必要はないだろう。
ルカは豊富なメニューを眺めつつ食券を購入して混んだ列に並ぶ。食事を受け取ってさてと座る席を探すと、かなり混雑する中に一つだけ空いた席を見つけた。女性が3人、食事を摂りながら談笑している。ルカはそこに近づき、彼女たちに相席の許可を求める。彼女たちは知らない人間の登場に一瞬視線を交錯させたが、すぐに「どうぞ」とにこやかに許可してくれた。
ルカは礼を言って座り、ペンネの乗ったランチプレートをフォークで突き始める。ほとんど食事を終えていたらしい彼女たちは、また幾度か視線を交わらせてからルカを見つめた。そのうちの一人、長い黒髪を後ろで一つに括った女性が話しかけてくる。

「あなた、見ない顔だけど新しく入った人?かなり若いみたいだけど、入隊したばかりかしら」

「……あー、ええ、まあそんなところ……かな?」

答えに窮し、ルカは返答を濁した。また、相手の階級を確かめることはせず敬語は使わなかった。相手の階級を問えば己の階級も明らかにする必要があるし、そうなれば確実に相手は畏まる。それより前にルカが敬語を使ってしまえば、のちのち厭味に思われる可能性もあった。あと向こうの方が明らかに年下なのに同年代に見られるのは悪い気分じゃない。常日頃の子供っぽいという評は、上手く運ぶこともあるのである。
そんなルカの躊躇いを突然話しかけられたが故と解したらしい彼女は、きりりと釣り上がった眦に笑みを浮かべ、「ここに配属になってよかったわね」と言った。彼女がルカの職種をどう考えているかはわからなかったが、足の運びや姿勢の正しさから軍人を見慣れている人間からは武闘派だとすぐにバレるのだとを思い出して納得した。彼女はおそらく、ルカが武器を取る軍人だと気付いている。そしてルカの目からは、彼女も自分と同種に見えていた。つまりベティは武器を持つ人間だということ。

「私はベティ。ダリア・ベティ。ベティでいいわ」

「あ、私は……ルカ

苗字を名乗ろうか迷ったが、フルネームを言えばさすがにばれてしまうだろう。いやどうせ知れることだけれども、今ここで騒がれるのは避けたかった。休暇中はリンドブルムを存分に満喫したいという軍人としては浅ましい欲求もあって、PSICOMの大佐が来ているという認知が広まるのは嫌だった。
そんなルカの考えなど露知らず、ベティの隣に居た丸顔の女が顔に柔らかい皺を刻みながらアンジーだと名乗り、更にアンジーの目の前に居た、つまりルカの隣に居た背の小さな女をアマンダだと紹介した。
ダリア・ベティ……アンジー……アマンダ……。よし覚えたオーケー。シドに出会って早々、数分で名前を忘れていた頃から自分はだいぶ進歩した。すごいぞ私。
まるで隠居老人のようなレベルで自画自賛しつつ、ルカは彼女たちのうわさ話に耳を傾けた。ジルは噂を好まないし、レイダはルカと世間話などしない。ルカより高い階級に女は居ないし、ジルやレイダより低い階級の者となるとルカと親しげに会話をしてくれる者がもう居ないのだ。まさか一兵卒と食事を取ることなどできやしない。そう思うとこれは非常に稀有な体験であり、ルカの好奇心がこの機会を楽しんでおくべきだと両手を上げて騒いでいたのである。聞けば、アマンダは中尉の恋人が居るらしい。PSICOMとは異なり騎兵隊や警備軍にはそう女性は多くないので、所属する女性はそれなりに高官の恋人を望める。アマンダはおっとりと垂れた目の可愛らしい小柄の女性だったから、ジルを見慣れているルカは感嘆こそしないものの、彼女なら高官である中尉を射止めるのはそう難しいことじゃなかったろうなとだけ思った。

「……そういえば知ってる?彼が言ってたんだけど、あの准将閣下の恋人が今日からリンドブルムに休暇で滞在するんですって」

「はあー……アマンダの彼、高官だけあってよくもまあそういう極秘っぽい情報持ってくるわねー……」

それ私や。
ルカはぴしりと一瞬だけ固まったが、別に悪いことをしているわけでもないのだからと瞬時に言い聞かせ、平静を装ってペンネを突くのを再開する。自分の噂を聞くなんて趣味の良いことではないが、置かれている立場を理解する一助になることもある。噂というものは決して侮れないものなのだと、ルカは身を持って知っている。
黙り込んだままのルカには気づかず、ベティが目を白黒させて、アマンダに「准将に恋人がいらしたの?」と訊ねた。

「ベティ、知らないの?なんでも士官学校生の頃からの付き合いで、今はPSICOMの……大佐の地位にある女性だそうよ」

「たいさっ……、はぁー、エリート中のエリートね……!よほど有能な方なの?」

「いえ、それが……こういう言い方をすべきじゃないとは思うけど、そこまで有能というわけでもないらしいわ。だからPSICOM内では、准将がPSICOMのスパイをさせるために送り込んで昇進させてるってまことしやかに囁かれてるんですって」

ベティの当然の疑問に、アマンダは声を潜めて答える。その瞬間、ベティは端正な顔をぐしゃりと歪めた。

「何よそれ、最低!准将はそんなことなさる方じゃないわ!」

「そうよね。しかも大佐でしょう?いくら恋人だって言っても、そんなところにまで昇進させるのは危険だわ。准将の地位を脅かすかもしれないじゃない」

憤慨するベティに、アンジーがうんうん同意した。ルカはちろりと視線を上げ、ベティをまじまじと見る。
本気で怒っているのが、釣り上がる眦から見て取れた。アマンダも考えこむような仕草をしつつ同意し、

「むしろそうやって准将にいちゃもんつけるためにPSICOMがその人を使ってるって噂が今は有力らしいわ」

「その人もその人よね。PSICOMになんて入ったらスパイ疑惑が立つのは当たり前じゃないの。准将とPSICOMのどちらを優先するかくらいはっきりしてほしいものよね」

「ねえ、ルカは知っている?その人のこと。一旦騎兵隊に入っちゃうと、士官学校の頃ほどPSICOMの話って入ってこないのよ」

士官学校に最近まで居たのなら知っているでしょう?とベティが尋ねようとした瞬間だった。べしん、と頭を強い力が叩いて、ルカはペンネを皿に取り落とす。正面のベティ、横のアンジー、更にその正面のアマンダまでもが硬直しルカの後ろを呆然と見つめていた。

「いだひ!!」

「うっせバカ、休日に呼び出された俺の気持ちにもなれバカ」

「なんっ……むしろ何故居るリグディ!!いいよ来んなよ来なくていいよ帰んなよ……!」

「閣下たってのご希望じゃそうはいかねえの。……悪いね嬢ちゃんたち、騒がしくして。こいつ煩くなかった?」

「いっ、いえ!特にそういったことは!」

ベティがともすれば立ち上がりかねない勢いで姿勢を正し敬礼する。振り返って見上げてみれば、見知ったその男は到底ルカには見せない愛想笑いを振りまいていた。なんだその顔気持ち悪い。

「っていうかあんた敬語使えや!上官だろがや!」

「そういうお前は年上に敬語使ったことあんのか!」

「先輩には使ってましたーあー!敬意を払える相手には常に敬語ですぅー!」

「奇遇だな俺も敬意を払える相手にしか敬語使わねーんだよ!」

やんややんやといつも通り喧嘩に発展するルカとリグディであったが、ベティたちからすれば雲の上……とまではいかなくとも、遥か彼方の身分である大尉と目の前の新卒とも思しき女性が口論を始めたわけで、わけもわからず混乱するように視線をぐるりと巡らせている。それにはたと気付いて黙りこくったルカに事態を察したらしいリグディは溜息を吐いた。その溜息に、ルカはびくりと肩を震わせる。

「お前さあ、階級言わずに下士官と遊ぶなよ……後で驚く方のことを考えろ」

「いっ、言わなくてもいいじゃないか最後まで……!」

「そういうわけにゃいかんだろが。仮にもPSICOMの幹部預かってんだ、なんかあったら困るのは俺と閣下だぞ」

その言い方はずるい。ルカはぎりりと歯ぎしりをし、まだ少量残っていた食事をさっさと口に運び込んだ。コップに注いだ水を飲み干して立ち上がり、リグディに片付けを押し付ける。

「あってめっ、自分で片付けろよ!」

「リグディ大尉、おまえ大佐の命令が聞けないのか?査定に響くぞ」

ルカが尊大な態度で放った大佐、という言葉に三人の女性たちはみな一様に身体を強張らせた。今まで話していた噂の主が、目の前に居る彼女だと気付いたのだろう。
それを見て「お前のせいだぞ」とでも言いたげな表情をしていたリグディではあったが、ルカが珍しく同年代の、いや同年代というよりは下だが、それでも近い年頃の女と話していたのを打ち切るのに罪悪感は芽生えていたらしく、リグディはルカの強気の命令に渋々ながら従った。それでとりあえず、ルカは全部不問にするという形にした。
リグディもきっと声を掛けるのを躊躇っただろう。けれども、PSICOMの士官が警備軍の下士官に声を掛けるというのは引き抜きであれなんであれ望ましいことではない。また、素知らぬ顔をして仲良くなってしまったら、騎兵隊の持つPSICOMへの悪感情とルカは真っ向から戦わなくてはならなくなる。先ほどの三人の名も知れぬPSICOM大佐への苦々しい噂の根底には、市民のための行動を取らないくせにプライドばかり高く警備軍を徹底的に見下しているPSICOMへの嫌悪があった。まして彼女たちも、PSICOMの士官を悪し様に言うというのは路端だからできる話であって、本人に上申したいとまでは思っていないことだろう。
リグディが騎兵隊の若き下士官たちと、ついでに悪友の心情を慮ってした邪魔だとルカも理解し、ここは諦めることとした。仕方ない。
振り返って萎縮してしまっている三人の女性に「ごめんね」と謝って、先導するリグディについて席を離れる。あんなに楽しげに見えていた食堂が、今はどこか寒々しかった。

「……先輩のとこ戻るよ。ああ、先輩お昼まだみたいだったから、なんかテイクアウトしてくる」

「んじゃ、俺はここで待ってっから。行って来い」

ん、と頷いて再度食券を買いに並んだ。リグディがルカに何も起こらないように心配して傍に来たのはわかっている。それは決して嫌なことではない。むしろ、先輩の優しさだ。リグディの優しさだ。
がしかし、ルカはもっと彼女たちの話を聞いていたかった。シドに心酔する彼女たちの話をもっと。ルカの知らない、有能で他人を傾倒させる魅力を持った上司としてのシドを、もっと聞いてみたかったのだ。
こんな気持ちを持つこと自体、シドはきっと歓迎しないだろうから……言い出せそうにはなかったが。





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