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――実は、今この町、人狼の群れに狙われてるんだよね。

「だからまあ、人狼の女の子は警戒されると思うな。あいつらとは関係ないとしてもね」
「だがなぜ人狼がイヌの町を襲うんだ?基本的に不可侵だろう、接触しても良いことがない」

クラサメの言う通りだった。たいていどこの人狼の群れも、最低限、「人間に近づかない」、「イヌとは関わらない」ぐらいのルールを持って動いている。と、聞いている。
それはごく自然な帰結としての決まりだ。イヌとはつまり人間に完全に擬態した人狼なのだ。つまり、人狼の弱点を熟知した人間とも言える。また、思うところあって人狼の群れを抜けた果てがイヌである以上、イヌは人狼に決して容赦しない。
人狼の生態について調べようとしていたカトルでさえ、イヌとはうまく接触できなかったと言っていた。人狼とイヌはそれだけ水と油なのだ。
だから、ルールが先にあって皆が守っているというより、そういうふうに群れを守れなかった人狼が軒並み滅ぼされた、ということだった。

「さあね……どういう考えなのかはわからないけど、夜になると山から降りてきて作物を荒らしたりしてる。最初は家畜が拐われるってことから発覚したんだけど、その後家畜泥棒だと思って見張ってた数人が結構な怪我をしてね」
「それは……」
「まだ二人、傷がひどくて動けないくらいだ。今この町には、僕と産婆しか医者として働ける人間がいないしね。狼の牙や爪による傷創は断面が汚くなるせいか治りが悪いんだ」
「……クラサメ、私なら……私なら治せるかも」
「そうだな……だがカヅサ、命に別状あるのか?」
「いや、そこまでじゃないよ。感染症にもならずに済んだしね。ナツメちゃん、人を癒やす魔法なんかもあるの?」
「ええと、そうなんだけど……」
「駄目だ。死ぬリスクがないのなら、ナツメが治療したほうが後々の弊害が多い。それより、人狼のことについてもっと詳しく話せ」

クラサメが迷う素振りもなくあっさり首を横に振った。前に、高利貸しの息子を助けたときとは大きな違いだ。相手がイヌでは狼化の危険があるためだろう。

「最近、少しずつ襲ってくる時間も早くなってきててね。多分そろそろ、みんな子供を家に入れる。陽が落ちる頃には誰も外を出歩かなくなるよ。遠吠えが聞こえるから、来るのはわかるんだ。それで、朝になる頃にはいなくなる」
「そうか……一体何を求めているんだろうな。家畜をもう襲ったというなら、いよいよ目的がない……何を考えて、そんな危険なことを」

クラサメの言葉の途中で、ナツメの獣耳がぴくりと震えた。

「……クラサメ。クラサメ、聞こえる」
「どうした?何が、」
「遠吠えが聞こえる!近づいてきてる!」

全身が総毛立つような緊張感。
ナツメの耳は、山の向こうからの遠吠えでも十分聞き取ることができる。もっと近づいてくれば、きっとカヅサやクラサメにも聞こえることだろう。
ナツメは椅子から慌てて立ち上がり、戸口を目指した。しかしクラサメが止める。

「どうするつもりだ!?」
「狼の群れを追い払うの。遠吠えしてるってことは、襲う気があるってことよ!」
「危険だ、大人しくしていろ!カヅサ、群れは何を奪うこともなく立ち去るんだろう!?」
「うん、そうだけど……でも最近、誰も住んでなかった家が壊されてねえ。次はどうなるかと、まあみんなピリピリしてるわけだけど」
「ほらね。今のうちに追い払ったほうがいいよ。私行ってくる」
ナツメ……!」
「大丈夫。狼の群れ相手なら、先手を取ればそうそう負けないよ」

ナツメは口角を吊り上げて笑い、ドアを押し開けて外に出る。後ろ手に閉めると、中から閂の落ちる音がした。カヅサ何をする離せ、駄目だよ危険だから。怒号めいた声を背中に聞いている。
月の光が降り注ぐいい夜だった。月の晩は良い、人狼は変異がしやすいし、特にシャーマンは力を発現させやすい。


彼らが一体何を考えているのか。……まあ、なんとなく想像はついている。
狼のにおい。多くはない。おそらく四頭。においも“若い”。そして、妙にばらばらだ。

――私は狼。

「私は狼、私は……狼」

信じるだけ。
白い毛並みが己にはあって、四本の頑健な手足があって、千里先を聞く耳と数千を嗅ぎ分ける鼻があると、そう信じる。
久々の変異だったし、服も狼の毛皮ではなかったから少し不安だったけれど、問題はなかった。

「……誰だ、てめー……」

狼になればもっと耳は冴え渡る。群れの足音が近づいてくる、一、二、三、……四匹だ。ナツメは数歩先で足を止めた群れに視線をやった。
狼が町の広場に入ってくるのを待ち構えていたナツメを見て、先頭に立っていた片耳のない茶色の狼が低く呻った。柄は悪いが雌のようだ。

「私が誰かなんてどうでもいいわ。あなたたちは何?群れじゃないわね、家族じゃない……」
「てめえ……」
「慣れていないならいろいろと教えてあげましょうか?ボス初心者丸出しだから」

そう言ってナツメが笑うと、狼は短く吠え、ナツメめがけて襲いかかってくる。簡単に長髪に乗ってくれてありがたい。
襲い来る狼は決して早くない。ナツメは見切ると、引きつけて躱し、その瞬間変異を解く。返す刀で前しか見えない狼の横っ面を、全体重を掛けて蹴り飛ばした。

「ぃぎゃんッ!!?」

直後にもう一度変異。次はナツメから攻め立て、最も小柄な一頭の腹を横から深く深く噛み、暴れるそいつを放り投げた。転がって壁にあたり、動かなくなる。残りの二匹が一気に襲いかかってくるが、ナツメはすぐに体勢を整え身体を引くと、集中した。
新しい何かを試すには、とても良い夜な気がしているから。群れにいた頃は新しいことを会得しようなんて思わなかったから、そんな自分の変化に驚きつつも。

――想像するの。赤くて、熱くて、気ままでとどまらない炎のことを。

次の瞬間だ。ナツメは大きく口を開くと、そこから火炎を吐き出した。普通に生きていればほとんど見ることのない巨大な炎が突然正面から襲いかかり、二匹の狼は炎に巻かれ地面に転がった。毛皮はそう簡単に燃えはしないし、狼たちが身体を地面にこすりつけてすぐに消火したため大きな被害とはいかなかったが、それでも自然界ではあり得ない現象に度肝を抜かれたらしく、彼らは慌てて距離を取り、再度襲いかかる度胸はないように見える。

「てめえ……てめえ、何者だよ……!?」
「私はナツメ。北の大陸の狼よ」
「最ッ悪……!なんでそんな奴がここにッ……クソ、ずらかるぞ!!」

最初に襲いかかってきた、比較的傷の少ない狼が人間の姿になる。顔まではよく見えないが、褐色の肌をした女だった。彼女は最も重傷であるナツメに噛まれた狼を抱えあげると、ナツメにはもう目もくれず山の方へ走り去っていく。
その後ろ姿を見送り、ナツメはふんと鼻を鳴らした。目的はわからなかったが、やはりある程度の見当はついた。

ナツメ
「……クラサメ」

私は人間。人間よ。
そう言い聞かせて、変異を解いたナツメは、口に染み付いた血を拭った。振り返るとクラサメが立っている。

「無事か……」
「うん、無傷」
「だからって許さんぞ。……平然と、危険に首を突っ込むなんて」
「それは、でも。放っておいたら、私ここにいられないんでしょう?」
ナツメちゃん!」

カヅサが家から飛び出してくると、家の中に隠れていたらしい者たちが、そろそろと外の騒ぎを覗い見るように姿を現す。ほとんどイヌだと聞いているが、老若男女、三十名ほどはいるだろうか。

「ぶ、無事?」
「へいき。あれくらい弱い群れなら、追い払うくらいわけないよ」
「そうなの?クラサメくん、この子なに?戦闘民族?」
「いや……ナツメ、戦えたんだな」
「戦うっていうか……群れにいたころは、若い狼は前線を守らないといけなかったから。一人であの程度の群れを追い払うなんて、よくあったことよ。うちの縄張りは、あの一帯で一番大きかったし」

スカートの中で逆立った尾が早く元に戻るよう、深く息を吐き、さて、とクラサメに向き直った。

「それじゃあ、追い出しにかかるね」
「……は?」
「向こうも私の匂いを覚えたし、早いうちに追い出しておかないと。必要なら殺す」
「おい待て、そこまでする必要は」
「あいつら、家族の群れじゃなかった。多分、はぐれ狼が徒党を組んだんだと思う。だとしたら、……住む場所が欲しいんだと思う。イヌを追い出して居座る気なんじゃないかな。だから、また来るよ」
「で、でも……それなら、普通に来ればいいのに。イヌとして……仲間に加わることだって、できたはずなのに」

カヅサが、理解できないという顔で言った。ナツメは短く頭を振る。

「人狼として生まれたのに、イヌにならざるを得ないというのは……とても苦痛を伴うことなの。特に群れでは、人狼の誇りとか、そういうことをすごく……教育するから。どこの群れも、そうなんだよ」
「……たかが、生きる場所を決めるぐらいのことで」
「ほんとくだらないって、私も今は思うけど……」
「最初はそれはもう拒否反応を示していたからな」
「忘れてよクラサメ……」

何度も口論したのに、もうそれもずっと昔のことみたいだ。ナツメにイヌになることへの恐怖は今や、さほどない。耳や尾を落とすことについてだけだ。怖いのは。

「群れの中に生まれて、群れのルールに従うことが当然の生き方をしてきたら、抗うことなんてほとんどできないよ。私は例外だし、あなたたちの祖先もきっと例外だったんじゃない」

今死んでないことが、不思議でならない。時々今でも思う。
群れにいたままだったら、そろそろ孕んでいただろうかとか。もう死んでいただろうかとか。

思い出したように言うナツメに、クラサメは何も言わなかった。本当に、気の利いた言葉でも吐いてくれればいいのに。ナツメはわずかに口角を上げて笑った。こういうときに、気の利いた言葉でナツメを誤魔化して、無自覚に丸め込んでしまうのがカトルだった。クラサメはそうしないから、ナツメはただ一人で痛みに向き合うことになる。
その痛みがあって初めて、ナツメは自分の人生を生きられるような気がしている。

「それにしても……ナツメちゃん、魔法すごかったね。炎を吐いたよね?」
「なんとなくの思いつきでやってみたんだけど。うまくいってよかったよ」
「思いつきだったのか……あんなこともできるものなんだな。驚いた」
「できるもんなんだねえ。それじゃ、私は行ってくるから」
「だからちょっと待て」

山へ向かって歩き出すナツメを、クラサメが腕を引いて留める。振り返ると、顔には困惑がありありと浮かんでいた。

「どこに行くんだ」
「今の狼、そう遠くにはまだ行ってないから。殺すか追い立てるかしてこないと後がまずいことになる」
「だ、だが、もう手負いだし、逃げたのにか?」
「……クラサメくんはもともと軍人だし、狼の生態に疎いからわかんないんだろうけど、彼女の言う通りだと思うよ。狼は簡単に縄張りを放棄しない。彼らがここら一帯を縄張りにしているんなら、早晩仕返しに来るでしょ」
「詳しいね?でも、そうなの。縄張り争いを終えるには喧嘩の程度が低すぎるの。もうちょっと痛めつけてやらないと向こうも逃げない。せめて、逃げる理由を与えてやるのよ」

だから行かないと。そう言うナツメにクラサメは目を細め、口をへの字に曲げて低く呻いた。

「私も同行する」
「……えーと、嬉しいしクラサメの強さも見て知ってるけど、単純にあなたといたら追いつけないからさ……」
「言葉を選ぶな。……だから、私も変異すればいいんだろう」
「え」

今度はナツメが目を剥く番だった。言葉を失ったナツメをクラサメは睨むように見下ろして、言う。

「何か問題があるのか」
「……で、できないでしょ、変異」
「できる」
「えっちょっとクラサメくんなにそれ初耳詳しく」
「黙れ」
「できるとしても、えーと、でも狼の戦い方なんて知らないでしょ」
「追いついたら人に戻ればいい」
「……け……剣が、流石に持っていけないよ、服ならともかく、変異の対象にならないと思う……」
「私が先に変異するから背中に括ってくれ」
「……、……」
「まだ反論があるのか?」

反論すべてが簡単に説き伏せられてしまう。無口なクラサメに口で勝てないというのはどうにも情けないような、育ちが育ちなので仕方ないと言い訳がしたいような。
ナツメは暫時黙りこくって、それから、「ちゃんと気をつけてよね……」とだけ言った。

理由は知らないが興奮しているカヅサは置いて、家の裏手に回る。意識的な変異は初めてのクラサメだから、やり方を少しだけ伝えた。自分を狼だと思いこむのだと。
本当はそれくらいでは習得できないはずで、群れでは普通先達の人狼が狼に変異して見せたりして時間を掛けて教えるのだが、できないならできないで彼を置いていける。

そう思ったのだけれど、あろうことか、一度で彼は変異に成功してしまった。
黒い毛並みの大きな狼は、あの日ナツメを犯した獣で、ナツメは変異した彼を見たらやはりあれがクラサメだったことを思い知って少し震えた。
しかし、本当に才能のある男だ。意識的な変異を会得するのは大変で、多いのは服の巻き込み事故だ。魔力を使って服も一緒に変異させて一時消失させるのだが、慣れていないと巻き込んでめちゃくちゃに破いてしまったりする。そのために群れでは、変異させやすいとして死んだ人狼の毛皮を剥いで身にまとうくらいだ。ナツメもまだ荷物の中に持っている。
それを、クラサメは全く失敗させなかった。狼の血が薄いはずなのにこれだけの順応性、ナツメなどとは比べ物にならない才があるのだろう。

「……どうしてこんなに簡単に、全部できちゃうの?私はどれも、すぐにはできなかったのに」

クラサメに剣を括り付けながら言うと、彼はぐるると唸った後で、

「お前のためだからだろうが」

と低く呟いた。
全部理由はお前だ。回復魔法だって、変異だって、全部。

そんなことを言われたら、うっかり泣きそうになるのでやめてほしい。
気の利いたことなんて本当、一つも言えないくせに、どうして時々、そうやって心臓を刺すようなことを。

ナツメはもう黙りこくって、自分も狼へと姿を変える。
ただ一言、先行するから、それだけ告げて、町の裏手の森へ向かって駆け出した。




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