Fire meets gasoline.
(着火点はどこ?)



夢主の名前を入力し、変換をクリックかタップしてください。デフォルトだと“ナツメ”になっています。



すべて、おかしな夢の中にいるみたいだった。
クラサメが現実を受け入れるより、時間が過ぎ去っていくほうがあまりにも疾くて。
病院の廊下、手術室の近く、硬いソファに腰を下ろしてぐったりと項垂れているが、その実、まだ現実に追いついていなかった。

「クラサメさん!」

看護師の注意を無視して男が駆け込んでくる。ナギだった。彼はクラサメの目の前に走ってくると、「どうなってんだ」と聞いた。
どうなっているか。そんなことは、クラサメこそ聞きたい。彼に事の次第を伝えられたのは救急車を降り、ナツメたちが手術室へ運ばれて行った後のことだ。電話口で伝えられたのは、ただ二人が撃たれたことだけ。

「……ナツメが我々に頼んだのは、ブルー・ラグーンの摘発だった。ブルー・ラグーンを経営していたのは、この島の女王の……フォーチュリオの夫だった」
「はあ?……ああ、だから俺らを使って摘発したかったわけか。でもどうして……いや、それより、だからってなんであの二人が?」
「その理由はわからん。だが女王の部下らしき女が、ナツメを……それから、マキナ・クナギリを撃って、出ていった。今は手術中だ」
「……そうですか」

それ以上はクラサメも知らない。ナギも納得した顔ではなかったが、もう聞かなかった。
全部が全部、まだ夢の中にいるみたいなんだ。今朝彼女に会ったあの瞬間から今まで、全部が。

教会の前に立っていた彼女を見つけたとき、時間が止まったような気すらした。髪に白い光が溶けて、とても綺麗だった。彼女はクラサメに気付くと、微笑んで目を細めた。
この半年すべてが、なかったみたいだった。ナツメがいなくなった日の続きみたいだとも思った。
一分一秒は変わらず、鼓動と同じ速さで過ぎていくのに、そんなはずはないのに。

「……大丈夫ですよ」
「無責任なことを言うな」
「俺から無責任な言動を取ったら会話できなくなっちまうでしょうが」

ふざけたことを言いながらナギが隣に腰掛けた。彼もまた、彼なりにナツメたちには思うところがあったようだ。そうでなければついてきたりしないだろう。ナツメとの付き合いは彼のほうが長いのだし。

「手術室入ってどれくらいですか」
「さあ……もう二時間にはなるか」
「そんなに?あんたその間ずっとここで呆然としてたのか」
「悪かったな。何もできることがないんだ」
「いや……そうじゃなくて。あんた、そんなにナツメが大事だとは思わなかったよ」
「は?」
「あんたら、よくわかんねえからさ。どういう関係なもんか」
「それは、私にもよくわからん」

ナツメたちがいなくなったとき、本当は国外を目指して追うこともできた。追わなかったのは現場の判断だ。つまり、クラサメの判断だった。
実際リスクもあった。管轄外へ捜査を進めるには様々な他組織へ通達し、許可を得なければならない。それらをすっ飛ばして他国まで追っていけば、処分では済まなかったかもしれない。

でも、あのときクラサメの頭を占めていたのはそんなことじゃなかった。笑って去っていくナツメの声を聞いて、生まれて初めて幸せだった、そんな言葉を聞いて。

ずっと箱に押し込められているような、他者からの圧力にずっと抑圧されてきた彼女が飛び去っていく。
行かせてやりたかった。彼女が望む場所があるなら、どこまでも。
誰より幸せになってほしかった。彼女を捕まえたくないと思うのはなぜかって、本当はそんな理由一番最初に思いついているんだ。

手術室の表示灯が消える。ナギが立ち上がったその先で、手術室の扉が開いた。

緑色の手術着を着た医者が、物々しい雰囲気で出てくる。「手は尽くしましたが、」そんな声が聞こえる。

「出血が多すぎました。縫合が終わる前に、二度心停止しました。除細動器で心肺蘇生を図りましたが、……三度目は」
「……そうですか。ありがとうございました」
「お会いになりますか。指名手配犯だと聞いていますから、アメリカに送ることになるでしょうが……」
「どうしますか、クラサメさん」

わからない。クラサメは混乱していた。取り乱すことすらできない。
ただ、頷いた。ナギが歩く後ろをついて、手術室とは違う部屋へ案内される。

ナツメがいた。手術台に寝かされたまま、顔は青白く。
眠っているように見える、なんて物語ではよく聞く話だが、全くそうは見えなかった。何十回と見てきた死体の一つだ。間違いなく死んでいる、そういう温度のなさだった。

「……」

クラサメは彼女の顔を見つめていた。言葉など一つも浮かんでこなかった。ただ、今日一日見たすべてがぐるぐる回っている。
教会の前の彼女。窓からするりと猫のように這い出てきた彼女。カウチに力なく座る彼女。こちらを見て、笑った。

それがどうして今、死体になって、目の前にいるのか。

ホシヒメと呼ばれた女の手元で銃口が火を吹いて、ナツメが崩折れた。クラサメはそれに間に合わず、ナツメは。
……あれが、救えなくて。
救えなくて、何が捜査官だ。

「……こんなんばっかりです。誰かを救うより、守りたい人間が死んでいくことのほうが多いなんて」
「……」
「もう出ましょう。手続きは俺がしますから」

ナギが言うので、クラサメも従った。外に出たところで、マキナ・クナギリも亡くなった旨を聞かされた。
なぜ二人が死ななければならなかったのか、わからない。今回二人は、何も悪事を働いていなかった。二人は一人の少女を助けたかっただけだ、そう聞いていた。それがどうしてこんなことになる?天の配剤だというのなら、あまりにも。

あまりにも……。



それからのことは、ほとんど記憶がない。ホテルに戻って横になったが一睡もできず、翌日の飛行機に乗った。乗ったのだから、様々煩雑な手続きを終えたことに間違いないのだが、全く覚えていなかった。
隣に座るナギは気を使ってかほとんど話しかけてこない。自分は無責任だと自慢気に言うような男だが、実際のところ彼が異様なほど気遣いに長けていることをクラサメも知っている。今はそれが有り難い。

機内の客はあまり多くない。セントクリストファー・ネイビスという島自体、あまりメジャーな観光地でもないし、観光でもなく訪れるアメリカ人がいないためだろうか。座っているのに目眩がする気がして、眠るためにも何か酒を頼もうと思った。

「サービスです」
「……は?」

音をほとんど立てず、前の座席の背面に設置されたミニテーブルの上に紙コップが置かれる。透明の液体からは細かい泡が立ち上っており、シャンパンであることは一見してわかった。
だが、頼んでもないそれが注がれる理由がない。一体なぜ、そう思って顔を上げたときだ。

まだ夢を見ているのだろうか。それとも今、見ていた夢が醒めたのか。
CAの制服を着て、髪を後ろで束ね、スカーフを巻いている。紛うことなきCAに過ぎず、他のどの乗客も彼女に注目していない。

けれど、隣のナギも彼女に気付いて、あっと声を上げた。

彼女は……ナツメは、くすりと笑ってスカートを翻し、後方へ姿を消した。クラサメは慌ててシャンパンを隣のナギに押し付けると、テーブルを無理やり起こして戻し席から立ち上がった。
腰を揺らして歩く彼女に追いつくまで、ほんの十秒もなかった。それでも、今までの人生で一番長い十秒だと思った。
ナツメに追いついたのは、後方の従業員スペースにつながる通路だった。

ナツメ!!」
「……お客様、他の乗客の皆様のご迷惑になりますから」
「ふざけるな!!」

彼女の手を掴み、振り返らせる。彼女は「Yes.」そう言って微笑んだ。
体温だ。クラサメの手を通して伝わるそれは、間違いなく体温だった。

「捜査官、ここは空の上よ。着陸するまではセントクリストファー・ネイビスの法が適用されるから、向こうの警察の許可を取らないとあなたに捜査権はないし、逮捕できないわよ」
「やかましいッ……!!生きて、いたのか。あれは一体……お前は死んだはずだ……」
「私がどういう犯罪者か、忘れたの?もともとは“クライム・プランナー”なのよ、私は」

ナツメが肩を竦めて言うので、そういえばと思い出した。彼女自身は犯罪計画を立て、売るのが仕事なのだ。彼女が表舞台に出るときというのは、その仕事の適任が見つからなかったり、あるいは彼女自身の名を上げるために必要なときだけだった。クライム・プランナー兼泥棒というのは、そういうことだ。

「それなら……どこまでが仕込みだったんだ。あの、お前を殺しに来た女は……」
「……ホシヒメとは茶飲み友達でね。その縁で、あの島の女王から頼まれたのよ……自分の力量も弁えずとんでもない仕事にばかり根を広げる、愚かな夫を懲らしめる“犯罪計画”を」

アンドリアはもともと、あんな違法な商売をする気はなかったのよ。でも彼女の目の届かないところで、夫は彼女の権力を悪用してやりたい放題だった。彼女の力で止めることもできたかもしれないけど、他の身内を巻き込む危険や、どちらに従うべきか警察が混乱する恐れがあった。いずれも彼女の本意じゃない。
そこで、私に依頼が来てね。私は犯罪計画を立てたの。

「本当はまだ決行する気はなかった。あなたたちが来なければ、私がFBIかインターポールの捜査官に扮して、同じようにブルー・ラグーンを摘発する予定だったの。でも偶然あなたたちが来てくれたし、クリスティナの弟がうちに駆け込んできて、助けを求めてきたからね。全部のタイミングが合致したのに、乗らない手はないかと思って」
「……そんな軽い気持ちで」
「犯罪はたいてい、軽い気持ちで始めるものよ。それに言ったでしょう、“こんなの嘘”だって」

本当に目眩がしてきた。クラサメは目頭を押さえ、壁に手を当てた。
疑うべきだった。今になってそんな気がしてくる。横たわる彼女の青白い顔は見たが、脈は測ってないしそれどころか指一本触れさえしなかった。マキナに至っては見てすらいない。たぶんあれは彼女の化粧で、触ればわかってしまったはずで、あの時点でバレればそれはそれとして彼女は協力を求めてきたように思う。

「最初、報酬は金銭の予定だった。あの島で永く暮らすことや、警察権力から庇護してもらうことも。でもあなたたちが来たのを見て、私は計画を変えたの。報酬は、正式な死体の報告書と新しい身分。ステイツに戻って、一般人として生きていくためのね。ブルー・ラグーンに行く前に全部を整えて、マキナにも女王にも連絡したわ。あとはあなたたちの目の前で死んで見せることだけ。捜査官の前で死ぬ、これ以上に死を証明する方法はないでしょう」
「…………」
「言葉もない?」

聞き返すナツメをクラサメはまじまじと見た。肌はあの青白さなどもう微塵も感じさせない、健康そうな色をしている。生きていて、動いている。
きっといま己は怒るべきだと、それはもう烈火の如く怒り狂うべきだ思うのに、それどころではなかった。
クラサメは顔を歪め、ナツメにもう一度手を伸ばし、強く引いて彼女を抱きしめた。

「どれだけ、……あれが、どれだけ……苦痛だったか……」
「……うん」
「お前が死んだとばかり。守れもしないで、……私は、お前を、守れなかった、でも……」

お前を、愛している。
理由なんて全部それだけだった。逮捕できなかったこと、無理な理由をつけて釈放したこと、逃げる彼女を追わなかったこと。
思う通りに生きてほしかった。愛しているからだ。

ナツメがぐっと目を瞑り、耐えるように体をこわばらせた。でも、それからほどなく、「私も愛してるわ」と言った。
そうでなきゃ、こんなことはしなかった。そう続けて。

「なんだ、それ。何に緊張してる」
「……目の前で死を演出した後だもの、言うのに度胸が要ったのよ」
「全くだ。……ああ、くそ、」

クラサメはとうとう、ひどい目眩に立ちくらみを起こし、床にしゃがみこんだ。大丈夫かと心配そうな声でナツメが聞く。クラサメの背後から、ナギもやってくる。

「お前なにしてくれてんだ、全く死んだと思ったぞ」
「そうかしら。あんたのことを騙せていた気はしないんだけど」
「まあ、お前のことだから、トラブルが起きるときに全く予見してないってことはねーだろうと思ったけどよ。クラサメさん、立てますか」
「駄目だ、立てんから塩とスポーツドリンク持ってこい」
「体育会系はだいたいのトラブルをスポドリで解決しようとしやがって!どうせ眠れてねーんでしょうが、ひどい隈でわかってんだよ!」

ナギがクラサメを支えようとしたが、ナギとクラサメでは筋肉量が違う。少し休んででも、クラサメは自力で立ち上がる必要がありそうだ。
ナツメが傍らに、同じようにしゃがみ込む。

「それで、あとはどうする?インターポールが調べても、私はもう犯罪者じゃないけれど」
「……一度死んで、今はクリストファー・ネイビス出身というわけか?」
「そう。禊をしたわけじゃないから、あとはあなたの気持ち次第だけどね」
「なぜ、私に聞くんだ」
「……なぜじゃないわ。あなたはビューロウ、でも……私はもうクリミナルじゃないから」

前にもそんな会話をしたことを覚えている。
クラサメはそれを思い出して、十二分に黙りこくった。言いたいことはわかっている。
今までの自分たちには先がなかった。クラサメがFBIである限り、彼女が犯罪者である限り。
でももう、今は違う。彼女が違う人間になったわけではなくっても、もう誰もクラサメを咎めない。彼女をたとえ、これ以上愛したって。

「お前が飛び去ったとき、思ったんだ。お前が望む場所があるなら、どこまでも行ってほしかった。もっと幸せになってほしかった」
「望む場所があるとしたら、あなたの傍にいることだわ。言ったでしょ、あなたといたときが私にとっては一番幸せな日々だった」

ナツメが屈んで、クラサメの前髪を払った。目が合う。
クラサメは彼女に、手を上向けて差し出した。

「私と帰ってくれるか」

ナツメは微笑んで、クラサメの手の上に自らの右手を載せた。

「ええ。喜んで」

クラサメは彼女の手を握り込む。

「……そのために尽くした万策だったわけだな」
「そうよ、もちろん」
「今更だが腹が立ってきた。別に最初からすべてを打ち明けてもよかっただろうが」
「あなたはともかく、ナギがどう言うかわかんなかったからねえ……」
「ちょっ、職務に真剣だと言え。っつうかこの状況、お前がもう死んだ以上は逮捕理由がねえだろうが。FBIにゃお手上げだよそもそも」

ナギがため息を吐いて言う通り、もうクラサメたちには彼女を逮捕するすべがないのだ。だからやはり最初にすべて聞いておきたかった。あんな光景を見せられる前に。

「まあ……私一人だったら、言っただろうけどね。多少の賭けでも。でも、マキナにも賭けをさせるわけにはいかなかったから」
「マキナ・クナギリも生きているのか?」
「そりゃそうよ。事前に防弾ベスト着て、血糊を仕込んで、ホシヒメにはどこを撃てばいいかって指示まで出してるんだもの。今はビジネスクラスで寝てる。最悪の場合でも、マキナはレムのところに戻してあげたかったの」

たぶんそれが、ナツメの禊なのだろうと思った。“禊をしたわけじゃない”と言ったけれど、そもそも彼女の犯罪行為のすべてが、あの青年と、その兄と、あの看護師に向けての禊だったのだと。理由は何も知らなかったが、ナツメがあんなことをしたのはそういうことなのだと確信めいて思った。
そうでなければ、ナツメにはあの日、あの倉庫から逃げる必要はなかった。マキナ一人を逃せば済んだことだ。でもそれだけでは、マキナだけがやはり離れ離れなままだ。
彼女が犯罪者になったのは兄弟のため。マキナから犯罪者の来歴を引っ剥がして、合衆国に連れ戻すために、自分も一緒に逃げたのだ。

「償いが終わったのか」

自然に出た言葉だ。だからナツメは今、クラサメと共に帰ろうとしているのだと。
ナツメはにやりと口角を上げた。

「まだよ。元夫がムショにいちゃあね」
「……そこまでが贖いなのか」
「もうちょっとよ。もうちょっと」

今はとりあえず、乗るはずのCA一人、嘘ついて下ろしちゃったから、その分の仕事はしないと。

「もうじき到着のお時間です。お客様、席についてシートベルトをお締めください」

そう言ってナツメはクラサメの肩を叩き、立ち上がる。ビジネスクラスのほうへ歩き去るナツメを見送り、クラサメも壁伝いに立った。

「……逮捕しなくていいか?」
「なんで俺に聞くんです」
「実際、できないわけじゃない。目の前で死んだと言ったって、それが偽装だったことはDNA検査でも証明できるんだから」
「……そりゃ、ねえ。逮捕したい……というか、逮捕するのが自然なんですけどね。FBIが救えなかった被害者が死んだってのに、それで戻って来ようとしてるってのに、“生前の罪”で逮捕ってのは、ちょっと無いでしょ。それにあんたの言う通り、あいつは贖って、刑期を終えて、再出発するんだから」

どこまで苦しむことが充分な償いなのかなんて、クラサメにもナギにも決められない。神でも法でもないから。
だからクラサメは席に戻るや否や、疲れが出てすっかり眠ってしまった。ほんの二十分後には、ナツメの言う通り飛行機が着陸し、彼女に再度叩き起こされる羽目になったわけだが。




そして、それから数日後。ナツメは言った通り、クラサメの元へ戻ってきた。
堂々としたことに、FBI支局の前で退勤を待ち構えていたのである。

「パスポートの名前は違うけど、ナツメで良いよ」
「……誰も見てないのに三文芝居するな」
「あなたが見てるじゃない」

傍らにはマキナとレムがいて、クラサメを見張るような目で見ていた。そんなに心配しなくてもお前らの姉を不幸になどしない、伝わったかはともかくそう視線で返して、クラサメは彼女の前に立った。

「ねえ、それで、めでたく一般人になったことだし、マキナと私は再就職先を探してるんだけど」
「……ああ」
「捜査のコンサルタント業って、まだ空きはある?」

クラサメはつい笑って、ナツメを見た。彼女も笑っていた。





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