You're a drug that's killing me.
(あなたは私を殺す薬)



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この島で女王というワードを口にする場合、二人の女王のどちらについての話であるか、必ず問い返されることになるだろう。
一人は英連邦を収める、海の彼方の由緒正しき女王陛下。そして、もうひとり、この島にしか存在しない女王がいる。

アンドリア・カヤ・トランカ・ファム・フォーチュリオ。
第一の入植者であり、当時から島を支配してきたフォーチュリオの名と血を継ぐ、実質的な権力者。
島にあるほぼ全ての産業に顔が利き、かつ出資もしていることから、彼女に逆らえる人間は政治経済問わず島内にはおそらく存在しないだろう。
当然、アンダーグラウンドな商売にも口を出している。ブルー・ラグーンに至っては、確か彼女の夫が経営者だったはずだ。

カトルはナツメたちをこの島に匿う際、彼女に話を通した。彼女はそれを了承し、ナツメたちが大人しくしている限りは島内の一切の“商売”に巻き込むことはないと約束した。流れ弾に当たらぬよう、せいぜい頭を低くしておかれるのがよろしいでしょう。彼女はそう言って薄く微笑んだ。今年四十七になるとは思えぬ若々しさと小柄な体躯は、カトルですら及びもつかないような強大な権力者にはとても見えなかった……。

そして今、ナツメはその権力者に弓を引くべく、ブルー・ラグーンの前に立っていた。青い龍の彫り込まれた看板が眩しくライトアップされている。
薄くため息。バカなことをしようとしているってことも、これが綱渡りであることもわかっている。それでも、行くだけの理由はあるのだ。

ナツメは肩から掛けた硬い革のバッグの紐を握りしめた。中に足を踏み入れると、外にいたときからすでに聞こえていた音楽が一気に大きくなった。一歩踏み出すごとに、間違いなく少しずつその音量は増している。ステイツで人気のロックバンドのヒットソングが、絶え間なく耳朶を打った。

今夜君を食らう、ただ獣のように。逃げても匂いを嗅ぎつけて、獣のように貪ってやる。
セックスの合間に聞こえたらそれはロマンチックな歌詞なのだろうが、今聞くには不吉にもほどがあった。

ダンスホールは人で溢れている。人気のあるクラブのようだ。壁際に並ぶ黒革のソファにも若い男女が座り、楽しげに話し込んでいたり、まあ睦み合っていたり。

「なあ!一人で来たの!?」
「……」
「俺ここ仕切ってるから、もっと楽しいとこ知ってるよ!なあ、奥行こうぜ!」

音があまりにもうるさいからだろうけど、黒いシャツを着た男が耳元で怒鳴る。ナツメは一瞬煩わしく思い目を細めたが、男が次に吐いた言葉で意見を変えた。

「奥にさあ、店のやつらが使ってる通路があんだけど、その向こうにVIPルームがあんだよ!」
「……VIPルーム。そう、行ってみたいわ」

従業員のための通路。こういうところの裏側の構造がどうなっているかは想像がつく。サウンドルームと厨房以外に部屋があれば、そこが本星と捉えて間違いない。

男はナツメの腕を取り、馴れ馴れしく肩を抱いて奥に連れ込んだ。人気のなくなった廊下に出た途端、上着の裾から手が入り込んできたので、バッグの中身を片手で取り出しこめかみにたたきつけてやる。

「ひぎゅっ!?」
「馴れ馴れしいんだよ」

崩折れた男の腹に一発蹴り入れる。男はまだ動いていたが、もう一度頭を蹴ると白目を剥いて体を弛緩させた。死んだかどうかは確認しない。殺人が怖くて犯罪者ができるか。もちろん殺していないほうがいいに決まっているけれど。

ナツメはVIPルームの入り口を外から覗き見て、中の連中が絡み合うばかりで他に注意を向けることはできなそうなことと、中央の低いガラステーブルの上にコカインや大麻の粉末が雑多に置かれていることを確認して、外から開かないよう倒れた男をドアの外に凭れ掛けさせた。

「……やっぱ、重たいな」

バッグに入っている間はそうでもなかったのに、手に持つと重みが余計にかかる気がした。
家から持ち出したのはサブマシンガンだった。ヘッケラーアンドコッホのMP5だ。残念ながらカルラから買い付けた品ではない。さすがに持って国を移ることはできなかった。カトルが護身用と言って置いていった、明らかに護身用ではないサイズの短機関銃である。

それでも今日は、これがあってよかった。銃に引っ掛けたスリングを肩に掛け、ナツメは歩き始める。ホールの曲が変わったのが聞こえてきた。音がこんなに激しいんじゃ、人の声なんて聞き取れやしないし、気配も感じる余裕がない。拳銃じゃ厳しかっただろう。中近距離には最高の銃だ。

光の少ない廊下を進み、突き当りを曲がる。廊下は更に暗くなった。だんだんと、それまで聞こえていたどの音とも違う打擲音が聞こえ始める。
その音の正体がわからないほどナツメも初心ではないし、そして合意の上のセックスだという確信もなかった。

必要もないのに足音を殺し、曲がった先の廊下を歩いてその先のドアを目指す。壁に背を当て、ドアの縁沿いに中を窺った。わずかに開いたドアから、水音と打擲音が激しく聞こえてくる。女の声は聞こえない。部屋の中央より少し奥の暗がりに、屈んだ男の後ろ姿。
倒れ伏した女の両手がだらりと床に広がって、男が腰を叩きつけるたびばたばたと揺れていた。明らかに意識のない人間の動きだった。

「……」

クソ。クソが。
頭の中をそんな悪態ばかりが行き来する。耐えられる気がしなかった。気がついたときには、男の頭を後ろから撃ち抜いていた。
バシュン、という音と振動が断続的に響く。つい何発も浴びせてしまった。

駆け寄って男の死体を蹴り飛ばし、女の上からどける。女は目を強く閉じ、うなされているような顔をしていた。目覚めるだろうかと不安に思いつつも、ナツメは周囲に視線をやり、壁に掛けられたジャケットらしきものを取って裸の女に掛けた。目覚めたときにはきっと最悪な気分だろうけど、それでも寒さの中で目覚めることがないといい。

「あ……う……」

不意に部屋の奥から聞こえた呻き声にナツメははっと顔を上げる。近づくと、小さな顔と乱れた黒髪の巻き毛が見えた。「クリスティナ?」呼びかけると目が開く。
だらしなく開かれた口と、恍惚に彩られた目。

「う……うう……あ……」
「外傷はない……もうヘロイン打たれちゃった……?……ああ、くそ」

後ろ手に縛られた縄をナイフで切り、肘の内側を見ると、赤黒い点が見えた。下手くそな注射の痕だ。
ヘロインは各種違法薬物の中でも最も最悪と名高い薬で、一度でも打ってしまったらしばらくは離脱症状に苦しむことになる。ナツメは舌打ちをした。コカインならばいくらかマシかもしれないが。

「……だから、こっちから聞こえたんだ!」
「本当に銃声だったのかよ?」
「聞き間違いだったらまずいぜ、ダグが奥で一発やるって言ってたし……」
「でもさっき客が倒れてたじゃねえか」

廊下から声が聞こえてくる。男が数名。さっき殺した男の手下だろうか。
ナツメはクリスティナを抱えあげるのを一旦諦め、ドアに駆け寄った。短機関銃を改めて構え直して、腰を落とした。一人でも逃せば死ぬのはナツメとクリスティナだ。
息を吸って、深く吐いて、ナツメは半身だけ体をドアから外へ出し、男たちへ発砲しようとした。
だが、直後だ。ナツメが見つめる男たちの更に背後から、駆け寄る足音があった。

「ガサ入れだ!!やべえぞ、薬抱えて逃げろ!」
「あんだと!?なんでサツが……」
「ボスが黙らしてるはずだろ!?」
「いいから早く!!」

男たちは大慌てで踵を返していく。薬の在庫は多少なりともあるはずで、それらが正式に摘発されればいくらこの島の有力者がこの店の経営者でも無傷でいられるわけがない。彼らは聞こえたかわからない銃声より、そちらにかかりきりになるだろう。この部屋に来ることはなさそうだ。

助かった。支配された警察を動かすなんてことナツメにはできないから。この時点で、一つ目の賭けには勝った。

「クリスティナ?クリスティナ、わかる?」
「う……うう、あ、……」
「大丈夫よ、すぐ助けがくる。これを解いて、床に寝ましょう。それで少し眠って、目が覚めたら……良く、なってるわ」

That's will be,...be okey.
嘘だ。良くなんてならない。次に目を覚ましたときクリスティナを待つのは薬の続きか、あるいは禁断症状だ。何一つ良くなんてなってない。
それでもナツメはその嘘をついて、クリスティナを地面に横たえ、眠れるよう頭をなでてやり、短機関銃をバッグに戻した。

部屋を出て、すぐ近くにある窓を開き、バッグを先に下ろして自分も窓から体を外に出す。ハイヒールブーツが地面を叩く、暗闇から声が掛かる。「姉さん」
振り返れば、男が三人立っていた。

「……マキナ。ありがとう。ちゃんと動いてくれて」
「あんたの命がかかってるってときに、動かないわけにはいかないだろ。……どんなに気に入らないことでも」
「おい。俺らがどんだけとんでもない手順を踏んだかわかってんのか。第一休暇中なんだぞこっちは」

ナギが舌打ちする。半年しか経っていないのに、数年ぶりに再会したときよりずっと懐かしく感じた。
その背後から、クラサメがナツメを見た。ナツメも彼を見た。一瞬の沈黙を裂いて、ナギがもう一度苛立たしげに舌打ちをした。

「あー……ごめんね?助かったわ」
「俺、指名手配犯見つからなかったって報告上げてきますから」
「ああ。頼む」
「気にせんでください、トラブルを未然に防ぐためにわざわざ有給無駄にしてんですから」

ナツメがマキナに頼んだこと。それが、彼ら二人を動かすことだった。
FBIの追っている指名手配犯がブルー・ラグーンに潜伏している。休暇中でも、アメリカ本土のFBIにそう連絡してこの島の警察を動かすことは、FBI捜査官ならばそう難しいことではない。まあ、所属組織を騙していることに間違いはないので、あとで叱責が待っていることは間違いないのだろうが。
そして、いかに上層部がアンドリアの夫の言いなりでも、実際にひどい目に遭わされているのは市井の人々だ。警官たちも、一度突入してしまえば見てみぬふりはしないだろう。

ナギが店の表に向かって歩いていく。路地の向こうで、青と赤の光が点滅しているのがわかる。それを見送りつつも、時間はそう多くないとナツメは頭を振った。

「マキナ、ちゃんとやってくれたのね」
「……そうしなきゃ姉さんが死ぬことになるだろ」
「ええ。まさに殺し合いになる寸前だったから、天の助けだったわ」

そう言ってナツメはマキナに肩を竦めてみせる。それから、もう一度クラサメに視線をやって。

「とりあえず、うちに行きましょう。このままここにいるのは危険だわ」
「……ああ」

クラサメは短く頷いた。また会話する日など、きっと来ないと思っていた。
今朝、あなたを見つけるまでは。

それでも、見つけてしまったから。この計画はその瞬間に組み上がった。

クラサメが隣を歩いている。夜闇の生ぬるい風が髪をふくらませる。汗をかいていたことを、涼しいので知った。
無事でよかった。囁くような彼の短い言葉が耳朶を打ち、浮かぶのは罪悪感ばかりだった。







家について、ドアを開き、ぶら下がったベルが鳴ると、ほっとした気持ちになった。想定しうる最悪のパターンの、だいたい半分くらいは起きずに済んだ。あといくつかの最悪はこれからに掛かっている。

電気をつけて、カウチソファに落ちるように座り込む。久々の仕事はおおいに疲れた。

「こんなに動いたのは半年ぶりだわよ……」
「姉さんは動かなすぎなんだよ。一日中プールかそこに寝っ転がって」
「ああもう、うるさいわねえ……」
「……姉さん。ここ、怪我してる」

カットソーの袖口に血が滲んでるのを見て、マキナが顔を顰めた。ナツメの袖を彼がまくると、服の内側で皮膚が擦れ、擦り傷ができていた。

「ああ……」

あの馴れ馴れしい客を振り払ったときだろうか。その後の動きを考えるばかりで、自分の怪我になど気を使う余裕がなかった。

「待ってろ、救急箱があったはず」
「そんなもんあったの?家具備え付けとは聞いてたけど、気が利きすぎでしょ」
「姉さんは家のことを把握しなさすぎだ」
「あ、ついでにこれ片付けておいて」
「……全く」

サブマシンガンの入ったバッグを押し付けられたマキナが救急箱を探して奥へ消える。手持ち無沙汰に立ち尽くしているクラサメを振り返って、ナツメは「座れば」と言った。

「……ここが、家か」
「ええ」
「あまり広くないようだが、二人で暮らしているのか」
「そうよ。確かに寝室は一つしかないけど、私はここで眠ることが多いし」
「……そうか」

クラサメはしばし躊躇ったあと、カウチのすぐ近くにあるオットマンに腰掛けた。ナツメをじっと見ることはなく、落ち着かない様子だ。

「一体どうして、あんなことをしたんだ?……このまま何事もなければ、私は合衆国に戻るつもりだったが」
「ちょっとね。助けてくれって頼まれて。ブルー・ラグーンは違法薬物の精製と売買をしていて、そこに女の子が捕まっちゃったのね。それで」
「通報しなかったのは?」
「この島の有力者の、女王って呼ばれている人を知っている?」
「ああ。フォーチュリオの女王だな」
「ええ。ブルー・ラグーンを経営しているのは、彼女の夫なの。もともと遠縁で、婿入りした夫。警察も逆らえない。だから、あなたたちの力を借りたかったの」
「それによって自分たちが逮捕されるとしてもか」

クラサメが静かな目で聞いた。脅すつもりの言葉じゃないことはよくわかった。
ナツメは背もたれに頭をうずめて、

「しないでしょう」

と薄く笑って言った。

「……なぜ」
「え?……だって、」
「違う。お前に聞きたいんじゃない。私は……私はなぜ、お前を捕らえる気が持てないんだろうかと、そう思っただけだ」

ナツメは、それには答えることができず、ただ黙りこくった。暫時の沈黙。
その理由は一体なんなのだろう。クラサメがナツメを捕らえないこと、ナツメがクラサメを信じていること。二人の間に依然として、何かがある。

静かな二人のもとへ、マキナが家の奥から戻ってきて、前触れ無くナツメの傷に消毒液を浴びせた。

「ちょっ痛い痛い痛い!」
「反省しろバカ」
「何をよ」
「人生の大半を」
「喧嘩売ってるの?」

マキナは苛立たしげに、乱雑な手付きで絆創膏を叩きつけた。酷い。レムを見習え。
ナツメのため息と同時、またあの目覚まし時計めいた、嫌な音を立ててドアベルが鳴る。「ナギかな、住所連絡したの?」クラサメに問いかける間に、マキナが鍵を開けた。

そして直後だ。
短い破裂音がして、ナツメとクラサメは目を見開きドアへ視線を送る、マキナの体が一瞬だけ凍ったみたいに硬直して、そして直後彼の体がぐらりと傾く、反応できたのは彼が床に倒れ伏してからだった。
すべてがスローモーションだ。映画の一幕、そのまんまだ。

「マキナ!!!」
「……やあ、その方ら。息災なようで、何よりだ」
「ほ、ホシヒメ……ッ!?」

倒れたマキナの体から血が流れ出て、フローリングの溝に沿って広がっていく。ナツメはカウチを飛び越えてマキナに駆け寄る。「ナツメ、行くな!!」クラサメが追いすがって止めようとしたのが空振る腕の気配でわかったが、ナツメは止まらない。マキナのもとへ向かう体、銃声を聞くより崩れ落ちるほうが早かった。
腹部を深く襲う衝撃。自らも撃たれたのだと悟った頃には、床に叩きつけられている。

戸口には女が立っていた。くすんだ水色のロングスカート、シフォン素材の美しいブラウスにリボルバーがあまりにも不釣り合いだ。恐ろしいほど白い肌と、薄青のヴェールがかかったようなアイシャドウ、ブルーのグロス。ナツメは彼女を知っていた。
クラエス・ホシヒメ・ミスカ・サンセスト。常に女王の傍らに控えている、彼女の護衛で、弾除けで、懐刀。

「あ……あ……」
「……ではわが女王、カヤ様より伝言を申し伝えよう」

ホシヒメはナツメの頭上で、銃をリロードしクラサメに向けた。動けば撃つ、視線がそう告げていた。

「“我らが友人よ、誠に残念だが、セントクリストファー・ネイビスからは此れを以て立ち去ることを命ずものである。いづれまた、機会があれば我が家の東屋で午後のティータイムを。”とのことである。謹んで受けられたし」

うっすら微笑んだ顔を、仰向けにひっくり返ったナツメは逆さまに見る。目を細め、ナツメも笑ってやった。

「……畏まりました、女王陛下と……お伝えいただける?」
「承ろう」

ホシヒメはくすくす笑い、拳銃を片手にぶら下げたまま、何にも警戒を示すことなく淡々と踵を返した。ドアの向こうの暗闇に溶けていく後ろ姿を見送って、ナツメは痙攣しそうになる体を懸命に押さえつけたが、体に力が入らない。

ナツメ!!」

クラサメがナツメに飛びついて、熱い腹部の銃槍を彼が手で押さえる。応急処置をしようとしているのだろうが、血は止まらない。血まみれで滑る手で彼はスマートフォンを取り出し、救急車を呼ぼうとしていた。「ビーチの近くの、そうだ、一番奥のヴィラだ!!撃たれた人間が二人!至急救急車を寄越してくれ!!」叫ぶ声がどこか遠い。彼のこんなに必死な顔は初めて見た。

「くそ、ナツメ、嘘だろう……!!どうしてこんな……!」
「う……うん……あは、大丈夫、こんなの嘘よ……」

懸命に笑って、彼の顔に触れる。彼を抱き寄せたかったが、そんな力はなかった。
そしてナツメは、目を閉じた。



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