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果たして、事件はまたしても路地裏で発生していた。今度は街の南側、さすがに中心地からは外れているが、通りを二つも挟んだ向こうには街で最も人通りの多い街道がある、そんな辺り。
バンクスに連れられたクラサメたちがその路地裏に着いた頃には、すでに数名の町人がおり、遠巻きに殺害現場を眺めていたが、クラサメたちに気付くとそれぞれに顔を背けたり、ひそひそと話し込んだりした。やはりクラサメたちを避けようとしているのだろうか。

そんな町人たちの中には泣き崩れている老女がいる。バンクスが「被害者の祖母だ」とクラサメに小声で耳打ちした。
路地裏の奥へ入ると、衛兵隊が二人おり、そのうちの一人が写真を撮っている。地面には女の死体がぐったりと横たわっており、顔やスカートから覗く足の青白さがあまりにも痛々しい。人間の色をしていなかった。微かながら届く血の臭いは、クラサメたちにとってあまりにも懐かしく、そして当然倦厭するものだった。否応なしにあの頃に引き戻される気がしてしまうからだ。

「……刺殺か。二度目だな」
「そうみたいだね……雨でだいぶ、血は流れちゃってるけど」

クラサメの横を通り過ぎたケイトが近づき、膝を折った。衛兵隊の一人が「おい何してんだ」と唸るのも聞かず、白目を剥いた彼女のまぶたに手を伸ばし、半分に開かれたままの目を閉じさせる。同時にクラサメの背後で、靴音が鳴った。

「ケイト、いいわ。あとは私が」

クラサメが振り返ると、ナツメが小ぶりのトランクを下げて立っていた。小脇に白衣を抱えている。表情は冴え冴えとしていて、目の前の死体に対して完全に無感動だ。

ナツメ……」
「騒がしいから、きっとこうだろうと思った。……バンクス?死体を調べる場所はある?」
「調べるって……解剖するんじゃないだろうな」
「解剖だって!!?」

バンクスの答えを聞いた、被害者の祖母だという老女が叫び声を上げた。ナツメは気鬱げに振り返り、首を短く横に振った。

「傷つけるわけじゃないわ」
「信じられるもんか!!突然外からやってきたよそ者の皇国人なんて……っ!!」
「気持ちはわかるけれど、本当よ」

ナツメはゆっくり老婆のほうを向いた。その顔は痛ましいものを見たと言わんばかりに歪められ、老婆への同情心らしきものがにじみ出ているように見えた。
だが、見えているだけだ。その表情は、彼女の短くない諜報員としての経験から作られたものでしかないと、クラサメたちにはわかっている。

「こんな方法で殺されていい子じゃないはずでしょう?なんとしても早く犯人を突き止めないと、彼女も浮かばれない。そのためにできることをすべてするから」
「うっ……で、でも……!」
「そもそも暫定政権の委任を受けている以上、事件の解決が街の総意ならばあなたの頼みは聞けないの」

ナツメにそう言われてしまうと反論の目がなかった。過剰に反対すれば、公務執行妨害となる。周囲の人間に支えられた老婆は、それでもなんとか反論せねばと震えていたが、ナツメがダメ押しに「それに、こんな状態じゃとてもカワイソウだわ。傷口を縫ってあげたいのよ。駄目かしら」と悲しげに言うと、崩れ落ちておいおい泣き始めた。上手い手だなと素直に思った。傷がぱっくり開いたままの死体を棺に納めることなど、親族にとっては明らかに忌避すべきことだからだ。かといって、死体を縫える人間など、ここにはナツメしかいないだろう。

それをナツメは躊躇いなく了承として扱い、バンクスに向き直り、案内を要求した。衛兵隊の一人が路地の外から担架を持ち込み、遺体を担架に乗せて運び出す。
それを見守るナツメに、ケイトが声を潜め、ところで子供はと問う。「寝ているわ」「いや放っておいちゃまずいだろ」「だからあなたたちは家に戻ってちょうだい」「そ、それは構わないけど」ケイトはクラサメをちらと見た。

「クラサメはどうする?」
「……ナツメと行こう。資料を受け取らなければならんし」
「じゃあ、エイト、アタシらだけ帰ってようか」
「そうだな。起きる前には家に居たほうがいい」
「……苦労をかけるな」

クラサメは二人の元生徒に短く礼を言い、衛兵隊とナツメが歩き出した背中を数歩遅れて歩き出した。背後からナツメに、「おい、さすがに子供を一人で置いてくるのは」と苦言を呈した。

「大丈夫よ。一人じゃないもの」
「……なに?」
「問題ないのは間違いないわ。とりあえず、早く調べてしまいましょう」

ナツメがさらりと言い張るので、クラサメはうっすら意味を察した。彼女が言うのなら、言葉どおり、誰かが家にいるのだ。本来ここにいるはずでない誰かが。
そしてその誰かは、理由があって合流した。

「……目算がついたのか」

クラサメが呟くように言うと、ナツメは振り返ってうっすら微笑んだ。それで全てを察し、クラサメは短いため息を吐いた。



バンクスが用意したのは、衛兵詰所からほど近いところにある平たい建物であった。
この街に現在医者はいないが、薬師が来たときや死体を埋葬する前にはにはいつもここに死体を安置しているらしい。小部屋がいくつか続いており、その一番手前の部屋にあった台にナツメは死体を寝かせるよう指示した。
近くの机にトランクを起き、留め金を外して開く。クラサメでも一見しては何に使うのかわからない、銀でできた器具が手際よく並べられ、ナツメは白衣を纏って髪を後ろで簡単に縛った。
そして最後に手袋をはめ、振り返ると、彼女はクラサメを怪訝そうな顔で見る。

「どうしてまだいるのよ?」
「どうして、とは」
「ここに用はないでしょう」
「出て行けという意味か」
「そりゃあそうでしょ」

呆れ果てたような顔でナツメはドアを指差す。死体を運んできたバンクスらは、自分たちも出なければならないのかと顔を見合わせた。
だがクラサメにはなんとなくわかっている。そういうことじゃない。

「これから死体調べんのよ。いくら死体でも、あなたの前に全裸の女が横たわることを私が許すとでも思うの?」
「……。まさかとは思うが……お前は……私が死体になにか思うところがあるとでも……」
「そういうこと言ってんじゃない。ッカーわかってないわあなたって人は本当いつまで経ってもわかってないわ!!」
「もういい黙って仕事をしろ」

後ろからぎゃあぎゃあ喚く声が聞こえるのを努めて無視し、相手をするのも面倒になったクラサメは早々に部屋を引き上げる。大抵の場合、譲らぬと決めたナツメには何を言っても無駄なのだった。最近、特に頑固だ。昔は、少なくとも自分が正当じゃないと思うことは口に出しては言わなかった。納得していないナツメはどのみち何かしら騒動を起こすので黙殺するとクラサメも痛い目を見たし、なによりそうやって言いたいことをじっと全部耐えているさまがクラサメは大層嫌いだったので、我儘になってくれるのはいいことだと思っているのだが。……だけれども。
外に出て、ため息とともに壁に凭れると、続けてバンクスが出てきた。

「愛されてるな?」
「……笑えばいいのか、怒ればいいのかわからん」
「喜べばいいんじゃないか?独身の身からすると羨ましい話だがな」

バンクスは肩を竦め、そう笑った。なるほど、少し触れただけならそう思えるか。
クラサメたちはずいぶん、普通になった。容貌から不審者に間違えられることは多いし、年をとってきっと弱くなっただろうけれど、でも普通だ。幸せで、強固で、恐ろしく脆いひとかたまりになった。

「それで、資料だったな。用意はできてるぞ。まあ、所詮辺境の兵士崩れだから、きっちり記録できているかはわからないが……」
「手間をかける」
「こっちだ。ついてきてくれ」

バンクスは規則的な歩幅で歩き、クラサメを先導する。まっすぐ伸びた背筋と狂わない歩幅を見るに、元軍人であることは想像に難くない。それから、おそらく。

「皇国の出か」
「……なぜそう思うんだ?」

肌は日焼けしていて朱雀の民とさほど変わらない色をしていたし、髪も濃い茶の色をしている。だが髪の根元に光が当たると色味が違って見えるし、全体で見れば少しちぐはぐな印象を受ける。こういう人間はたいてい、身なりを誤魔化している。
バンクスは歩き続ける。

「この国で自分の出自を偽りたい人間がいるとしたら、皇国出身者だけだ。とりわけ、元軍人」

意外なことだが、玄武と蒼龍の出身者は、さほど疎まれていない。それに、体格に違いがありすぎるから、基本的には偽れない。消去法で出身はわかる。

「…………」
「別に何も恐れることはない。不法移民を取り締まる余裕があるわけでもない。妻も元は皇国の出身だ、まああれは不法移民ではないが」
「そうもいかない。特に、氷剣の死神が背後を歩いているときには」

クラサメは足を止める。コートの内側に隠した剣の柄を手で押さえた。顔だけ振り返ったバンクスはそれを見咎めることもなく、

「そちらこそ、恐れることはない」

とだけ苦い顔で言った。

「私が誰か知っていたのか……」
「あんたは有名人だからな。町長が気づかなかったのが不思議だよ。……あんたの言う通り、俺は皇国の脱走兵だ。所属していた部隊は俺を残して壊滅してな。運悪く生き残った俺は、ドッグタグだけ捨てて森に逃げたんだ」
「それで今の今まで生き延びたのか?」
「いろいろあったがな。空の色が変わったりなんだり……」
「ああ……もうずっと昔に感じるが」

あれから四年、本当に大変だった。死体を積み上げ、瓦礫を片付け、旧魔導院下の街も未だに人が住める地域は半分程度だ。あれから打ち捨てられ、盗賊の棲み処になった街もある。どこもまだかなり治安が悪い。
本当にいろいろなことがあって、クラサメには過去たくさんの恨みや憎しみがあったはずだが、今ではすっかりそれらも色褪せ、心を動かすことはない。子供が生まれ、ナツメは穏やかに傍にいる。今のクラサメには、そういうものだけがある。

「ともかく……妙な化物に追い回されたりもしながら、俺は生き延びた。その先でこの街にたどり着いたんだ。それから少しずつ住人も増えた。たいていが朱雀の人間だ。俺が何者かわかれば、みんな俺を忌避するだろう」
「……そして、街を追い出されると?」
「そうだな。きっとそうなる。みんなまだ戦争を恐れてる」
「誰にも告げないと約束しよう。だが、私の連れはおそらく全員が気づいている」
「……怖い連中だな。0組か」

バンクスは嘆息しながら言った。クラサメはその横顔を見ながら、「手を出さなければ怖くない」と言った。

クラサメには今、そういうものだけがある。けれど全ての人間がそうだとは限らない。
恨みを忘れるには強さが要る。クラサメは幸いにもそれだけの力を持っていたし、周囲の人間も打ち克つ力を持っている。だから安心して生きていられるだけだった。運がよかった。

「お前が皇国出身者と聞いて気になるのは、この一点だけだ。部隊の仲間であれ、家族であれ、殺された恨みはあるか」

あえてはっきり聞いたのは、反応が見たかったからだ。おもねるような言い方をすれば、クラサメが望む答えを引き出すことは容易い。だが、深層に潜む心理を正確に把握できなければ、危ういのはクラサメの家族と部下なのだ。
バンクスはじっとクラサメを見つめ返す。

「当然だ。恨んでるし憎んでる」

彼は臆さずそう言った。

「だが、それでも心を律する方法はわかっている。俺は兵士で、ごろつきじゃない。眼の前の人間を殺してもたらされる変化なんて、良くも悪くも大したことじゃないということも、経験則で知っている」
「ああ。そうかもしれないな」

クラサメは短く頷いた。バンクスは顎先で詰め所を示し、もう一度歩き始める。

「それを抜きにしてもあんたを殺す方法なんか俺には無い。嫁さんでも狙えって言うならともかく、下種に成り下がりたいとは思わない。そういう元同胞もいるがな」
「……まあ、あいつを狙ったほうが後が怖いとは思うが」
「ん?」
「いやなんでもない」

詰め所までの道はそう長くもない。詰め所には暗証番号の南京錠と扉の鍵がついており、辺境の街の衛兵詰め所にしては厳重に見えた。鍵を二つ開け、小さな詰め所の扉を開き、バンクスは資料が並んだ棚に手を伸ばす。何年分かわからないが、資料はぐちゃぐちゃと乱れていて、傍目にも順番が狂い、とても整理されているとは言えない。
そのせいなのか、バンクスが資料を探す手も苦戦しているようだった。

「……ない」
「は?」
「おかしい。昨日は確かにあったのに、ここに入れてあったのに……ないんだ」
「……失礼だが、棚の整理不足のせいではないのか」
「それは違う!昨日、あんたに渡すために、抜けなんかがないかちゃんと中身を確認しておいたんだ。それに、こんなにぐちゃぐちゃじゃなかった。昨日までは普通に、順番に並んでいたのに……」

振り返ったバンクスの顔が青い。彼が考えていることはクラサメにも手に取るようにわかる。犯人が盗みに入った、あるいは警邏か町人が捜査を妨害しようとしている。いずれであっても、バンクスの望む事態には転びそうにない。
バンクスは大慌てで、もう一度資料棚をひっくり返す。うっかり見つからないだけであってくれと焦る手付きだ。

「……どうしてだ。どうしてないんだ……?」
「落ち着け。何も決めつけるつもりはない。……ならば、ゆっくり探してくれ。私はナツメのところへ戻るから、見つかったら資料を持ってきてくれればいい」
「……ああ。ああ、わかった、ありがとう」

クラサメの言葉に、僅かにだが落ち着きを取り戻したバンクスは何度も頷き、棚に向き直ってもう一度、一冊一冊取り出して調べ始める。クラサメはそれを一瞬見つめてから、告げた通りに踵を返す。
ナツメのほうは終わっただろうか。終わっていないとまた外で待たされる羽目になるなと少しばかり気鬱に思いながら、また降り出しそうな空の下を歩き始めた。





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