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「エイト、早く起きなさい。ケイトはもう起きてるわよ」
「……うう、頭が痛い……」
「蒼龍に近いと気圧が低いからね。クラサメもそれで不機嫌だから、本当、もう起きたほうがいい」

クラサメを今怒らせると後がめんどうだ、そう言外に言う副隊長にわずかに呆れ――今やあんたの旦那だろう、少しくらい操縦してみろって言うんだ――それでもエイトはソファから起き上がった。
借りた一軒家には、二階に部屋が二つしかなかった。スサヤ一家が一部屋使うとして、残った部屋はケイトのものだ。だって、女子だし。ケイトは「別にアタシら二人で一部屋でいーじゃん。昔は十二人で一部屋で寝てたこともあるしぃ」等と意味不明な言動を繰り出していたが、エイトはさすがにそれは承服できかねる。いやそれでいいんならいいけど、むしろ嬉しいしラッキーだけれど、そういう意図など微塵もなく言っていることくらいわかっているので。

「……にしても、悪かったわね。一人だけ不自由なところで寝かせちゃって」
「いや……部屋割りについては、これ以外の道はなかっただろ。アンタらだって一部屋は結構狭いんじゃないのか」
「まあ、普段よりはね。でもちゃんとベッドがあるし」
「オレだって別に、ソファで困ることなんてないさ。戦時中はコンテナの中でも飛空艇の中でも転がって寝ていたしな。……ケイトと同じ部屋よりはずっといい」
「あー……、それとなく話してみようか?あの子、たぶんまだきょうだい感覚が抜けていないんだわ」
「……いや、そこは……オレが頑張らないとダサいだろ。いいよ。……いや、でももしかしたら、たぶん、頼むかもしれないけど……」
「あはは。いざとなったら副隊長にまかしておきなさい」

クラサメが関係ないときは案外頼りがいのあるナツメは笑ってそう言った。こんなふうに、なんの含みも気後れもない笑顔を0組にも見せるようになってずいぶん経つ。
なんかもう、本当に家族みたいだな。エイトはうっすらぼんやりした目でそう考えながら、キッチンに立つナツメの後ろ姿を見ていた。
まるで母親に起こされた気分だった。……マザーは、もういないけれど。

「おっはよー……あーあ、エイト、やっぱり」
「なんだよケイト……」
「よく寝れなかったでしょ。あんたすぐ顔に出んだから」
「オレの表情なんか読み取ってくるのはお前くらいだよ……まったく」

すでに身支度を整えたケイトの横を通り過ぎて、洗面所に向かいそこで顔を洗って、口をゆすいだ。
水道はきちんと通っているみたいだ。もう四年近く前になるフィニスの刻に、水道や下水、ガス管のようなライフラインを破壊された街も多く、まだ整備は終わっていない。そこへいくと、この街はだいぶ運がよかった。
ミィコウの人々は気の毒だったが、正直そんな街ばっかりなのだ。人が住める状況が残っているだけ、ずっとマシなほう。

鏡の中には、確かにいつもより少し顔色の悪い己の顔があった。短くため息を吐いたところで、二階へつながる階段をクラサメが降りてきた。ちょうど起きてきたところのようで、確かにいつもより少し剣呑な目つきの彼と目があった。

「お、おはよう……ございます」
「……おはよう。さっさと着替えろ」
「あ、ああ」

それでも一応会話は成立し、特段暴力的な行為もなく彼はリビングのほうへ歩いていった。それにほっと胸をなでおろし、入れ違いに階段を駆け上って二階で着替えなどの諸々を済ませようとしたとき、階下から「いったーい!何すんのよクラサメ!!」「やかましい隊長と呼べ!!」「はーい二人ともうるさいわーうちの子が起きるー」、続けざまそんな声が聞こえた。
ケイトも学ばないやつだ。今更クラサメに敬意を持つのが、否それを示すのが気恥ずかしいのだろうが。
もうちゃんと尊敬しているし、憧れている。でもそれはきっと一生秘密にしていくんだろうなと思ったら、なんだか少し笑えたエイトだった。

ナツメとケイトが用意した朝食を五人で食べ、今日はとりあえず過去の事件現場を見て回るぞ、クラサメがそう言った。

ナツメは家に残れ。エイト、ケイト、一緒に来い」
「ほーい。あ、ナツメー、髪結んで!」
「はいはい……」
「お前髪伸びたな。切らないのか」
「もうちょっと伸びたらねー」

昔はショートカットだったケイトも、今はセミロングと言うにも少し長いくらいに伸びている。猫っ毛でくせ毛、ハネ放題の髪だが、快活な彼女にはしっくり似合う。
その背後で、手慣れた様子のナツメがさっさと髪をポニーテールに結んだ。理容師でも食っていけるんじゃないかと思うくらい、ナツメは髪をいじるのがうまい。元四課の昔取った杵柄とでも言おうか、四課は仕事柄変装が多かったからだと聞いている。ここ数年、クラサメも含め、0組は全員ナツメに散髪を任せているくらいだ。

「よし!カワイイ!?」
「はいはい可愛い」
「よっしゃ行こー!テンション上がった!」
「順路の話も終わってないだろうが。ナツメ、お前も調子に乗せるな」
「はいはい」

最近めっきり「はいはい」が口癖になっているナツメは食事の済んだ皿を下げ、洗い物をしながらぐずる子供の面倒を見るという器用さを披露していた。
クラサメがテーブルに地図を広げる。厚い羊皮紙に書かれたそれは明らかにナツメの手書きである。

「こんなんいつ作ったの?」
「昨夜、ナツメがな」
「ミィコウの地図くらい元々頭に入ってるしね。あとは昨日見た情報を補完しただけ。他にも変わってる道とか見つけたら書き足しといてね」

ナツメはこちらを見もせずにそう言った。現段階での捜査に関わる気はあまりないようだ。
グローブに包まれた手を伸ばし、クラサメが地図上の印のついた箇所を叩く。

「事前の連絡は大した情報じゃなかったが、報告書によると事件の起きた場所はこの三箇所だ。三ヶ月と少し前がここ、一ヶ月半前がここ。最後の先々週がここだ」
「東、西、北。街の端っこに散らばってるんだな」
「今日はまず犯行現場を見て回り、特徴を調べて合致する場所を検討する。いいな」
「ほーい。了解」

それぞれに武器を外套の下に隠す。持たないわけにはいかないが、街の外から来た人間が堂々と武器を持って歩くのはよくないだろう。
今日も雨が降っている。借家には傘が数本置いてあったので、遠慮なく拝借した。子供を抱いて「いってらっしゃい」なんて言う副隊長に手を振って、エイトとケイトは先んじて家を出た。クラサメもすぐそれに続く。

ナツメ、元気そうだな」
「ああ。問題なさそうだ」
「レムが口を酸っぱくして言ってたから今回は無茶しないだろうけど……」
「どうでもいいことを言っていいか」
「……なんだ」
「副隊長が普通の母親ぽくて、むしろ、逆に、サイコスリラーの冒頭部分見てる気分だ。怖い」
「そんなこと思っても言うな」
「でもクラサメ、それこないだエースも言ってたよ……ナギも」
「……頼むから言うな。あれに知られたら悪ノリするぞ」
「やりそう。ナギと組んで包丁持って追いかけてきそう」
ナツメのイメージって一体……」

三人はそれぞれ言葉少なに会話しつつ、数分歩いて、一番最初の事件現場に至る。人通りの少なそうな路地裏であった。鼠一匹見当たらない。
ナツメの作った地図を見る限りでは、周辺に建物も多いのでそうは見えなかったが、ここは旧ミィコウなのだった。街の大きさに対して、人口が全く見合っていない。だったら人はできるだけ利便性に難のない辺りに纏まって住むことになる。そしてそれが、サトゥルは概ね街の中心部から南部にかけて広がっているようだ、ということを日中出歩いてみて知った。つまり、街の北部よりに貸し与えられた借家は、クラサメら一行をやんわり街の外縁に追いやっているとも言える。

「きれいに片付けられてるな……」
「まあもう三ヶ月も前だしねえー。ちゃんと残ってても引くよ」
「たしかにな。雨も多いことだし」
「ここの被害者は……」

クラサメが抱えていたバインダーから一枚の書類を取り出した。被害者女性の名前と、分かる範囲の情報が載っている。

「メイヴ・エリエッタ。二十四歳。縊死……三ヶ月と一週間前。最初の被害者だ」
「ちなみに凶器とかは?手で締めたんなら、調べようもありそうだけど」
「わからん。そういう情報は朱雀には届かなかった」
「でも今は現地にいるじゃないか」
「昨日の、衛兵隊の男に資料を渡すよう言ってある。自分のシフトが昼からだから、それ以降に来てくれと言っていた」
「え?でも、別に資料渡すくらい、誰でもいいでしょーに。さっさと行ってもらってきたほうが早かったじゃん」
「……なるほど、そういうことか」

屈んで現場を窺っていたエイトが振り返り、マスクの下で渋い顔をしているだろうクラサメを見上げた。

「え。なになに?」
「オレたち歓迎されてないだろ。ま、三人も死ぬまで助けを呼ばない街だしな。……いや、三人死んでも、か」

最も最近の被害者が死んだのが先々週のこと。ルブルムに要請がきたのが先週のはじめ。ルブルムに伝令を送ったとして、丸一日程度の距離。救援の要請を送るのにそうとう揉めていただろうことは、想像に難くない。

「あ……あー、あー……くっだらな。つまり衛兵隊の奴らは全然協力する気なんてないってことだよね。フィニスなんてことがあって、みんなぼろぼろになってさ、これから協力しなきゃいけないってときなのに」
「男のくだらんプライドというやつだ。……だがまあ、あのバンクスという男だけは違うらしい。あの男を通せば揉めずに済むのならば、それに越したことはない」
「珍しいな。あんたならそんなバカな連中、力づくで黙らせるものかと」
「……それでも構わんが、一応は暫定政権の代表としてここにいる。自分の力量を勘違いした英雄気取りのバカ候補生ならともかく、小市民は小市民としての戦い方を知っているものだしな」

こンのクソ隊長が。出会い頭に食って掛かった一人はそう言ってもう一度クラサメに襲いかかろうとしたが、さすがにエイトが止めた。

「お前この程度でキレてたら仕事進まないだろ、やめとけまだ敵わない。隊長も無意味に煽るなよ、耐性低いやつばっかり」

実際クラサメが煽るのは、ケイトかナインかエースかマキナばっかりで、セブンやキング、エイトのような「はいはい言わせとけ言わせとけ」という態度の部下には喧嘩を売るような事は言わない。エイトが思うに、クラサメはこれでこういうじゃれ合いを楽しんでいるようなところがある。カヅサともたまにそういう言い合いをしている。カヅサはカヅサで煽られないタイプのくせに、クラサメに煽られると楽しそうに煽り返しているから、そういうコミュニケーションなんだろう。
ナツメとナギもよくやっているし。

「いつかぎゃふんと言わせてやるんだからー!」
「ぎゃふん」
「くそー!!おちょくんなァー!!」

真顔でぎゃふんとか言う隊長も珍しいが、これ以上放っておいても後でケイトが顔を真っ赤にしてぎゃあぎゃあ喚くだけだと経験則で知っているので、エイトは深くため息を吐いてから、いいから次に行こう、と声をかけた。

「二人目に殺されたのは街の反対側だけど、ここからなら三人目の事件現場を先に行ったほうが近いか?」
「近いことは近いが、……まず二人目の現場を見ておきたい」
「なんでよ?」

まだ少し不機嫌な様子のケイトが問う。クラサメは少し考えるような顔をしながら、傘を畳んだ。雨がだいぶ小雨になってきている。
クラサメは既に、二人目が殺された街の西部へ足を向けていた。

「地図を見て不審に思ったからだ。なぜ事件現場はこんなに離れているのかと」
「……近くで殺すのがリスキーだから、じゃないの?衛兵隊の警邏だって警戒してたんでしょ?」
「いや……おそらくは、最初は無警戒だったはずだ。こんな小さな街で、立て続けに殺人が起きるなんて普通、誰も考えない。最初のは縊死だって言うんならなおさら。首を締めて殺すというのは、たいてい怨恨だと判断される」

しかも若い女性であれば、痴情のもつれがまず疑われる。それなら、次の犯行はないから、犯人が誰かという捜査はされるとしても、警備が必要以上に厳しくなることはない。

「と、ナツメと昨日話した」
「なるほど。四課の意見なら参考になるね、妙に詳しいし。変態と殺人鬼の動向に」
「それに警邏は四人で交代して行っているらしい。とてもこの街を網羅できる人数ではない。せいぜい居住区を回って終わりだろう」
「なるほど……わざわざ地域を真反対に移して犯行に及ぶ必要がないのか」
「何か理由はあるのかもしれないがな。もし理由があるなら、距離を地図上でなく実際に歩いて知ったほうがいいだろう」

何の手がかりもないから、意味があるかわからないことでもとりあえずやってみる余地がある。エイトはケイトと連れ立って、クラサメの背を追った。

東から西へ向かうのだから、街の中心部を通ることになる。街中はどことなく暗い雰囲気に包まれていた。それが、雨天と曇天を繰り返す空模様のためだけではないことは明らかだった。
黒いマスクをして黒いコートを着たクラサメと、その後ろを歩く二人を、たまに町人が遠巻きに見ている。

「なんかさ、警邏だけじゃなくて街の全体から嫌がられてる感じ……」
「そうだな。なんだか、嫌な感じだ」

そんなこんなで、街の東側につく頃には微妙に疲弊していた。こういう目線にはどうも慣れない。

「さて、二件目だ。こっちも路地裏だな」
「本当に結構遠かったねえ……」

歩いて三十分近くかかっただろうか。あまり大きな街ではないが、殺害現場については敢えて遠くを選んでいる、そんな印象を受ける。
クラサメが書類に目を落とし、読み上げる。名前はアリソン・ジギストラ。刺殺体で発見。めった刺しにされていた。今わかっていることはそれだけだと。
簡素に語られるには、凄惨な事実だと思う。戦争の最前線にいた、エイトにとってさえ。

「ここも、とっくにきれいになってるね。……あ、木箱の裏にちょっと血痕らしきもの見えるよ」
「ケイト、いい、オレが調べる」
「なんでよ。アタシのが目ぇいいっつーの」

なんとなく、女性が無惨に殺されたなんて場所をケイトに調べさせたくなかったエイトだったが、ケイトがずんずん奥に進んでしまうので止めようがない。

水たまりがいくつもできている路地裏は、なんとなく血生臭く感じた。先入観からそう思うだけか、あるいは実際に血が残っているのかはわからない。
人の気配は全くなく、周辺の建物は朽ち始めたものが多いようだ。木箱が積まれているが、フィニスの前からあったもののように思える。底のほうが腐りきっているようだ。

「……っていうかさあ、ほんと、なんでこんなとこで殺されたんだろうね」
「さあな」
「だってさあ、そもそもこんなとこに来ないじゃん。ただでさえ警邏の手が足りてない街なんでしょ?治安状態なんて知らないけど。一体どうしたら、こんなところに来るの?それとも街中で攫って引きずってくるとか?無茶でしょ」
「……たしかに」
「……そういえば、そうだな」

ケイトが可愛らしく首を傾げて言うことに、クラサメとエイトは顔を見合わせてしまった。そんなこと全く考えていなかったのである。

「嘘でしょ?思いつきもしなかったの?うわウチの同僚と上司ヤバ、頭おかしいわサイコだわ」
「やかましい、ナツメやお前たちが路地裏をうろついていても全く違和感のないせいだろうが」
「隊長あんた何を言って……いや、たしかに違和感ないな。全くない。なんなら凶器持ってうろついてても全員が散歩に見える。死体引きずってても散歩って言われたら信じるし忘れろって言われたら秒で忘れる」
「二人して喧嘩売ってんの?せめてナツメもいるときにしてくんない?」

なぜナツメの分の誹りも受けねばならないのだと憮然とするケイトだが、彼女の着眼点はたしかに、そのとおりだ。
事件現場が遠いことよりなにより、どうしてこんな場所に被害者はやってきたのだろうか。



次に訪れた三件目の事件現場は、街の北側の外れにあった。たどり着く頃、雨が完全に止んだ。道が煉瓦で舗装されていないので、靴が不用意にぬかるみに引きずり込まれないよう、三人は注意して歩いた。
北部には墓地が広がっていた。もともと、ミィコウの街がそうだったのだろう。戦時中に爆発的に増えた死者のため、どこの街ももとからあった墓地では全く追いつかず、埋められるところに片っ端から埋めていたはずだ。そこへいくと、まだなんとなく区域を区切ってある辺り、雑多でもマシなほうだ。不規則に並んだ墓石や、頭上を旋回する烏たちはいかにも陰鬱で不吉だが。

それにしても、またも人通りなど微塵もなさそうな辺りだ。墓参りの人影も見当たらない。それもそのはず、今街に住む住人とこの墓の下で眠る旧ミィコウの住人の間にはあまり繋がりがないのだ。

「ここもさあ、やっぱり被害者が来たのおかしいよね?」
「そうだな……被害者の名前は?」
「ここで死んだのが、イチハナ・ミダマリ。三人目の被害者だな」
「しかも蒼龍系かあー。墓参りになんて来る?ここ、いくら蒼龍に近いったって海隔ててるし、交流はほぼなかったはずだよね」

ケイトの言う通り、ここに訪れるというのは路地裏と同じく奇妙だ。彼女に朱雀人の友人か、あるいは移り住んでから死んだ家族でもいたのでないなら、用事はないはずだ。違和感は加速するばかりだ。

「ちなみに、死因は撲殺だそうだ」
「あまりにも死因に関連性がないな。これ、本当に連続殺人なのか?」
「そうだねえ、場所もまた離れてるし。でも、人口百人程度の街でほいほい殺人が起きちゃあたまんないでしょ」

ケイトは目をぐるりと回し、疲れたような顔をしてため息を吐いた。また街中を通ったらじろじろ見られたので、精神的に疲れているのだろう。エイトも同じだ。クラサメだけはけろりとしたもので、「予断はするなよ」と言葉少なに言うばかりだが。

「……そういえばさあ。街の空気悪くない?」
「ああ。事前に聞いていた以上だな」

エイトは深々、ため息を吐いた。最初は遠巻きに見られるのだけが気になっていたが、それだけではない、皆エイト達を見ぬ間もなにかに怯えるように顔を隠すように目深にフードやマントをかぶり、歩く素振りも慌てているように見える。人の往来もとても少ない。
実は、出入りの商人から『旧ミィコウにある街がおかしい、住人たちが異様に暗いし取引量がどんどん減っている』と噂自体は出ていたのだ。もちろん元0組も辺境の街の噂なんて集めて回る暇はないので、事件のことが発覚してから、そういえば、と話に出ただけだったが。

「ま、事件のことがあるから仕方ないのかもしれないけど。危ないもんね、出歩くの」
「……そうとも限らんぞ。被害者像は共通しているんだ。合致する人間が外出を控えるのはわかるが……」

言われてみればそうだ。被害者は若い女性ばかりなのだから。
事件が例えば昨日起きたばかりであれば、皆が警戒したり悲しんでいるとしても不自然ではない。けれど、最後の事件が起きたのは先々週。二週間近くも、おそらくは自分が対象でない殺人にビクビクして、家族でもない人間の死に悲嘆に暮れているなんて。

「そっか……確かに、アタシらは、事件現場ってフィルターで街を見るけど、ここでみんな生活してるんだもんねェ……」
「まあ、起きるかもわからない事件より、普通は日々の生活が優先だろうな」

それなら、不自然さの説明がつかない。どことなく飲み込めない気持ち悪さに全員、一瞬口を噤んだ。

「気にしても無駄だ。なるようにしかならん」
「アンタね、一応嫁と子供連れてきてるのに」
「……なるようにしかならんだろう。可能な限りうまく運ぶだけだ。ナツメもそうするだろう」

クラサメを知らなければ捨て鉢に聞こえる言葉だったが、なんのかんの付き合いも長くなってきたエイトは察した。倦まず弛まず、クラサメは必ずできることをする、そういう男だ。必ず、最善を尽くす。
そしてクラサメやナツメが果たす最善は、エイトやケイトの想像をいつも簡単に凌駕する。心配する必要はない。

ケイトも唇を窄めて若干不満げでありながらもそれ以上の文句は言わなかったから、わかっているのだ。「不言実行とか背中で語るとか男のソレは結局自己満足だろうがァ」と顔に出ているだけだ。

「で。これだけ女性ばかり殺してて、性的暴行の痕はないんだよね?」

ケイトはふん、と鼻を鳴らし、話を変えることにしたらしい。
できればナツメ以外の身内女性からそういう話を聞きたくないエイトはそっと視線を逸らす。

「そういった報告はない。だが……これは印象だが、きちんと遺体を調べたかという意味では、信用に値せん。ナツメが調べていたらまた違ったんだろうが」
「そのあたりがわかれば、また話が変わってくるよな」

地面に血痕は見当たらない。雨が何度も降っているだろうから、壁のある路地裏ならともかく、こんな更地では残らないだろう。
だがどうしてこんな場所で殺したのだろう。エイトはケイトとは違う意味で怪訝に思った。

「こんな遮蔽物もなにもないところでわざわざ殺すメリットはなんだ?」
「……そうだな。雨が降っていなければ、遠くからでも視認できてしまう。夜の殺人だとしたら、今度は暗すぎて殺しに向かない」
「誰も来ないって自信があったのかな」
「……さあな。ともかく、現場を調べてわかることはこんなところだろう。資料を受け取りに行くぞ、そろそろ用意できているだろう」

わかりにくいが陽はてっぺんを掠めている。そろそろバンクスが出てくる時間帯だ。
クラサメの後ろを歩き始めたとき、遠くから男が声を上げながら走ってくるのが見えた。

話に何度か出た、バンクスとかいう衛兵隊長の男だった。
何事か叫んでいる。何であれ、トラブルがあったことに間違いはなく、エイトはケイトと一瞬顔を見合わせると、先に動いていたクラサメの後を追って即座に走り出した。






「……それで、死体は調べられないわけね」
「無理だって言ったろ。墓の下で腐ってんだよ。っていうか掘り出したとして見たいか?」
「そうよね……仕方ないわ。……でも時期から見て、早晩次が出るでしょう。そうなったら調べられるわ」
「殺しを待ってる?」
「まあ、そうね」
「正直なこった」
「解決するのが目的であって、誰かを救うのは私の仕事じゃない」
「そこはクラサメさんの仕事だと?医者の言葉とは思えねえな」
「……別にそうは言ってないわ。救われるかどうかというのはあくまでも受け手側の主観であって、常に最善の行動を取るしかないということよ。だから正確には、誰かを救うのは誰の仕事でもないわ」
「哲学を論じてるほど俺は暇じゃねえぞ」

一応の客人に茶を用意するぐらいの気は利かせた。まあ、やつは飲まないわけだから完全に無駄なのだが、会話の手元に温度のあるカップでもないと凍死しそうなくらいに冷たい会話だったから。
紅い水面には、天井からぶら下がったオイルランプの光がゆらゆら映っている。会話の熱のなさなんて、そんなことを気にする己が少しおかしい。

「殺しがあれば見つけられそうか?」
「さあ、どうかしら……尻尾を出すかどうか。迫れば逃げ出すでしょ、捕らえられるかはわからないわ。それに、近づけばこっちが危険よ」
「大丈夫だろ、こそこそ殺し回ってる以上、良識はある。ただ、人を殺しちまうだけだ」
「殺人鬼に良識があるって、それ自体が矛盾してる気もするけれど」
「いや、矛盾してないのが俺たちだ。それを良識と呼ぶにせよ、常識、あるいは正義感、まァなんでもいいが、何かしらがなければ四課はただのトチ狂った殺し屋の集団だ。……だから、そこに矛盾が生じたやつを、俺たちは殺すんだ」

彼はナツメの子を抱いて、あやしながら不穏当なことを言った。全く、子供がよく懐いている。頭上で殺しの相談をしていることなど知りもしない、穏やかな寝顔だった。
この子は周囲に恵まれた。ナツメが恵まれなかった分、そうであるといい。そんなことを思うたび、自分の感情がよくわからなくて怖くなる。この恐怖に気づかれないように必死で、でもクラサメはとっくにすべて知ってしまっているんだろうな。そのことに打ちのめされながら救われている。

ナツメが考え事をしながらカップを洗っていると、窓の外が少し騒がしいのに気がついた。
どうやら、“何か”あったらしい。おそらくは待っていた何かが。

「行くのか」
「ええ。急ぐわ」

ナツメもまた、仕事をする必要がある。ナツメは子供を寝かしつけるよう彼に言い置いて、居間の端に積まれたトランクの中から、最も小さいトランクを引きずり出した。




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