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「お前、靴の大きさは」
「……クツー?クツって、ああ、それか。足包んでるやつ」
「履いたこともなさそうだな……」
「作る技術ないしね」
「靴も履かずにうろつく娘など、人間にはありえない。服と靴は至急必要だな」
「……おかねなんてないよ。当たり前だけど」
「そんなこと期待していない」

少し呆れたようにクラサメは言い、その後、山間の道を通る商人の荷馬車を捕まえて、粗末ながら村娘らしい服と硬い革の靴を買ってくれた。外套を纏ったっきり素足のナツメを訝しんだ商人に事情を聞かれたが、「そこで山賊に襲われて捨てられていたのを助けたんだ」等とあまりにもあんまりな回答でクラサメが躱した。

財布はクラサメがナツメに着せた黒い外套の内ポケットに入っており、ナツメに渡すつもりだったことがわかった。財布を返すと、クラサメはそれを受け取り、商人に金を払って黒いジャケットのポケットにしまった。
外套も返せと言われたが、それは嫌だと笑い返す。

「何故だ、返せ」
「代わりに毛皮を貸してやるぞ」
「いらん。コートを返せ」
「いやよ、さむいもの」
「なら新しく買ってやるから」
「なら買ってくれたら返すから」
「む……」

もうとっくに商人の通り過ぎた道を、ナツメとクラサメは二人で歩いていく。山をもう二つ越えた。大して大きい山でもないし、山で育ったナツメともともと頑強なクラサメにとっては苦労でもなく、夜通しの歩みにも耐えきることができた。

「……でも、疲れた。どこまで行ったら休めるかな?」
「もう一つ山を超えれば宿場町に出るはずだ。そこなら宿も取れるだろう」
「ところで、あのマジョがり?ってやつだけど、なんで追われてたの?」
「悪魔と契約したと思われていた」
「悪魔と契約したらこの世界にもういないよねぇ」
「……は?」
「悪魔ってのはずる賢いから、契約すると前払いで殺されちゃうんだよ。知らないの?」
「どこの世界にそんなことを知っている人間がいるんだ……」
「人間は知らないんだ……覚えとく。ま、私はシャーマンだから詳しいんだけどね。でも悪魔と契約できるのは基本女だけだよ。男の貞操に価値があると思うなよ」
「……まあ、昔は魔女裁判といったら、貴人の女性に限定されていたものだがな。最近はあまり拘りなく、厄介な人間が狙われるといった次第だ。私は軍を退役したばかりだし、そういう人間はどこの町でも倦厭されるものだ」
「山の中で襲われたのもそれ?」
「そんなところだ」
「でもあんな連中、ちょっと逃げれば済むものなの?」
「難しいだろうな。特に信仰の根深い地域では。……だが、もう少し南に下れば、そういうこともなくなる。港町まで出てしまえば、いろんな人間がいるから紛れやすい。もう追ってはこられまい」
「……それがわかってるのに、どうして北の山で死にかけてたわけ?バカなんじゃないの?」
「そのバカがいなかったらまだ裸足だったことを忘れるなよ」

クラサメは深くため息を吐いて、ナツメの足元を指さした。それはたしかにその通りなので閉口するほかない。それに服も。人間のふりができるのは彼のおかげだ。

「……あの町は生まれ故郷だからな」

それから、独り言のような温度で、彼は短く呟いた。
ナツメは首を傾げ、彼の横顔をじっと見た。

「生まれ故郷でなら、死んでもいいと思ったの?」
「どこにいたって、死ぬときは死ぬと悟ったからな」
「……わっかんないな」

ナツメはむしろ、それが嫌だった。
最後に見るのが悔恨に歪む兄弟の顔なのも、見慣れた深い森の奥なのも、嫌だと思ったから逃げてきた。

「お前にはまだわからんか」
「まだって言うな。子供扱いしないでよね」
「子供だろうに」
「む……」

それはクラサメの勘違いである。ナツメは生まれて、もうじき十七年になる。人狼は人間に近い肉体構造ながら、狼の血のせいで成長がときおり停滞するのだ。そのせいで妊娠できるのも狼よりずっと遅いため、ひとたび妊娠可能な年齢になったら簡単には逃してもらえない。狼はすぐ死ぬ。ナツメたち人狼は、生まれる狼を育てながら、群れの中核を担ってきた。
クラサメの言い様にナツメはむっとしたが、新鮮でもあった。群れの中では、妊娠できる年齢になればもう大人として扱われ、責任ばかりを要求される。彼がナツメを子供として扱うなら、もうそういう目には遭わずに済むのかもしれない。

「……気配はしないのか」
「え?」
「追われているんだろう。においや遠吠えでわかるんじゃないのか」
「そうね……感じないわ。多分まだ大丈夫だとは思うけど、人里は何度か挟んで、においを変えたいな……」
「次の町、……いや村だな。そこまであともう少しだ。歩けるか」
「平気。走ることもできるよ」
「それはまだいい。温存しておけ」
「わかってるよ」

馬車が何度も通った街道を歩き山を降っていく。慣れない靴は歩きづらかったが、人間のふりも全身に纏わりつく衣服も新鮮だった。
陽が傾きだした頃だ。広くはない山道の、ようやっと山の合間を過ぎて、人の臭いが木々の臭いに混ざり始めた。

「ねえ、人間の気配がする」
「ああ。もうすぐつく。……外套は貸しておいてやるから、耳を隠しておけよ。見られたら厄介だ」
「気をつけるよ」

クラサメが捕まった街よりずっと小さい集落だ。ナツメは目を細めて人間の気配を数える。せいぜい三十かそこらだろう。

「ここで一晩、宿を取る。明日にはオールボーという港町に着く」
「港町ではどうするの?」
「そうだな……金が心もとないからな。少し金を貯めて船に乗るのがいいだろう。海峡の向こうの帝国に入ってしまえば、お前の群れの狼もさすがに追ってはこられまい」
「そこまで行ったら、クラサメはどうするつもり」
「……まだ考えていない。着くまでに考えればいいだろう」

ふーん、と短い返事を返して、彼の背を追った。まだこの男は死ぬつもりなんだろうかと思ったら、少し腹が立つ思いがした。
そんなに簡単に命を投げ捨てたがるなんて、必死に生きようとしている自分がバカみたいだった。




宿は一部屋しか空いていなかったが、長椅子があったのでナツメはそれで寝ることにした。
クラサメが「お前がベッドを使え。私がそっちで寝るから」と何度もうるさく言ってきたが、言われたとおりベッドに転がってみたらどことなく浮遊感に似た気持ち悪さがあって眠れる気がしなかったので断った。洞穴の固くていびつな地面にいつも毛皮を敷いてその上に寝ていたナツメだ。突然人間の柔らかい寝床に寝かされても、違和感が拭えない。

「お金、どれくらいあるの」
「子供がそんなこと気にするな」
「さっき心もとないって言ったじゃない……そもそも子供じゃないし……」
「そんなことより、腹は。一応夕飯は出るらしいが」

そういえば宿屋の主人がそんなことを言っていた。それじゃあと部屋を出て、階下に向かう。宿屋の受付と、反対側が食事処になっている。宿屋の女将らしい恰幅のいい中年女性が、奥に見える厨房でせわしなく動き回っているのが見えた。
何がいい、無表情で聞いてくるクラサメに「なんか、肉なら。肉以外はあんまり。消化できない」と答えると、彼は浅くため息を吐いた。

「不健康な食生活が祟ったな」
「好きでそんな生活なんじゃないわよ。……まあでも、消化器官は人間のものだし、肉以外も少しずつ慣らしていけば、食べられるようになるんじゃないかな……」

ナツメはきょろきょろと周囲に視線をやった。食事処には、一部屋しか空いていなかっただけあって、他の客が溢れていた。十人近い人々を、気づかれないように順繰り見遣る。やはり、人が多いのは落ち着かないものだ。
そのうち、ナツメは目当ての人間を見つめた。年若いとは言わないが妙齢の女、こちらに横顔を向けて食事をとっている。彼女をじっと見て、観察した。

「……い。おい!」
「はっ!?……な、なに?」
「何を睨んでる?」
「な、なにも睨んでない。……はあ」

でもクラサメから見てそう見えたなら、無意識にそういう顔をしていたかもしれない。ナツメはいまさら、自分の感情に気づいてため息をついた。

「……どうした」
「食器の使い方。私、知らないから。見てた」
「それでどうしてそんなに不機嫌になる」
「人間に近づいてく。……違う、イヌになっていく。狼じゃなくなる」
「そんなにイヌが憎いか、狼は。誇りを捨てた裏切り者だしな」
「……そうね」

皮肉げに言うクラサメの言葉にナツメは目を伏せ、運ばれてきた食事を口にするため先が二股に分かれた短い木の棒を握りしめた。フォークと言うらしいことは、後で知った。


食事は、あれはなんというのだったか、そう、塩の味が濃かった。しょっぱいそれに舌が痺れたが、クラサメのぶんまで水を飲んでようやく耐えた。
普段から素材そのままでしか食事をしないからそうなるんだろうな、とクラサメがまた呆れた声で言って、ナツメは少し腹が立ったりした。狼がイヌを憎むのと同じように、イヌも狼を嫌っているのだろうか。ナツメとクラサメ個人の話ではなく、種族として。

寝床に潜り込んでも、しばらくは寝付けそうになかった。ぼーっと暗い虚空を見つめていると、背を向けて寝ていたクラサメが寝返りをうつ気配がした。

「……おい」
「……」
「起きてるだろう」
「……。それがなによ」

眠気自体はきちんとあったので、少々朦朧としてはいた。思えば、ここしばらくずっと走りっぱなしだった。家族の気配におびえて、風の音にさえ振り返った。気が立っていなければ意識を保っていられるはずもなかった。

「どうしてそんなに、私のような存在を憎むんだ」
「イヌをってこと?」
「ああ」
「……憎いんじゃない」

ナツメが短く言うと、クラサメは怪訝そうな声を立てた。「さっきは憎いと言ったじゃないか」。

「憎いんじゃない。……憎いわけじゃない。ただ……妬ましくて、恨めしいだけだ」
「なぜ。妬ましく思うくらいなら、自分たちも逃げればいいだろう」
「そんなことできない。……どうせ全員は逃げられない。一人逃げたら全員で追う。それに逃げきれたって順応できる保証はない。だから、それを為したやつらが」

羨ましくて。ずるくて。
だから、そうなりたくない。

そう言ったら、クラサメは言葉に詰まったようだった。けれど暫時の空白の後、

「……やはり眠れないんじゃないのか」

彼は全く関係のないことを聞いた。

「だったらなによ……」
「ベッドを使え。やはり私がそっちで」

だんだんナツメもイライラしてきた。おそらく彼は、人間ぐらしが長いから――たぶん人生のほとんどを人間として生きているから、そのふかふかとした不自然な弾力にも違和感がないのだろうが、実際ナツメには不安定な木の上にでも登っているのじゃないかと思うくらい、ベッドの上は覚束ない。
クラサメとしては善意なのだろうが、しつこいのも確かなので、ナツメはため息とともに寝床を抜け出した。
獣だから夜目がきく。ナツメは何も言わず、クラサメのベッドに潜り込んだ。

「おい」
「実を言うと、ずっときょうだいで固まって寝てたから、一人で寝るのに慣れてないの。これならいいでしょう、私もベッド使うなら」
「そんなわけがあるか。私は長椅子を、」
「やだ」

立ち上がろうとするクラサメのシャツを強く掴んで、ナツメはごろりと転がった。クラサメはまだなにか文句があるようだったが、結局ナツメに背を向けてもう一度寝る姿勢を取った。
さてナツメの言葉は真実だったが、かといって本当にこのまま眠るつもりはない。クラサメが寝てしまえば長椅子に戻るつもりだった。だいたいどうしてベッドを使わせようとするんだか、そういう手慣れたところが腹がたつのよ。気を使ってもらったことなんて生まれてこの方一度もないナツメには反応にこまるしやめてほしい、って、言わなきゃ、

「ぐう」

「…………あんなに合わないだの浮いてるみたいで気持ち悪いだの言っておいて。数秒で寝入っているのはどういうことだ」

クラサメは彼女の健やかそうな寝顔に今日何度目かわからないため息を吐き出したが、ちゃんと寝てくれないのは困るので起こそうとはしなかった。
そして二人は数日ぶりに穏やかな眠りを得た。昨日まで続いたそれぞれの逃亡劇のことは忘れて、二人とも夢は見なかった。




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