Still I lived even if I was already broken down.
(完全に壊れた後でさえ生きている、けれど。)


夢主の名前を入力し、変換をクリックかタップしてください。デフォルトだと“ナツメ”になっています。




一方その頃。
フェイスは五番街、アルマーニの店舗でクンミにダメ出しをしていた。

「うーん……あまりの派手なのは困るんですよねえ。ただでさえカトル様目立ちますし」

「あ゛?じゃあてめーが選べよ」

「嫌ですよ、カトル様にケチつけられるの腹たちますから」

「お前らの関係性がいまいちよく分かんねえ……」

「だいたい吊るしのスーツを買うことじたいちょっと恥ずかしいんですからね。仕立ててる時間がないから仕方なく買うんですから、せめてもいいやつにしないと」

「おらもうこれでいいだろ」

「ボタンダウンのシャツ持ってくるなんてどんなセンスしてるんですか……?うわーさすがクンミさん、ビジネスマナー死んでるー」

「このネクタイで絞め殺すぞてめえ」

「こんな細いネクタイするのもゲイかポン引きくらいですよ。こっちにしましょう」

「だぁから最初っからてめーが選べっつってんだろうが……!」

よく仕立てに来ているので、カトル・バシュタールに合うサイズのを、と言えば店員がすぐさまかき集めてくれる。その中から選んだので、試着の必要もない。
支払いを済ませ、箱に詰められたスーツを受け取って二人で店を出る。

「はっ……カルティエで腕時計も買ったほうがいいでしょうか!?」

「バカ野郎。さっさと行くぞ」

「カルティエはあっちですよ!」

「行かねーよクソが」

スモークガラスのバンの運転席に乗り込むと、フェイスは後部座席にスーツの箱を渡した。助手席にクンミが座り、「お前うちの義妹に感謝しろよなー」と笑う。

後部座席で、オレンジ色の囚人服のままカトルはそれに肩を竦め、「感謝しているとも」と返答する。

「ちょおっと待ってください、そもそもカトル様が逮捕されてミリテスてんやわんやアガリは半減の大騒ぎって全部あなたの妹さんのせいなんですが?」

「こまけえこと言うんじゃねえよ。あいつのおかげで逃げれてんだろうが」

「まあ、それもそうですが……」

なんだか釈然としないフェイスだが、常に前向きなのが彼の取り柄なので、すぐにその違和感も忘れたようだ。

「判事のところに行く途中に逃げるんだと思ってましたが、帰りでしたもんね。まあ確かに、帰りのほうが護送車も油断しますよね」

「まあ、あれだけ予想ルートやら調べ上げといて、最後の最後護送役の連中に遅効性の下剤仕込むんだからえぐいわな。殺すんならわかるけど」

ナツメがしたことは非常に単純だ。まず知り合いに頼んで裁判所から留置場へのルートすべてにある信号機の監視カメラ映像を手に入れ、フェイスに送りつけてすべてに目を通させた。過去一ヶ月の間護送車が行き来したのは四十回。ルートは三つ、護送する警察官の面子と相関関係を調べたところ、今回カトルの護送を担当する二人の場合は三つあるうち二つのルートしか使っていないことがわかった。
理由はナツメの予想する限り、「時間帯的にどっちもヨガ教室かピラティス教室の前を通るのよ。美意識高いインスタグラマーたちが短パンにスポーツブラで大股開きしてるとこが見たいんでしょ」とのことだった。

「それで人気がなくなったあたりの時間帯にちょうど作用しそうなタイミングで、裁判所近くのスタバの店員が下剤を仕込む、と。いくらで買収したって言ってましたっけ」

「二万ドルだって。ま、マフィアのボス脱獄させるには安いんじゃないの?飲み終わったカップはとっくに可燃ゴミになってるしよ」

「あんなに下水道がどうのって言ってたのに実際使わないですし。防護服注文しちゃいましたよ……三着も」

「そんなだからあいつにほいほい騙されるんだよ。ついでとばかりに顎で使われやがって」

「……。とにかく、急ぎますよー。捕まっててくださいねー」

信号が青に変わった瞬間、フェイスは間延びした声とともにアクセルを強く踏み込んだ。









ナツメは、即座に膝を折った。

「ひっ、ぐ、うえっ、うぐぇぇぇぇっ……」

胃酸が喉を焼き、上顎を滑って垂れる。コンクリートを黒く染めると、胃液なのか涙なのかナツメにもわからなくなった。

「何泣いてんだよ、“姉さん”。せっかくのプレゼントだぞ?」

「っあ、あ、はぁ……っは、マキナ、マキナあんた……」

懸命に拳で口元を拭い、四つん這いだったナツメはせめても顔を上げてすぐそばのマキナを睨んだ。

いつから。どうして。どうやって。
聞きたいことはたくさんあるのに、笑うマキナの顔を見たら何も聞けなかった。

「オレがクリミナルになったのは、兄さんに負担かけたくなかったからってだけじゃない。そう、姉さんと同じだよ。兄さんとレムを守りたかった。だから、それにはまず、オレたちをぶっ壊した張本人を間違いなく殺さなきゃならない。そう思ったんだ」

恐怖に打ち勝つ方法はたった一つ、根源を叩き潰してしまうことだ。
――「直面する恐怖から逃れる方法はたったひとつ、訓練することよ。」

マキナが言う。ナツメとは違う。違う。全く違う。

でも。
私達は本当に壊れている。壊れたグラスのような命。何もかも違うはずなのに、何もかもが同じ。

ナツメは笑った。“全くそのとおり”だ。

殺したかった。どんな手を使ってでも。探し出して捕まえて徹底的に壊して絶望させてやりたかった。
マキナとナツメは同じだった。
ナツメがそうしなかったのは、レムとイザナがいたからだった。

「ったく、姉さんは、昔からそうだな」

いざというときに情けない女だ。
そう言ってマキナが手を貸し、ナツメを立ち上がらせる。半ば引きずられるようにしてナツメは、車まで戻された。トランクに座らされ、マキナが目の前に立つのを見つめていた。

「……正気に戻った?」

「おかげでまた喉が荒れるわ。最近、吐くことも減ってたのに」

「これからは全く無くなるだろ、あいつを殺せば。どのタイミングでやろうか悩んで、もう二週間ぐらい経ったけど、姉さんと一緒に殺るのが一番いいかもな。レムは止めるだろうし……兄さんも。あんたは止めないよな?」

ぎろりと、マキナの目がナツメを見下ろす。睨んでいる。疑ってもいる。

事件の直後、一度だけ被害者たちが顔を合わせたことがあった。偶然、FBIのロビーで。
あのとき感じたのと同じ感想を、ナツメは抱く。
マキナはナツメを恨み、憎んでいる。理由もよくわかっている。

ナツメは、彼らを一度、見捨てたから。


あの日のことは今でも鮮明に覚えている。箱の中の数年間、その記憶はまばらで虚ろだというのに、最後の瞬間のことだけは。

最後の日になったのは、あくまで結果論だ。最初はいつもどおりの、苦痛の一日だった。
ナツメとイザナ、レムとマキナ。四人は箱から出されて、いつもどおりあの男に“弄ばれ”ようとしていた。
もう誰も抵抗など考えていなかったし、呆然と虚空を見るばかりのまさしくお人形に成り果てていたから、あの男も油断したのかもしれない。

男が食事をしていたテーブルには白い皿が乗っていた。そしてその上に、銀色の煌めきを見た。
ナツメはその瞬間を忘れない。あれは、蜘蛛の糸。主の放たれた天使、光明?否、ただのナイフだ。食事の汚れのたっぷり残った、男の指紋がベタベタついた銀のナイフだ。
別に対して切れ味が鋭いわけでもないそれを見たとき、ナツメは雷に撃たれたような衝撃を受けた。
そしてその雷が、ナツメに正気を取り戻させた。

ナツメは転がるように走り出した。数年走っていなかった足は弱く、強く踏み込むと痛かったが、構う余裕もなかった。
獣のような唸り声が聞こえた気がした。男はナツメを追いかけた。テーブルまで三メートルもなかったのに、永遠に感じた。

ナイフを掴む。
食器が落ちる。
振り返る。
食器の割れる音。
ナツメは叫ぶ。
イザナの声がする。
ナイフを腹の前に構える。
襲いかかる男。
ナツメはナイフを前に出す。
柔らかい皮膚を硬い金属が貫く感覚。
男は悲鳴を上げる。


レムが泣いている。
男が蹲り、ひいひい言っている。

ナツメは呆然としていた。

これがなにかの終わりであることだけを理解していたように思う。

ナツメは数秒かけて後ずさった。男の禿げ上がった頭の向こうに、きょうだいの姿が見えた。
レムがいて、イザナがいて、マキナがいた。みんなナツメを見ていた。

助けなきゃ。みんなを連れて、ここを出るのよ。
ナツメは間違いなくそう思ったし、実際そうするべく彼らのほうへ行こうとした。
けれどその間には、男が蹲っており。まだ生きていて、重傷というほどの怪我でもなく、ナツメを睨み今にもナツメを捕らえようとしていた。

怖かったなんてもんじゃなかった。きっと殺されるんだと本気で思った。自分の呼吸が響いて、うるさい。喉の奥が痛む。
何もかもが怖い。0.1秒動くのが遅れただけで、行動を誤っただけで、自分は死ぬのだとナツメは理解していた。

それが、怖くて。
怖くて怖くて、もう何も考えることができなくて。


ナツメは結局、きょうだいにも男にも背を向けて走り出したのだ。

玄関の鍵を開けるのにすら一瞬戸惑って、うまくできなかったけど、男が追いつくよりは早かった。
外に飛び出すと真っ暗で、街灯の頼りない灯りが見えて、意外と普通の住宅街の中に捕らえられていたことに気付く。
最初は声が出なかった。叫ぼうとしたのに、喉からはひゅうひゅう鳴る音が響くだけ。ナツメは痛む足を引きずって走り、隣家のドアベルを鳴らす。何度も、何度も。「助けて」最初は蚊の鳴くような声だったそれが、少しずつ少しずつ大きくなっていった。ナツメは隣家の更に隣、その隣、何度もドアベルを鳴らしドアを叩いた。

そして、男がナツメを追って出てくるより、隣家の人間が出てくるほうが早かった。

ナツメは助かった。他の子供達も助かった。
レムは責めなかった。イザナは許した。ナツメは後悔した。
そしてマキナは憎んだ。


「……頭ではわかってる。お前があのとき、オレたちを助けることを優先してたら、きっとあの男にすぐ殺されてただろう。助かったのはお前がオレたちを見捨てたおかげだって」

「……マキナ、それは」

「わかってるんだよ。だから、感情で割り切ることはできなくても、いつか理解して、お前を恨まなくてよくなるってわかってるんだ。でもな、“姉さん”。姉さんが兄さんを愛してないなら、オレは、オレとレムはどうなるんだ?」

マキナが目を細め、ナツメを見る。

「オレはレムを愛してる。レムもそうだって、言ってくれた。でもそれは箱の中にいたせいかもしれない。今はもう違うかもしれない。……姉さんたちが愛し合えないなら、オレたちにも無理だと思う」

「それは、……マキナ、それは違う」

「ああ。正論は言われなくてもわかってる。でもオレはそう思えない。オレはレムを愛してる、だから姉さんたちもそうあるべきだって思うし、そうでないと許せない」

「別居夫婦の間の子供みたいな無茶を言うわね……」

それでも、理解できてしまう。
レムが自分たちをきょうだいだと信じているように、マキナも信じたいのだ。それだけがレムとの絆だと信じている。
ナツメとイザナが、あんなに必死に捨て去ろうとした絆を、マキナは愛している。

私達はうまくいかない。

「試してみなかったわけじゃないのよ」

「……知ってる」

「なんでも知ってるのおかしくない?」

「ずっと見てたから」

「あんたじゃなかったらストーカーで訴えてるところよ。まあ、そういうわけで、うまくいかなかっただけなの。どこまでいっても、イザナは私を好きにならないし。私も同じ」

「撃つぞ」

ぐりぐりと、グロッグの銃口で脇腹を押される。地味に痛い。
ふいに遠くから、いくつもの足音が聞こえてくる。

「……やっと来た」

「おい、まさか……」

「どうせ来るって思ってたけど、来てほしいとは思ってないから。織り込み済みなだけよ」

マキナがほとんどとっさに、ナツメの腕を引いて立たせる。そしてそのまま抱き込んで、銃を頭に押し当ててきた。ナツメはさっと、両手を顔の横に上げる。

「FBIだ!!武器を捨てて投降しろ!!」

飛び込んでくるのは見慣れた紺のジャンパー。黄色いFBIのゴシック体。
ナツメとクラサメの目が合うと同時、すぐ近くでマキナが吠えた。

「近づくな!近づいたらこの女の命はないぞ」

「マキナそれちょっとウケるんだけど……」

「うるさい黙ってろ!」

「いやだって私執行猶予中とはいえ犯罪者だし。人質には適さないと思う」

「本当に撃ってもいいんだぞ黙れ」

ナツメの腰を掴み、マキナは銃をナツメではなくFBIに向けた。そのままじりじりと後退し、マキナが耳元で舌打ちしたのと同時だ。

「見つけました!!」

背後で声がする。ナツメはぎくりとした。振り返る。
男が。あの男が、FBIの一人に保護されて出てくる。コンテナから。助け出されて。
ぼろぼろの風体は、窓から差し込む光を受けるとなおのことみすぼらしく見えた。

「……ナツメ、お前には言わなかったが、お前たちの事件の犯人が拉致されたという情報は入っていた。うちのチームじゃないが、FBIが捜索していたんだ」

クラサメの言葉を聞きながら、ナツメはまた、胃液の逆流を感じる。「ううっ……!」嗚咽混じりに崩れ落ちそうな身体をマキナが支える。

「ふざけるな!!何をしてる!!そいつに触るな、そいつを殺すのはオレだ!!!」

「マキナ・クナギリ……ナツメを離せ、投降しろ……!」

クラサメが目を細め、じりじりと近づく。エミナとナギの姿も見える。

「そいつだけは許さない!!絶対、死んでも殺す……!!」

マキナが叫んだ。

男の荒い息が聞こえる気がする。

ナツメは聞いている。ただ聞き続ける。何も考えない。
考えてはいけない。痛いことになるから。傷付くことになるから。
マキナが怒っている。ナツメは、何も考えられない。

ナギが引きつった顔で苦く笑う。

「ちょっと待ってくれよ。調書は読んだが、お前ら全員、そいつには監禁されてただけだって言ってたじゃねえか。なんでそんなに憎む?」

「ナギ、やめろ……」

「いや、でもちょっとおかしいでしょう。いくら許せないって言っても、普通ならすぐ殺すはずだ。一週間も監禁して、ゆっくり殺そうとするなんて、正気とは思えない」

「正気じゃないんだ」

ナギの声に返答したのは、マキナでもクラサメでもなかった。クラサメたちの更に背後から、警官の格好をしたイザナがゆっくり姿を現す。

ナツメに呼ばれたんだ。……久しぶりだな、マキナ」

「に……兄さん……」

「レムもいるぞ」

「……マキナ」

イザナの後ろからレムの顔が見えると、マキナはいよいよ動揺が極まったらしかった。ナツメを掴む腕や、すぐ背後の呼吸でそれが伝わる。

「マキナ。姉さんを離して」

「……できない。できないよレム」

「どうして?どうしてそんなに憎んでるの?姉さんは悪くない、私達は助かったじゃない」

「助かってない!!オレたちはまだ、誰一人助かってないんだ!!」

ナツメは何も考えられない。人形になったみたいに、腕にも足にも感覚がない。立てているのが不思議なくらいだ。

「だから、監禁されてただけじゃないのかよ!?」

「監禁されるだけで済むわけがないだろう!!」

ナギが重ねて問うた声に、マキナが怒鳴り声を返した。

「変態のジジイに捕まって、二年。二年閉じ込められてたんだぞ?監禁されてただけなんてそんなことありえないだろうが!」

マキナは笑った。もうどうしようもないというふうに。
もう笑うしかない。こんな状況。十丁以上の銃に囲まれて、自分たちより罪深いはずの男は保護されている。何を間違えてしまったのだろう?

「……■■■■■。■■■■■■■」

そして、その声は、背中から聞こえた。保護された、あの男の声。
呼ばれたのはナツメとレム。二人につけた、時代錯誤な名前。それが聞こえると、ナツメはまっすぐ立っていられなくなる。
レムが崩れ落ちるのが見える。レムはナツメよりもっと、ダメージが深刻だ。

ナツメが振り返る。
男は笑っている。まだ私達を支配して、笑っている。

マキナの汗が額を伝って、顎から垂れ、ナツメの首に落ちた。マキナの目が見開かれている。手がわずかに震えていた。

「……大丈夫」

ナツメは男に向かって銃を構える腕に、手を置いた。

「もう怖いことは起きない」

ナツメはイザナを見た。イザナもナツメを見ていた。
ナツメは頷く。イザナは目を閉じた。

私達がやらなくちゃ。

「姉さんだもんね」

イザナは腰の銃を抜き、構えた。すべてはスローモーションで映り、FBIの誰もが予測しなかったことが起きた。
一発の銃声。ナツメはマキナの銃を弾いて抱き込み、銃声と同時にスカートの内側から発煙筒を落とす。カルラのところで買った特別製だ。この倉庫をロンドンより白く染めて、視界を奪ってくれる。
視界が曇る中でも、あの男が、イザナの撃った銃弾でくずおれるのがわかった。右目が赤黒い大きな点みたいになっていた。いい腕だ。絶対に即死、今すぐ救急搬送したところで助からない。

誰が撃った。取り押さえろ。警官が。どうして警官が撃った。被害者だぞ。やめて兄さんに触らないで。兄さんは何も悪くない。誰も、何も悪くないの。
叫ぶFBIの声と、レムの嗚咽が聞こえる。

空、天井の向こうから轟音が聞こえてくる。

ナツメ!!どこだ、無事か!?」

「クラサメ、……私、幸せだったわ。生まれて初めて幸せだった。感謝している」

ああ、でも記録を盗み見る余裕がなかったのが痛いなぁ。
“私をあの日、レイパーから助け出したのが誰か知りたかったのに”。

ねえ、クラサメ。あれはあなただったんじゃないの?
もう聞けない言葉を飲み込む。

ナツメ!!」

クラサメは煙の中、ナツメを探している。見えなくてもわかる。
それでもナツメは、天井の穴から滑るように落ちてくる縄梯子を掴み、最後の縄に足を引っ掛けた。

「姉さん、何だこれ……ッ!!兄さんは、兄さんは何を、」

「逃げるのよ。もう傷付かないために」

イザナは守った。レムは愛した。マキナは恐れた。それで、ナツメは?

ナツメは逃げた。
これはつまり、そういう話なのだ。










「いったいいつから仕組んでた」

「いつから?いつから……どの時点を指しても、“最初から”って答えになるんじゃないかなあ。箱の中に閉じ込められてたときから、イザナはよく言ってたし。どんなことをしても、二人を守りたいってね」

マキナは顔面蒼白で歯をガチガチ鳴らしていた。ナツメは彼ににやにや笑っている。

「じゃあ、いつからオレだって気づいてた」

「麻薬を売ってたのがってこと?あれはレムよ。あの子、一度聞いた足音は全部聞き分けられるから。私たち、成長期に箱詰めだったから足音がちょっと独特みたい」

「レムが……そうか。そうだったのか……いつも会う前から、どっちから来るのかすぐ気付いてた。足音だったのか」

マキナとレムは事件後交流があったと聞いている。もともと同郷だったのもあって、連絡がつきやすかったらしい。

「それで、逃亡計画を練ったのは?」

「どうせカトルを脱獄させなきゃミリテスに殺されるとこだったから、纏めてやっちゃおうと思ってね。ついでに拾ってもらえばホラ、プライベートジェットで国外逃亡できるし」

「レムと兄さんは置いてけぼりか。最低だ……」

「レムは普通の生活があるし、イザナは納得ずくよ」

「そこだよ。さっき兄さんが発砲したのは、あれはどういうことだ?オレがあいつを拉致してることも知らなかったんだろ?」

「あの状況であいつを殺せるのはイザナしかいなかったでしょう。それだけの話だよ」

「辛気臭ぇなあー?何ぶつぶつしゃべくってんだよお前らぁ」

すでにだいぶ出来上がっているクンミが、後ろの座席から酒瓶抱えて顔を出した。ナツメは舌打ちして、マキナを睨む。

「そういえば医療用マリファナを何に使ってるか聞いてなかったわよ。ヤク中は御免なんだけど」

「それは……っ、仕事だよ。医療用のヤツはそんなに強くないけど、吸いすぎても簡単には死なないから安定した売買ルートがほしいって……」

「言ったの?クンミが?っはーもうほんと最悪」

ジェット機に乗り込んでからわかったことだが、マキナにニューヨークでの仕事を世話したのはクンミだったのである。
ニューヨークで犯罪者としてやっていくためにどこかのマフィアの口利きがあると有利なのは事実で、中華系でないならチャイニーズには入れず、そうなるとミリテスに頼るのは確かに順当なのだが、マキナが誰だかわからなかったわけがない。ミリテスは仕事相手の身上調査はかなりしっかりやるほうだ。

「いくらミリテスの上層部が頭のおかしい奴らばかりでも、マキナを意気揚々巻き込んで私に黙ってるのなんてこの義姉くらいよ……」

「誰の頭がおかしいってんだ、一番おかしいのお前だろ■■■■■。おら何度でも呼んでやるよ■■■■■、■■■■■、■■■■■」

「もう死ね、ほんと死ね……」

「……姉さん、あんたの義姉、ホント最低だな。でもあんたのPTSDがレムよりマシな理由がわかった」

「そう呼ぶと吐くから面白いって言って、何百回吐かされたことか。ファンタジーの中に閉じこもる余裕がない人生だったわ……」

グラスにはシャンパン。十人は入れそうな広いジェット機の反対側では、ミリテスの面々が脱獄したボスと一緒にポーカーに興じている。
カトルが薄く笑うのが見えて、目が合った。シャンパンのグラスを顔の高さに掲げると、彼も同じくカードで乾杯をした。

カトルたちはこれから、アメリカと犯罪人引渡条約の締結されていない国に行く。見越して別荘を買ってあるのだそうだ。
ナツメはマキナを連れて、違う国に移るつもりだ。これ以上マキナをミリテスに関わらせたくないし、ナツメも関わりたくはない。
マキナにも杯を掲げる。

「Here's to us.」

「……そんな気分にはなれない」

「それでも飲むのよ。もうできることなんてそれくらいだわ」

乾杯しましょう、犯されなかった時間に。
どうせもうほとんど残っていないのだから。

犯罪者でいるのもあと少し。
ナツメは強く、目を瞑った。





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