We are just like shot glasses broken completely.
(私たち、割れてしまったショットグラスみたいね)


夢主の名前を入力し、変換をクリックかタップしてください。デフォルトだと“ナツメ”になっています。




『おいふざけんなお前』

「ふざけてないけど」

『片っ端から営業かけんな、シャツのボタン閉めろ』

「下乳触らせたくらいでガタガタ言うなよ」

『言うに決まってんだろこの録音裁判で使う可能性あんだぞ。お前の媚びた声が入ってて都合のいいことなんかいっこもねえの』

「検事にも判事にも娯楽は必要よ。つまらない仕事、つまらない人生にはね」

イヤホンの向こうから投げられるナギの苛立った声に適当に返事をして、ナツメは言われた通りシャツのボタンを二つ閉じた。それから、髪を手早くシニョンに纏め上げる。次の営業先でまた解くのだが。
ナツメはずっと、医療用マリファナの処方箋が書ける科の医者の部屋を回っては、安価なマリファナを営業して回っている。だが、なかなか芳しくない。どの医者も、「あまり使わないからね」と言うばかり。病院の外に停められているクリーニング業者を装ったバンから指示を出しているナギとクラサメの機嫌も悪くなる一方だ。

「今のところ怪しい医者はいないわ」

『お前が怪しくて引っかからない可能性は』

クラサメが低い声で、疑問というより断定するような気配で言った。ナツメは少し愉快に思い肩を竦めた。

「レムが営業なんてみんなこんな感じだって言ってたし怪しくないって」

『どこまで信用できんだよお前の妹。ってか妹じゃねえのか』

「さあ、どうなのかしらね……でも私はあんたよりレムを信じてるわよ。少なくとも人の弱みを握って脅してベッドを奪ったりしないものね」

『弱みなんてある方が悪い』

「……ともかくあと何人よ」

『あとは……外科が一人だな。ハウエル医師だ』

「了解」

『ちょっ、待て待て待て待て、女医だ。色仕掛けしても無駄!』

「ゲイかもしれないじゃん」

『ゲイの比率を考えろどあほう、十分の一に賭けるな』

「はいはい……わかりましたよ」

ハウエル医師の診察室は外科の診察棟の外れにあった。人気がなく、声は遠くで聞こえるばかりだ。診察時間外の診察室は、外からドアをノックするも返事がない。
不在だろうかとも思ったが、こっそり耳をドアに押し当ててみると、ほんの微かながら声が聞こえてくる。断続的で甲高く、言葉にならない小さな声。
喘ぎ声だ。

「Lucky.開かない鍵はない」

『おい待てナツメ!』

クラサメの制止の声も聞かず、髪からヘアピンを二本抜き取ると鍵穴に突っ込んだ。古くて些細な鍵は三秒にも満たぬ時間によって簡単にこじ開けられた。

「すみません、いらっしゃいませんかー?」

中に入ってカーテンを跳ね上げた瞬間、診察台の上に絡み合う半裸の男女を確認した。目が合った瞬間、二人の目がみるみる見開かれるのがわかった。

「っきゃあああ!!?」

「うわっ!?なんですかアンタいきなり入ってきて!!」

「え?わ、きゃああ!すいません!」

『……驚いた演技が大根だなお前』

耳元でどうでもいいことをつぶやくナギを無視して、ナツメはしれっと外に出た。

「しかし、女医と男性看護師か。お医者さんごっこもジェンダーフリーになってきたね」

『言ってる場合か、そこ離れろよ』

「何言ってんの。相手は医者よ?」

わざわざ診察室で行為に及ぶなんて、不倫と見てほぼ間違いない。そうでなくとも、診察室で衛生的とは言えない行為に及ぶのは倫理に反する。ナツメは小声でこそこそ笑った。

「こっちが頭下げなくても弱みを見せてくれたんだから、使わない手はないでしょ。……そろそろ」

「……ねえちょっと。入ってちょうだい」

ほらね。
ハウエル医師だろう女医が、ドアをほんの少し開けて中からナツメに呼びかけた。
ナツメは困ったような微笑みを浮かべながら、彼女に従って診察室に入った。患者用の椅子を勧められ、腰掛ける。

ハウエル医師はおよそ三十代半ばといったところ。吊目がちの気の強そうな美人。ナツメを誘い入れたときにはきっちりシャツの前を閉めていたが、髪は盲点なのか少々乱れていた。
若い看護師とはただの浮気で、やはり夫がいるのだろう、「どうしたら誰にも言わないでいてくれる?」と自分から交渉を始めたので、印象通り気が強いのは間違いなさそうだった。わかりやすくていい。

「この病院を前に担当していた者から聞いたんだけど、ここは医療用マリファナの処方箋を多く出してくれてるって。もしそれをうちの安価なものに変えてくれたら、とても助かります」

最後の一人で、弱みを握っている相手ともなれば、ナツメも強気になる。初めてカマをかけてみた。
しかし、結果は。

「何を言っているの?うちは基本的に医療用マリファナの処方箋は書いてないのよ」

「……え?」

「仮にもカトリック系の病院だからね。いくら合法化されたって言っても、上層部は教会とズブズブだから、そういうことやりづらいのよ。他の薬なら検討するけど」

平坦な声、怪訝そうに細められるばかりの目、焦りは一つも見えてこない。ナツメは切り上げることにする。

「あ、今日はその、マリファナのことで来たので。それじゃあまた今度、お話を聞いてください」

これは、明らかにハズレだ。ナツメは内心舌打ちして席を立ち、診察室をあとにする。さっきのことは黙っておきますから、と脅しておくのも忘れない。

『またハズレかよ……』

「残念だけど。……こうなると根本的に考え直したほうがいいかもしれないわね」

診察室を出ると、来し方とは逆の方へ足を向け、非常階段につながるドアを開ける。外に出ようとした、その瞬間だ。
パタパタと、医療従事者が履くサンダルが床を叩く音がして、ほぼ同時、ナツメは己の背中になにかが押し当てられたのを感じた。金属の硬い感触。銃だ。口径は大きくはなさそうだが、この至近距離なら問題なくナツメを殺せるだろう。

「手を上げろ……それでそのまま、外に出ろ」

「……」

非常階段に出てからそっと振り返ると、緑色の看護師服を着た男が後ろに立っていた。さっきハウエル医師に乗っかっていた男だと気づくのにさほど時間はかからない。
なるほど。こっちだったか。ハウエルとの会話を盗み聞きしていたのなら、ナツメが何者で、何を探っていたのかわかるだろう。

「お前誰だ……市警か、FBIか?どっちでもいいが、さっきから仲間と話してるな。どうやって話してる」

男は焦っているようで、額に冷や汗が浮かび、四角いフレームの眼鏡の向こうの目には動揺が浮かんでいる。度胸がない、生粋の犯罪者ではなさそうだ。
まだ若い。看護師になるくらいだ、悪人ではないはず。

『……ナツメ、落ち着け。すぐ助けに行く』

「これはまずいわね。どうしたらいい?」

ナツメがイヤホンの向こうのクラサメに話しかける。胸元に指した万年筆に向かって。

「……それか!!」

看護師はすぐさま、ナツメの胸元から万年筆を抜き取ると、床に落として踏み潰した。きっとすごいハウリングがバンに響いただろうなと思う。

「武器は」

「持ってないわ。営業のフリしに来てるのよ」

「そ、そうか……ならいい」

看護師は銃で背中をぐいぐい押してくる。気が弱そうな男だが、こういう人間ほど銃を握ると豹変するよな。暴力は権力の一部だ。

「階段を降りろ。変なことをしたら撃つぞ、わかってるな……」

「わかってるわ」

妙に締まらない段取りの悪さを感じながら、ナツメは言われたとおり階段を降りる。すぐ下は職員用の駐車場で、看護師はナツメを自分の車の前に連れて行った。キャデラックなんて、看護師の稼ぎで買える車ではない。大麻でも売りさばいていなければ。

看護師はトランクを開け、ナツメに入るように言った。

「マジで?トランク?武器持ってないのに?」

「いいから入れ、撃つぞ」

「マジで?マジなの?……まあいいけどさ」

文句を言いながらナツメはトランクに腰掛け、膝を折って入り込む。すぐさまトランクが閉められてしまったので、最後に見たのは看護師の焦りの滲む表情だけだった。




ひどい揺れだった。国産車を信用していないナツメは、車が止まった瞬間ほっとした。トランクの乗り心地なんて知らなかったが、こんなにひどいとは。ぶつけた肩が痛い。
外から話し声が聞こえる。あの看護師と、若い男がもう一人。揉めているようだ。
「どうして連れてきた」「俺には殺せない」「始末してくれ」「警察の人間だ」そんな言葉が聞こえてくるので、ナツメの処理に困っているのは間違いない。病院の関係者が麻薬の売買に気づいたなら殺せるだろうが、警察関係者を殺せばどこから露呈するかわからない。よほど頭がおかしくなければ尻込みするだろう。

「とりあえず、殺さないと……俺は顔を見られたんだ、病院に戻らないといけないし、」

「殺すのもオレにやらせる気か」

「あ、あんたはプロだろうが!!」

ナツメは深くため息を吐いて、トランクの天井を蹴った。何度目かのタイミングで、トランクが開く。
そして、青い顔をした看護師と、もう一人の若い男の姿が明らかになる。

「……久しぶりね」

男は目が合った瞬間、ひゅっと喉を鳴らして黙り込んだ。見開いた目がぐるぐる動いている。混乱している。事態を把握できていない。そのことに恐怖している。

男のことをナツメは知っていた。彼がまだ少年だった頃をよく知っている。隣の隣、箱の中にいた、マキナだった。

「お前……どうして」

「そこの看護師に拉致されたのよ」

「いやそれは知ってる」

ナツメが連れてこられたのは古い倉庫の中だった。恐ろしく古そうで、たくさんの錆びたコンテナが奥に並び、柱も錆びがひどく、天井には大きな穴が二つ空いている。
ここがどこかわからないが、倉庫地帯なら近くにカルラたちがいそうだと思った。別に助けてはもらえないが。
というかこの短期間になんで二度も倉庫に拉致されているのだろう。犯罪者が倉庫好きすぎる。……それにしたって、今にも崩れそうな倉庫を選ぶ理由はわからないが。

「私が拉致されるんなら、防弾チョッキは私用のを作ればよかったな。高い買い物だったのにレムは嫌がるし、さんざんよ」

「……バカだな」

「ええ、バカだったわ。マキナならレムを傷つけるわけないもんね。犯人があんただってわかってればよかったんだろうけど」

「お前ら知り合いなのか……!?おい!どういうことだ!!」

「うるさい」

困惑しっぱなしだった看護師が騒ぎ出したので、マキナが銃で思い切り殴った。当たりどころが悪かったらしく、看護師は地面に倒れるとそのまま動かなくなってしまった。

「本当に……久しぶりね。元気そうでよかったわ」

「お前も……うるさいよ。オレがどうしてようと、お前には関係ない」

「そうね、私には関係なくていい。でもレムとイザナには?あの二人にも関係ない?」

「……」

「二人がどれだけあんたのこと心配してるか、わかってるでしょ。全く……」

ナツメはスカートの中からスマホを取り出した。二人のメールアドレスは定型で入れてあるし、グーグルの位置共有もオンにしてる。すぐ連絡はできる。
メールを送りながら、ナツメはマキナに恨み言を言い続けた。

「ずっと……ずっと探してたのよ。イザナは警察官になった。レムは看護師になった」

「……お前は犯罪者に?」

「あんたがどこに生きてても、痕跡を見逃さないように。ずっと三人で探してたんだよ」

「だからなんだよ。今更、もう一回、兄弟ごっこでもしろって言うのか。それを言うなら、お前だって……お前だって、兄さんと一緒にいるべきだろうが」

「一緒にいるよ。家族だと思ってる」

「家族?それじゃああの男はなんなんだよ。ずっと一緒に住んでる男は……!」

「……え?」

マキナが苛立たしげに顔を歪める。トランクに腰掛けていたナツメは驚いて顔を上げた。

「マキナ、私のこと見てた?」

いつから。どこから?近くにいた?
ナツメが気が付かなかっただけ?

「マキナ。あんたも私と同じことしてたの?」

「同じことって……なんだよ」

「私は箱を出て、家に戻った後……身を守る術を手に入れたくて、FBIを目指した。ハーバードに進んで、ハーバード・ローに行くつもりだった。でも三回生のとき。進路を決めようとしていた頃、フラタニティのレイパーたちに襲われた」

「……」

「偶然通りかかった外部の人間がいなければ、逃げられなかったと思う。泥で汚れた服と殴られて痛む体と、口の中の血の味を今でも覚えてる。その時、無駄だって思ったのよ。FBIに入って銃を持ち歩けるようになっても、社会に参加しつづけるかぎり、理不尽に破壊されることから逃げられないんだって理解した。だから、犯罪者になったの。レムと、あんたを守るためにも、FBIじゃだめだと思った。敵がイリガリティーな手を使うなら、そこにいないとだめだと思った。……あんたも、同じなのね?同じことを考えて、同じことをしているのね?」

「オレは……親が死んだんだ」

「……うん。イザナに聞いてる」

「オレは十六で、兄貴は二十一歳のときだ。兄貴は大学に行ってて、オレは偶然家にいなくて、留守だった。それで、うちに強盗が入ったとき、両親しかいなかった」

「……」

「強盗は、オレの部屋から入ったんだ。……窓の鍵を開けてたから。窓から、出入りしてたせいだ。そのせいで強盗が入ったんだ。きっと前から、オレが出入りしてるのを見てて、目をつけられてた。家にたいして金なんてなかった。警察が言うには、盗まれたのはほんの二千ドル程度だったとさ。端金のために、オレのせいで親は死んだ」

「……イザナは、そうは言ってなかったな」

「ああ、そうだろうよ。……大学から慌てて帰ってきた兄貴は、オレを一度も責めなかった。それどころか、大学を辞めて、オレのために働きだしたんだ。大学中退のガキが働いて稼げる額なんてたかが知れてた。兄貴が一人で生きていくんならともかく、オレを養うなんて無茶だった。だからオレは……」

「家を出て、一人で生きていこうとした?」

「バカだと思うだろ」

「……そうかもね」

ナツメは俯いた。マキナは隣に座る。足元には看護師が倒れている。

「あんたが家を出た後、私はイザナと再会した。レムとあんたたちは同郷だったのもあって、ずっと連絡はとってたから、その縁で私はレムともまた出会えた。……マキナ、私達は、ただ元通りになりたいだけよ」

「どこまで戻りたいんだ」

「……さあ。それがね、あんたともレムともイザナとも意見が分かれてる。だから私達はどこにもいけないんだろうなあ……」

ナツメはたぶん、本当に何もなかった頃に戻りたい。そうして、出会い直して、兄弟でも姉妹でもなく、ただ友人になりたい。
けれど忘れることはできない。ナツメたちは壊れたショットグラスのようなものだった。どう努力したって、もう元には戻らない。それがわかっているから。

「……もうすぐ会いに行くつもりだった。兄さんにもレムにも。ついでに、お前にも」

「あら、どうして?」

「プレゼントがあるからだ」

薄く笑ってマキナが立ち上がる。黒いコートの裾が翻って、マキナは倉庫の奥へ歩いていった。ナツメがついていくと、奥に積まれたいくつかのコンテナ、その一番下の前でマキナは足を止める。
背後のナツメを一度振り返る、その目が爛々と輝くのが見えた。

閂を外して、コンテナの扉を開ける。
コンテナが開いて、ナツメは息を呑んだ。

ランニングシャツとトランクス、白人のくせに薄汚く汚れた茶色い皮膚。
両手足を後ろで縛られ、猿ぐつわを噛まされ、目は薄く開いて。
傍らには紙の皿が何枚か落ちていた。


中年の男だった。何度もその顔を悪夢に見て、魘され、飛び起きては吐いた。
ナツメたちを壊した男が、コンテナの奥でぐったり身体を投げ出していたのだ。





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