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徹夜で解読を進めたトレイ、クイーン、クオンの成果はすぐに出た。
先発として向かったセブンとキングがすぐさま蒼龍の国庫を開けさせ、古語の辞書類を強奪してきたからという理由はある。そのために蒼龍への食糧配給のルートを一つ増やす羽目になり仕事も増えたが、泣いたのはナギだけだった。
曰く、「どうせ記憶なんて戻らなくてもクラサメさんが気付いて結局元鞘に戻るような気がすんだよ」とのことであったが、0組はナギほど乾燥していないので納得しなかった。
そしてその解読の結果、解呪の材料を集めるべく調達班は動いた。多くは蒼龍へ向かった。城で管理していた薬草類から必要なものを譲り受ける算段があったためだ。
それでも手に入らないものについては足を使って探す必要があったが、これもまた0組には大変面倒ながら不可能な任務ではなかった。解読班でも手が空いた人間から朱雀と蒼龍の国境付近で取れる材料を探した。
ただし、これは難航した。というのも、先の大戦ならびにフィニスのためにさまざまな生態系がダメージを受けていたのである。
一週間後、マキナたちはインスマ海岸に来ていた。冬が終わり春が来る頃、まだ潮風は冷たい。ここのところ毎日のように材料を集めて回る日々だ。さすがにそろそろ0組にも疲労が見えてくる。
「どうだ?見つかりそうか?」
「砂浜ほとんど潮水に浸かっちゃってるのに、水草でもない草が残ってるかな……」
「少し丘のほうへ登ろう。そっちにならあるかもしれない」
ハマハヒと呼ばれる砂を這って伸びる草、普通は実を使う薬草だとレムから聞いて知っていたマキナだが、今回は根を使うという。
「あ!ねえ、あの緑の!」
「ああ、間違いない!根を掘れ!」
気付いたケイトが駆け出し、エイトがそれを追った。砂に足を取られて転びかけた彼女を、すんでのところでエイトが捕まえる。それにマキナは追いつく。
三人屈んで、浅いところに生えた草の根をしこたま抜き、彼らはチョコボに乗って魔導院に戻った。途中、COMMに入った連絡で、それが現状手に入る最後の材料だということを知った。
そしてそれは少なくとも吉報ではなかった。あとたった一つ、完全には解読できていないままの材料があったためである。
魔導院に戻ると、レムが暗い顔をして三人を出迎えた。その表情を見れば、戻ってくるまでの数時間で劇的な進歩があったと希望を抱くいとまもない。
つまりは、まだ最後の材料が明らかになっていないということだった。
クリスタリウムへ向かえば、そろそろ改修の目処がたったばかりの一画に、朱いマントのクラスメイトが集まっていた。みな一様に、表情はあまり明るいとは言えない。
「ハマハヒだ。これで足りるか」
「みんなして、一体隊長の記憶を何度戻すつもりだってくらい乱獲してくるな」
麻袋を受け取り中を確認したエースが苦笑して言ったが、自分も途中何度か材料調達に回ったときには枸杞やら薄荷やら裏白樫やら、意味もなく大量に持ってきたものである。ちなみにそれらは現在0組寮を圧迫している。昨夜は虫が出て大騒ぎをした。
「それで、クラサメ隊長のほうは?」
「ナギとカヅサが部屋に閉じ込めたり全く関係ない仕事押し付けて黙らせてくれてる。でもこれ以上僕らが授業に出なかったらまずいだろうなあ。そろそろ正座させられて膝にブロック積まれそうな空気らしい」
「まあそれくらいはもう堪える覚悟だ……」
「まったく助け甲斐のない二人だよ。ナツメももうすぐ魔導院出るみたいだ」
「そうか……手伝いに行かないとな。心配だし」
「ナインとキングとジャックが行くってことでさっき決まったよ。僕は戦力外通告を受けたわけだが」
「抗議したのか?」
「何度か」
「熱烈に?」
「懸命に」
「だめだったか」
「だめだった」
「まあ……あの三人の前ではオレも縮んだ気するし……気にするなよ」
「実際に縮めよ」
「それは御免こうむる」
エースが歯ぎしりしながら言うのを笑って躱し、あーでもないこーでもないと煮詰まっている解読班の方へマキナは足を進めた。
「どうだ?最後の材料は……」
「わからねえよくそが!」
「そ、そうか」
クイーンの真っ赤に充血した目と乱れに乱れた口調が解読の難解さを示していた。
なんたってここに集うは魔導院一の秀才トリオだ。テストをすればたいてい満点、三人寄れば文殊菩薩も裸足で逃げ出す知識自慢だ。その三人が目を真っ赤にして、顔色を真っ青にして、爪をかみながらぶつぶつぶつぶつ呟いているのだから異常だ。
「だっていくらなんでも抽象的すぎませんかなんですか記憶の象徴って!しかも共に荼毘に付すってどういう意味!?」
「薬草、毒草、オリエンス各地の図鑑を全て漁って尚も関係していそうなものは見つかりませんでした……」
「それどころか逸話、原語の類語、語順、似た単語全てを列挙し辿れるものを探してみましたがいずれも収穫がありません」
「はっきり言ってもうお手上げと言っていいでしょうね……クソが」
「……なあ、そんなぼんやりした言葉ならもしかして、意味はあんまりないってこともあるんじゃないか?」
「……。それはつまり、古き魔法の原典にありがちな、必要もない長時間の詠唱のひとつのようなものだと?完全に無視して構わないものだと?」
それまでぼそぼそと陰気な表情を突き合わせて話していた三人のうち、クオンが顔を上げて呟いた。目の焦点が微妙に合っていない。一体どれくらい眠っていないのだろう。少し心配になったマキナだった。
「くッ……」
「なんだその悔しそうな顔」
「その程度のことをあなたごときに指摘された自分が憎い!」
「その濃い隈でよくもそんなことが言えたな。表に出ろ」
「待ってください、クオンをぶちのめすのは構いませんが解読が完全に終わってからにしてください……」
トレイがかばっているんだか差し出しているんだかわからないようなことを、掠れて上ずった声で言うので、マキナはむ、と唇を噛んで諦めた。この有様だ、少しくらいの暴言は許してやるべきなのかもしれない。
「ではとりあえず、意味のわからないものは抜いて調合表を作りますよ。どうせ材料は数回分はあるんでしょうし」
「ああ。それを材料と一緒にカヅサに投げればなんとかなるだろう。僕はナギを探してくる」
エースがそう言ってクリスタリウムを出ていった。あーでもないこーでもないとうんうん唸る三人を置いて、0組はしばし休息した。
一方その頃。
ナギは宙に浮いていた。
「おい……あの本はどこだ……」
「うぐぐぐぐぐ」
「0組全員と一切連絡が取れん上、カヅサがしょうもない仕事ばかりを投げて寄越すので時間が取れないのだがお前なにか知っているだろう……」
「うぐっぐぐぐぐ……!」
カヅサに言わせればあの状態のクラサメくんに見つかるなんて阿呆のすることだよと首を横に振るだろうし、エミナに言わせればつまり近づくのが悪いのよと首を横に振るだろうし、ナツメに言わせればクラサメ悪くない、お前悪い、全部お前悪いと片言で首を横に振るのだろう。
そう、ナギが悪い。見つかったナギが全て悪い。はいはいそうですよすいませんね俺が諸悪の根源ですと認めて楽になるのならいくらでも認めるのだが、生憎この死神、最初から告解は求めていない。
「0組はどこだ……本はどこだ……言え、さもなくば」
「ぐぐ……さもなくば、何だよ……」
「四課を襲う」
「あんたそれ前もやったろうが!!……って覚えてねえのか……つーか下ろしてくれ、ぐぐぐ、息ができねえ」
「答えれば下ろしてやる」
「この姿勢じゃ無理があるだろ!」
ナギがぎゃあぎゃあと喚くと、それもそうかと納得した様子でクラサメがナギを下へと降ろす。ちなみにこの男、ナギの七十kg弱を片手で持ち上げていた。まさに鬼神、一体どんな鍛え方をしたらそんなことが可能なのかぜひ知りたい、そして知っても実行に移す気はないナギであった。
幾度の戦いを経て人が減り、それでもゼロにはならないホールの片隅、おそらく事情を知っていそうな人間を張っていたクラサメに見つかりあっさり拿捕されていたナギは、数分ぶりの床の固さにいつになく安心感さえ覚えている。
「……で、なんですか。本ですか」
「ああ。どこにある。解読に回すと言って一週間以上経つが音沙汰がない」
「そんなん言ってもな、結構文量あるし、ああいう文献資料の少ない古代の、しかも他国の文字を翻訳するのが簡単なわけないじゃないですか」
「それもおかしな話だ。今回に限って言えば、該当しそうな箇所から翻訳すればいいだけのはず。それに一週間かけて収穫がないのなら、下手すれば数年規模で時間がかかるということでもある。いずれにせよ、一週間が経過する前に進捗の報告があって然るべきだろう」
「ちっナツメなら誤魔化せんのに」
「……あいつには誤魔化すのか。仲間じゃないのか?」
少し驚いたような、そしてわずかに嫌悪したような目を向けたクラサメに、ナギは苦笑してため息をついた。
「仲間ですからね。心配の現れですよ」
「それで騙すのか」
「すいませんね、四課なもんで。あんたみたいに人を正しく守ることはできないんですよ」
ナギの皮肉を聞いたクラサメは短く呻いた。「今の私が?」と低い声で唸る。
「あいつがどんな人間だったか何も知らない今の私は、近くにいるだけで頭痛の種じゃないのか」
「……そんなことないですよ。それは絶対……」
ナギは珍しく、言葉を選ぶ仕草を見せた。実際迂闊なことは言えなかった。クラサメ相手に変なことを言って、巡り巡ってナツメに伝わった場合、大変面倒なことになる可能性が高い。
「ともかく……解読はどうなっているんだ。……まさかとは思うが、……0組を巻き込んでいる……わけでは」
「んぐう」
「隠す気があるのか貴様」
クラサメがじろりとナギを睨む。ナギはいつもどおり、意味もなく息を詰まらせた。
彼の指摘通り、ナギには何一つ隠す気が無い。もしナギがなにかを隠蔽するのなら、クラサメになど何一つ悟らせないだろう。クラサメが戦闘のプロであると同時に、ナギは隠滅のプロである。クラサメもそれをわかっているから、わずかに呆れの色も滲む。
「全く、お前たちときたら」
「ちょっと、どこ行くんです」
苛立たしげに踵を返そうとするクラサメをナギが制止する。
「0組を探すんだ。当然だろう。武官の私事に係う暇が彼らにあると思うのか」
「はいそれが悪い癖」
両手の人差し指をピンと立ててナギが笑うので、クラサメの眉間の皺は一層深くなった。
「そうやって人を頼らんから、ナツメも0組もいざというときに抱え込むんでしょうが。一番手本のあんたがそうだから」
「……そんなことを教えた覚えはない」
「教えてんですよ。あんたという人間を尊敬して、敬愛して、後を追ってくる奴らですよ?本人たちも知らないうちにそうなってます。そのあんたが頼ってあげなきゃ、みんな、大事なときにあんたに頼れないだろうが。このまま放っておいてやるべきだ」
「それは……だが、やはり、こんなことに巻き込むべきではないし、私は……」
クラサメは口ごもり、しばし躊躇うような顔をした。ナギ及び大方の予想通り、この男、自分が0組の尊敬を最も集めていることに気がついていないのであった。
そんな彼だからきっと、ナツメも0組もナギもクラサメが好きなのだ。
「もういいですから、むしろナツメのとこ行ってくださいよ。もしかしたら思い出すかもしれないし。きっとあいつ死ぬほど嫌がるし」
「あいつが嫌がると良いことでもあるのか」
「虐めるネタが増える」
「おい」
「冗談ですって。だからほら、こっちは俺にまかせていいから」
あいつのとこ行ってやってくれ。
ナギのその言葉は、確かに彼の本心のように思えたので、クラサメもそう無碍にはできず。そして彼もまた、ナツメを放っておくことはできそうにないので、諦めてホールを出て、武官寮へと足を向けた。直通の階段を使わなかったのは、もしかしたらなにか予感があったのか。
ナツメが、こそこそと、数日前そうしていたように生け垣を乗り越え、壊れた柵の間をすり抜けて出ていくのが見えた。麻袋のようなものを手に持っている。
なんだ?何をしにいくんだ?
クラサメはとっさに彼女を追うことにした。少しずつ陽の傾く中、ナツメは足早に丘を下っていく。クラサメは慌てて、彼女の名を呼んだ。
「ナツメ!」
彼女はその声を聞き、長い髪を翻して振り返った。
それから時間は少し戻って。
ドアを叩く音を聞いて、ナツメがドアを開いたら、ジャックとナインとキングという、0組でも屈指の高身長がそこに立っていた。ので驚いた。威圧感すらあった。
「えーっと……?なにか用?」
「引っ越しの手伝いだぜコルァ」
「……日取りまでよく知ってるわね……」
「ナギがねえ、全部ぶちまけてったよおー。副隊長座っててね、赤ちゃんなんてすっごいよねー!」
「ぐふっ」
「ほらナツメ、ネタは上がってるんだ。おとなしくしていろ」
キングに促されるまま、ナツメは椅子に腰掛ける。そして三人は、というかキングの指揮のもとジャックとナインは荷物の運び出しを始めた。
魔導院前に荷車を呼んであることまで把握済みで、手際はさほど良くもないがナツメ一人で運ぶより数段早いのは確かだった。
「荷物これしかないのー!?僕より少ないよぉ!」
「家具が備え付けだったら引っ越しなんてそんなもんよ……服も私はあんまり持ってないし。下着と化粧品があればだいたいなんとかなるわ」
「女の人って荷物が多いイメージだったよ……」
そうは言いつつも、抱えて持つほどの木箱が三つにはなった。往復での作業だし、引越し先についてからの荷降ろしだってある。どれもナツメ一人では困難だったろう。なんたって妊婦だ。
下着の入った箱をひっくり返したナインがもんどり打って頭を強打する事件がありつつも、ともかく二人が出ていってしまうと、キングがいつもどおり神妙な仏頂面をナツメに向けた。
「荷車は誰が引いていく予定なんだ?」
「暇があればナギがやってくれるって言ってたけど、どうかしらね。なんだか最近忙しそうだわ。0組は?大丈夫なの?」
「まあ……そうだな。クイーンとトレイは死にかけているが」
「えっなんで?」
「ああ、問題はない。好きでやってることだ」
「なんで自分から死にかけてるのよ?ちょっと……心配ね、私診るけど……」
「ただの寝不足だから寝ればなんとかなるさ。それより、お前、体調が悪そうだったのは妊娠だったんだな」
「ぐっ……それは……ええと」
「気にするな。なぜ言わなかったなどと詰る気はない。ケイトとシンクはまさにそう騒いでいたがな」
「……そうなの」
がくりと肩を落としたナツメを、キングは慮らない。でも静かにテーブルの向こうに座って、ナツメを見ていた。
「わからないわけでもない。受け持ち候補生にそんなことが知られるのは望ましくないと思ったんだろう」
「ん……まあ、そうね……クラサメのこともあったし」
「クラサメには?」
「言ってないわ」
「……別に口は出さないが、俺たちに知られている以上そこは時間の問題だぞ」
「ナギ殺すわ……」
「もう記憶が消えないのだから意味ないだろう」
「クリスタルがこんなに愛しかったことないわ」
肩を竦めて苦く笑うと、キングもわずかに破顔してみせた。思えばこんなふうに、一対一で彼と会話するのは初めてだった。
「まあでも、よかったよ」
「妊娠?」
「俺たちは目的ありきで生きている。戦争が終わった今は復興という目標があるが、それも終わったらとうとうすることがなくなる。そのときに構い倒す相手がいれば、まあなかなか退屈もしないだろうさ」
「……そうね。あなたたちは、きっと近くにいてくれる」
ありがとうと言って彼を見つめると、少しだけ照れたような顔をした。そうしているとキングもまだ少年と言っていい歳なのが思い出されて、なんだか嬉しかった。
荷車だが、もし手が足りないなら俺たちはどうせ今は暇だから動けるぞと彼が言い、それじゃあ頼むかもしれないわとナツメが答え、キングは椅子を立ち上がり、最後の木箱をそれじゃあ俺が運ぼうと言った、その時だ。
キングが「ん?」と低い声を出して、棚の下に目を留めた。もともとほとんど空で、今や完全に空の棚の下の隙間に、白い紙が見えたのだ。
キングが屈んで引っ張り出すと、それは封筒だった。
「これは……」
「あ、……それは」
後家がナツメを呼び出したときの、あの封筒だった。
宛名だけの封筒をキングから受け取り、「なんでもないのよ」と捨てようとした。しかしキングがそれを止めた。
「たぶん中になにか入っている」
「え?」
「端の厚みに差があるんだ。見てみろ」
言われて中を見てみれば、封筒の底に確かに紙が見える。封筒とほとんど同じ幅のものを折って差し込んでいるらしく、普通に中の手紙を取り出すだけなら気付かないだろう入れ方だった。指を差し込み、その中の紙を挟んで取り出してみると、色の薄い文字で何事か書かれているのが見えた。
ナツメは己の唇が震えるのを感じた。
「……俺はここにいないほうがいいな?」
「ええと……ごめんなさい。この手紙は、私が読まなくちゃ……」
「わかった。だがなにかあったらすぐ呼べよ」
なにか異常なものを感じたのだろう、キングはナツメに短く言い付け、木箱を抱えて部屋を出ていった。それを見送ってから、ナツメは改めて手紙を開く。
手紙は意外なくらい、まともな言葉で始まった。まず一言の謝罪。今から手紙の呼び出しに応じるのなら、決して行くなと書いてあった。
「……もう遅いわ」
それから、四課への恨み言と感謝がいくつか述べられ、最後。
クラサメの記憶のことが書いてあった。
「……」
そこに書いてある文字を、ナツメは何度も読み直した。意味はわかっているのに、理解できているのに、それでも。
そして、手紙をもう一度折り、テーブルの上に置くと、必要なものを探すため部屋を出ていった。
ナツメはもう一度、あの墓に行かなければならない。
もう二度と会いに行くことなどないと思っていた、かつての仲間のあの墓に。
ホールを通ればナギに見咎められる可能性があると思って、そういえばとあの夜半に通った崩れた垣根の道を通った。まだ修繕されていなかったし、墓の場所を思えばむしろ近道だった。
麻袋を抱え、転ばないよう気をつけて行く道の、背後からふいに呼ぶ声があった。
振り返ったら、クラサメが生け垣から出てナツメを追って向かってきている。
「く、クラサメ……どうして」
「お前が出ていくのが見えたから。どうした、どこへ行く」
「いやちょっと野暮用……」
「……なぜ誤魔化す」
「うーん……でも……うーん」
「なんなんだ一体」
言いよどむのなら、クラサメにも関係のある話と踏んだらしかった。それは事実そうなので、反応に困るナツメだった。
「……あのね。記憶、戻せるかもしれない」
「なんだと……?」
「でもわからないわ。どうなるかは。……一緒に……来てくれる?」
悩みながら聞いた言葉だった。
クラサメは浅いため息を吐いて、「当然だろうが」と言った。
二人連れ立って、日差しの傾く丘陵を下り、第四墓地を迂回して第六墓地を目指す。道すがら、クラサメがわずかにそわそわしているのを感じ取って、「どうしたの?機嫌いいみたいね」と聞くと、クラサメはぽつりぽつり話してくれた。
「私の記憶のために、なにか、しているようだ」
「そうなの?……あっ、クイーンとトレイ……好きでしていることって、……ああ、そういうことね」
「何がだ?」
「さっき部屋にキングが来てね、言ってたの。二人が寝不足で死にそうなんだって……そういうことだったの」
「……武官のことで受け持ちの候補生が苦労するなんて、笑えない話だ」
「そうね。そうかも。でもクラサメ、嬉しいんでしょう?じゃなきゃそんなに上機嫌にならないよ」
「……上機嫌に見えるか?」
「ま、私にはね。カヅサとエミナにもバレるでしょうね」
「くっ……」
恥じ入るように目を細めたクラサメに笑いかけ、しばらく歩いた。第六墓地につく頃には、夕方に差し掛かっていた。
最近だんだんと陽が長くはなってきたが、まだまだ春は始まったばかりだ。
墓を探して、ナツメは歩く。クラサメがその後ろをついてくる。
とても立派な、しかし一切刻印のない墓石の前に至り、ナツメはあの紫の花がないことに気がついた。風に飛ばされたか、なんであれ、なくていいと思った。見たら心が挫けそうだ。
「それで、何をする?」
「……墓を掘り起こすの」
「……何を……言っている」
クラサメが訝しむ顔で言った。ナツメは彼を振り返り、静かに、この墓に眠るエステルという女が最期に残した言葉を語った。
「エステルの手紙が残っていたわ。術者の死体と、“記憶を呼び起こすもの”、つまり私の輝石を一緒に燃やせば、クラサメの記憶は戻るはずだって。……関係の深い人間のファントマでもいいらしいけど。もう見つからないし、見つかってもそんなの使えないから……輝石を」
「……死体を掘り返して、燃やす?そんなこと……」
「わかってるわ。朱雀にはもともと火葬の習慣もないし、一度埋めたものを掘り返すのは良くないわよね」
クラサメはじっとナツメを見ていた。感情を量るような、そんな目だった。
それから静かに、「お前、やりたくないんだろう」と言った。
「私が殺したときも、そんな顔をしていた」
「……私別に、エステルのこと、大事に思ってたわけじゃないわ。むしろ嫌いだった。でも、……でも」
そのとおりだった。ナツメは彼女を暴きたくない。
でもやらなければとも思っている。エステルによって、クラサメの記憶が奪われたままなんていうのは、ナツメとしてというより四課として許せなかった。関係のない人間を不幸にしたまま放っておくなんて嫌だった。
麻袋を開けて、中に押し込めてきたシャベルを取り出す。
「嫌でも、やらないといけないの」
「……そうか。ならばやろう」
「え、……でも」
「お前、体調が悪いんだろう。休んでいろ。私が掘る」
クラサメはあっさりシャベルをひったくって、まさに墓の上に立った。そして無言で、土にシャベルの先端を突き立てようとした。そんなときだ。
「……ん?」
「どうした」
「なにか聞こえない?誰か叫んで……あれ」
ナツメが振り返ると、オレンジ色の光を受けて、坂を駆け上がってくる0組が見えた。先頭を走るのはエイト、エース、ナイン。ケイトやセブンとマキナが続き、最後尾を走るのはレム、トレイとシンクだ。
「えっ何、うわエイトすごい足速い」
「は?何をしているんだ……彼らは」
「私が知るわけないじゃない」
最初にスライディングで飛び込んできたのはやっぱり身軽なエイトだったが、その後なだれ込んできた他の面々も含めて、肩で息をしていてしばらく会話にならなかった。挙げ句、ようやく息を整えて言った言葉は「うわあめっちゃ喉乾いた」だったのでナツメとクラサメも目を見合わせるほかない。わざわざ走って追いかけてくるなんてことをするのだからそれだけ急ぐ理由があるんだろうと思ったが、どうもそういうわけではないらしい。
「えーと……それで、なに?どうしたの」
「く、薬、みたいなのが……できたから……っ」
「薬?何の話だ」
「だからあ!あんたの記憶取り戻すのに!薬ができたんだってば!」
ケイトが声を荒げて言う言葉に驚いて、クラサメは目を丸く開いて面食らっていた。ケイトにあんたと呼ばれるといつも怒っているのに、今日はそんな余力もなさそうだ。
「薬って……一体、どうして」
「ナギが持ち込んだ古い本をクイーンとトレイが解読して、材料をみんなで揃えて……一週間ぐらいかかったけど、さっきカヅサに調合してもらったんだ。薬っていうか、香みたいだな」
「ええ……記憶の象徴と荼毘に付すとありますから、燃やすんでしょう。まあこれが駄目でも、材料はまだまだありますし」
香をクイーンが土の上に置いた。そしてそのまま、クイーンがぐったり座り込んでしまう。
「ひどい隈じゃないの、寝てないのにあんなに走って……!」
「うるせええ!副隊長が妊娠してるって聞いて寝てられるか!!寝るほうがもう怖いんだよ!!いいからさっさとやれ!!」
「ひゃっ!?」
地面を強く叩いてクイーンが怒鳴った。荒い息で、もともと白い顔を更に青白くさせて、クイーンがナツメを睨むように見つめる。
「お……おい待て、今なんと言った?」
わずかに狼狽えたクラサメが問う声も聞かず、クイーンは叫ぶ。
「わたくしたちはもう、あなたがたが不幸になることが一番怖いんです!」
その瞬間、他の声も全部止んだ。
0組全員、ナツメとクラサメを不安げに見つめている。
クラサメのためだけじゃない。ナツメのためにも、彼らは走った。
その意味をもう、知らないふりはできない。
ナツメはクラサメを振り返った。彼もナツメを見つめ、うなずいた。クラサメがシャベルを地面に放る。これがうまくいくなら、死体を暴く必要なんてない。
麻袋の底から、マッチを取り出す。可燃の油は、必要なさそうだ。
ナツメはマッチを擦り、指先に赤い光を灯す。ゆっくりと、煉香らしきその塊に火を近づける。
火は突然燃え移って、多量の煙を吐いて大きく燃え上がった。「ナツメ!」クラサメが名を呼び、ナツメを背後に強く引き寄せて庇った。
煙は立ち上り、炎が燃える音もする。しかしクラサメに変化はない。
「ど……どうだ?隊長」
「なんか思い出した!?」
「い、いや……特には」
「っだークソ!!何が駄目なんだあーもうー!!」
「……やっぱりあの記憶の象徴とやらが必要なのでは」
「ですがそれはどこにも……!」
炎を見つめるばかりだったナツメだが、不意に気づいたことがあった。記憶の象徴。
エステルの指示にあった言葉は、“記憶を呼び起こすもの”。輝石でもいいということだった。それなら。
ナツメは首から掛けていた輝石のネックレスを引きちぎるように外し、火の中へと投げ込んだ。
その瞬間だ。
炎は青く燃え上がり、煙までもがその色に染まった。
誰しもの視界が青くなり、ゼロになり、息が一瞬以上止まった。0組は慌てて離脱し、煙の外に転び出たが、クラサメとナツメは煙がかき消えるまでそうしていた。実際、十秒にも満たない時間だったが、0組は肝を冷やしたらしく、幾度となくクラサメとナツメの名を呼んだ。
そして煙の晴れた後。
クラサメとナツメは呆然と見つめ合っていた。
それを見て、エースが、「隊長」とクラサメを呼ぶ。
「記憶は……戻った?」
「……そう……だな……」
肯定とも言い切れない言葉に、エースが答えを待ちきれなくて言葉を重ねようとした、そのときだ。
クラサメは少し不機嫌そうな声で、
「まず飛び出していった言い訳を聞いてやろう」
と言った。
0組の誰にも意味はわからなかったが、ナツメの目にはじわじわと涙が浮かび、頬にこぼれ落ちると同時に彼女はクラサメの首に飛びついたので、そんなことはどうでもよくなった。
ナツメは何度も「ごめんなさい」と言って、クラサメは呆れた顔でその背を同じだけ優しく叩き、マキナやエース、エイト、ナインが声を上げて大喜びし、ケイトとシンクが泣きそうな顔で抱き合って、トレイとクイーンはエステルの墓石に寄りかかってぐったりしていた。レムがそれに気づいて慌てて介抱にまわり、ナツメも気づいて喜んでいる場合ではないと悟り、結局大騒ぎしてトレイとクイーンを救護すべく大慌てで魔導院に帰る流れになる。
「全くもう、どうしてこんな体調で無理するんだ」
クラサメは控えめに言っても怒っていたが、ナツメが笑って、「それだけみんなあなたが好きなのよ」と言ったので黙った。
代わりに背後で、必死すぎる否定の声が続けざまに上がった。ナツメはもっと笑った。
魔導院に戻って、トレイとシンクを0組の寮へ運び込んで寝かしつけ、ナツメはクラサメの部屋に戻った。ナツメの荷物がまるでない部屋を改めて見て、クラサメが不機嫌そうに呻いた。
「荷物を戻すぞ。お前が魔導院にいなかった頃のようで落ち着かない」
「あー……それが。たぶん、もう魔導院にない」
「は?」
「下の街に引っ越すつもりだったから……うーん、でもクラサメの記憶が戻っても、私はやっぱり魔導院は出なきゃなあ」
「そうだ、お前、妊娠ってどういうことだ!」
クラサメはナツメに詰め寄り聞いた。ナツメはとっさに謝ったが、クラサメはより眉間の皺を深くするばかりだ。
「妊娠したんだな?わかったのはいつだ」
「え、ええと……あなたが記憶を失くしてすぐ」
「何ヶ月前だ!!」
「二ヶ月も経ってないよお……」
「ふざけるなお前、そんな事情を知っていたら私は……!」
「うん、……わかってる。ありがとう」
ナツメは頷き、クラサメの手を握った。ナツメがじっと見返してくるので、彼女の言葉が嘘ではなく、ほんとうにちゃんと理解していることと、クラサメが一緒にいられなかった間に少なからず変化したことを知って少しだけ悔しく思った。
「もう、そんなことは駄目だとか、そんなことばかり言って逃げ出したりしないな」
「……うん」
「そうか。じゃあ、結婚しよう」
「……うん、……一緒にいてくれる?」
ナツメは泣きそうな顔でそう尋ね、クラサメは今日はよく泣くなと思いながら彼女を抱き寄せた。
何があっても一緒にいよう、子供みたいな約束をして、久方ぶりに二人で眠った。
もうすぐ春が来る。次に夏が、そして冬が来る頃、二人は夫婦になって、親になる。
不安は消えていないし、怖いことはまだまだ起きるし、私はどこまで行ってもまともな親にはなれないかも。
ナツメは夜半、クラサメの隣で呟いた。
「ああ」
「でもあなたを愛してるし、きっと同じだけの熱量でこの子のことも愛しくなるんだと思う」
確実なのはそれだけだった。
この世界にハッピーエンドはないと思っていた。
今でも考えは変わらない。その通りだ。人生だから、これは物語ではないから。
それでも、自分は確かに救われている。
クラサメもナツメも同じことを思う。
繋いだ体温を分かち合いながら、どこまでだって行ける気がしていた。
それから。
何年も何年も、時が過ぎ。
治安維持のため各地を逗留して回る男がいた。物静かな男だったが滅法強く、特に剣技においてはの世のどこにも比肩しうる者なしと尊崇を集めた。
彼のそばには医師の妻がおり、二人の子供がおり、それからかつて“朱の魔人”と恐れられた十四人の男女が代わる代わる彼らのもとを訪うので、終ぞ賑やかな声が止むことはなかったという。
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