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クラサメは最初、小さな灯火であった。船の先頭に立ち、ふいよふいよと宙を走って、ただ光としてそこに在った。
その生は、何を考える必要もない生でもあって、クラサメは毎日ただまっすぐ前だけを見つめていた。

そんなクラサメであったが、ある日、不意に気配を感じてちらと背後を振り向いてみた。そのとき、彼は己よりさらに小さな灯火が、己の後ろで同じ道をついてきていることに気がついた。
最初は気にも止めなかったのだけれど、その灯火がいつまでたってもついてくるので、とうとう痺れを切らしたクラサメはその灯火に向けて問うた。

「おまえ、だれだ。どうしてついてくるんだ」

けれど問われた灯火はふらふら揺れるばかりで、クラサメの問いには答えなかった。クラサメはただただ不気味に思い、その灯火から逃げ出した。




灯火としての生を終え、クラサメは次に魚になった。小魚というには大きいが、群れで動く魚だった。
クラサメはいっとう素早く優秀であったので、いつの間にか群れの先頭にいた。そうして大きな魚から逃げのびては、幾度となく群れを守った。

クラサメはそのうちまた、背後にぴったりとついてくる魚があることに気がついた。
嫌な予感がして振り返ると、そこにいたのは自分より少しばかり小さな、弱そうな雌の魚だった。

「おい、なんだ、ついてくるな」

クラサメは嫌な顔をしてそう言い放ったが、彼女はふるふる首を横に振ると、クラサメが嫌がるのもおかまいなしについてくるのである。
何度言っても結局その魚は従わず、クラサメはまた不気味に思い懸命に逃げ続けた。最後、群れごと鯨の大きな口のなかへ飛び込んでしまうまで、彼はずっとそうしていた。





クラサメは次は鷲になった。北の深い森の高い木の上に生まれて、独り立ちしてからすぐ、また追いかける姿があるのに気がついた。さすがにクラサメもこれはと思い、速度を緩めて振り返り、そこにいた雌の鷲に改めて「なぜ己を追うのか」と聞いてみた。雌のくせにクラサメより小さな体をしたその鷲は、問われた内容に今更ながら驚いたような顔をして目を見開き、近くの木に舞い降りてから言った。

「だって、あなたが、なによりも好きだから」

そんな益体もないことを平然と言い、彼女はゆっくり首を傾げた。言われたクラサメは呆れ返って、羽をばさばさ言わせてそこからまた逃げ去ったのだが、振り返るとやはりそこにはやつがいた。
その後も、何度も巣をつくりねずみを狩りながら懸命にクラサメは逃げ続けたが、彼女がどこまでも追ってきた。クラサメがもう諦めてしまおうかと思ったころ、突然背後でどさりという音がしたので振り向いてみれば、クラサメを追うばかりでまさか狩りをおざなりにしていたのか、やせ細った鷲が地面にぐったり倒れ臥しているのである。

クラサメはとうとう、ため息を百回吐いても足らぬというほどにほとほと呆れ、仕方なく彼女のために狩りをした。背後で死なれたらさすがに寝覚めが悪いからだと己に何度も言い訳をして。
そうして、仕方がないついでとばかりに結局つがいになってやり、狩りに行ってもクラサメの後を嬉しそうについてくるばかりで何もしないそのつがいのためにクラサメは結局二倍のねずみやへびを襲う羽目になった。
生の最後、もう二度とこんな愚行はせんぞと思いながら死んでいったクラサメは、薄れ行く視界に己を見つめ泣きじゃくるつがいの姿を見た。ああくそ、泣くなよ。







クラサメはそれから、暗い質屋で売られている剣になり、鞘があの灯火で魚で前回のつがいであることに気がつき、一層不気味がりながらも今度ばかりは逃げられず、戦いで折れたときには安堵した。鞘と一緒に捨てられて、この生はそれきりだった。
そのつぎ、クラサメは棚の上で飼われるカエルになり、鞘は隣の籠の蛍になった。次は二匹の狼に、その次は前後巻の本になった。空の果てに霞む青白い星になり、不吉な黒猫になり、湖のほとりの青草になった。その間、彼女はどこまでもクラサメについてきて、ぴったり寄り添うことを望みながら、けれどそれはほとんど叶うことがなかった。

何度も、同じことを繰り返した。
幾百、幾千を越えても変わらず、彼女はクラサメを追い掛け続けた。クラサメは不気味がりながらも、結局逃げきれはしなかった。






そして、クラサメは今、初めて彼女の背中を見つめている。
これはあの灯火であり、魚であり、鷲で鞘で蛍で本で、とにかく彼女であることだけがクラサメにははっきりとわかった。

細い背中は黒い衣服に包まれて、彼女はクラサメの視線の向こうへとゆっくり歩いていく。一歩一歩、その歩みは痛みでも伴うのか、懸命に耐えているような歩き方だった。
まるで亡者のようで、クラサメは薄ら寒いものを感じた。

「おい」

彼女に声をかけてみる。
返事はない。

「おい、お前」

返事はなかった。
振り返ることすらも、彼女はしなかった。

クラサメはこれに大層腹を立て、むっと眉間に皺を寄せた。
だって、彼女が追ってきたいくつもの生、クラサメは一度だって彼女を無視はしなかった。そりゃあ確かにほぼ全て逃げ続けたけど、でも一度はかならず振り返ったものだ。

ナツメ!!」

ご立腹のクラサメは、苛立ちを隠すこともせず、不機嫌な声で彼女の名前を呼んだ。彼女はそれでようやく足を止め、恐る恐るといった様子で振り返り、クラサメを見つめた。
――やっとこちらを見た。クラサメは鼻を鳴らし、彼女を叱ってやろうと、彼女の側へ寄ろうとした。

そして、足が動かないのに気がついた。


足元には、夥しいまでの蔦が這い、クラサメの足にしつこく絡みつき、足は寸分も動かせぬ。浮かせることすらできない足を見つめ、クラサメは呆然とした。
慌てて見上げた先で、彼女もまたその蔦にがんじがらめにされているのに気がついた。クラサメにしがみつくのは、緑色の、植物の蔦であったが、彼女に巻きつくそれらは果たしてそれよりもっとどす黒い、血のような深い赤色をしていた。
棘でもあるのか、彼女が痛がるみたいに身じろぎをする。

クラサメは舌打ちし、それから、待っていろと彼女に叫んだ。

「こんなもの、すぐに千切って、助けてやるから!!待っていろ!いいな!」

手を伸ばし、一本一本を無理に引きちぎる。数十数百を一度に千切るのは無理でも、一本ずつならなんとかなった。息を荒くしながら、はっと顔を上げたとき、彼女の姿がだいぶん遠くなっているのに気がついた。
待っていろと言っているのに。彼女はまたしても、クラサメの言うことをきかないのだ。

「おい、ナツメ、待てと言っているだろう……!」

「これね。私をこっちに引っ張ってるの。だから、抗わなければ大丈夫なの」

「だからなんだ!?こんなもの、千切ってしまえば……」

「だめだよ。それ、私たちの命だから。もう千切らないで」

「はっ……?」

呆然として見上げた先、彼女の黒い後ろ姿は、どこまでも白く広がった世界にあいた穴みたいに、ぽっかり浮きあがって見えた。彼女はただ、俯いて、振り向きもしなかった。その肩がほんのわずかに揺れたのが、嗚咽のようにすら見えた。

「あなたを縛っているのは私の命だから、私たちは互いを向かなければ自由になれる」

「おい、何を言っているんだ……?」

「あなたのことが、なによりも好き。私のことよりも。こんな命に縛られて、うまく触れることもできないくらいなら、あなたに自由に生きてもらったほうがずっといいんだと思う」

彼女はそれを誰に向かって話しているのか。クラサメに向けてだと言うのなら、こちらを向いて話すべきなんだろうに。
いつもみたいに、クラサメを追い掛けて。

「もっと早く気付けばよかった。どうして私、あなたを追いかけたんだろう。あなたが逃げてるって、ちゃんとわかってたのに」

彼女は去る。クラサメを振り返ることもなく。
あんなに熱烈な愛を、もう示さない。

彼女は四課へ落ち、そしてただの人殺しになり、クラサメを捨て、クラサメなど知りもしない男に嘘の愛を囁き嘯き、いつかクラサメの手の届かない場所で死んでいく。
でも、クラサメには止められない。 どんなに懸命に叫んでも、クラサメにはとうてい止められないのだ。

それがわかってしまって。クラサメは、蔦など関係なしに動けなくなって。

ナツメ!!」

クラサメは、もう一度彼女の名を呼んだ。
ナツメは堪らぬといった様子で、とうとう振り返って顔を見せた。

初めてまじまじと見た顔はまるでずっと最初から知っているもののような気がして、大きな目の両方から絶え間なく透明な雫がこぼれ落ち続けているのであった。
クラサメは足など置いていっても構わぬというくらいの力を込め、己を縛る蔦を引きちぎった。

そうして、走り出し、彼女を捕まえるために手を伸ばす。
彼女は呆然とした顔で一度だけ、なにごとかをつぶやいた。

手は届かなかった。彼女は後ずさり、背後に向けてゆっくり傾き、霞んでいく。クラサメの指は彼女の柔らかな髪の毛先を掠め、彼女は仄かな熱だけを残してクラサメから永遠に去っていった。
残った白い世界に、クラサメは膝をつき。
深く、息を吐きだした。





そして、次に目を覚ましたとき、クラサメは何かを探している自分に気がついた。探さなければ、見つけなければ、でも何を?

「……、そうだ、ナツメ……!!」

思い出すのとも違う感覚で、ずっと覚えていたような確かさで、彼女を探すために大慌てで起き上がった瞬間、「うわぁっ」、真横でそんな声をあげ何かがひっくり返ったのがわかった。
暫時の後、ゆっくり立ち上がった黒い服の女が、髪を手櫛で押さえつけながらクラサメを見た。

「びっくりした……でもよかった、起きたのね。大丈夫?」

「……ナツメ

「はい、私はここですよ」

ナツメは夢の中ではあり得なかった、穏やかに満ち足りた微笑みでクラサメの手を取った。そうして、声ばかりは怒ったような色を孕ませ、カヅサの薬がどうの、二日も眠らせるなんて許せないだの、唇を窄めてなんとかかんとか言っていた。

クラサメにはその全てがどうでもよかったので、とりあえずナツメをぎゅうぎゅうと力を込めて抱き寄せてみた。潰れた呼吸のようなその悲鳴を黙殺し、己の顎の下に彼女の頭を押し込めると、ぱたぱたといくつも重なって跳ねる学生履の音が聴こえてくるまで、クラサメはそうしていたのだった。







クラサメは次に、どこにでもあるなんてことのない山村の、なんてことない少年になった。

剣も戦争も知らぬ、ただの幼い子供であった。

ある日いつものように家を出て、金属の軋む音を聞いて振り返ると、旅芸人の一座か何かから出てきたのだろうか、偽物の宝飾品でじゃらじゃらと飾り立てられた、クラサメよりは少し年下の少女がそこに立っていた。

スカートの裾を強く握りしめ、深くうつむき足元を見つめるばかりで、少女は動こうとしなかった。クラサメは暫し沈黙した後、ゆっくりそちらへ歩いて行って、その小さな手の片方をさっと掠め取った。

「あっ、……」

「最初からこうすればよかったんだ。どうして追い掛けてばかりで、一度も隣に来なかったんだ」

「私……私は、あなたのことが、なによりも……だから……」

クラサメはもう構わず、その手を引いて歩き出した。

二人がこれまで歩いてきた道は途方も無いほどに長かったが、これから歩いて行こうとする道はその何倍も、ずっとずっと先まで果てが見えないくらいにあるように見えた。たとえその先に、いずれかの果てに何があっても、ずっとこうしていようと言葉少なにクラサメは言った。

少女は頬から滑った雫を空いたほうの手で拭い、きっと初めてにっこり笑って、「うん!」とクラサメに頷いてみせた。

その灯火は二つ、ずっとずっとそうやって、互いを懸命に追いかけているのであった。




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