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朝、四課武官として一応の務めと思い軍令部に顔を出したナツメの頬はひどく引き攣る羽目になった。
それも当然、目の前にヒビの入ったツボに乱雑に突っ込まれた花とカードがあるのだから、どんな状況であれ微妙な気持ちにならない人はいない。

ナツメ、見ろこれ」

「い……嫌……!」

「出会いの記念って書いてある。見ろこれ」

「嫌だァ……!!」

美しい筆記体で刻まれたサインはカトル・バシュタールと読み解くことができる。白い薔薇の花束は、数本程度で決して豪奢とは言えないが、戦後のこんな時期に生花を贈る財力と余裕と頭のイカレ具合がナツメを精神的に甚振っていた。
ナギはうっすら死んだ目でカードをひらひら振っている。

「出会いの記念ってなんだよ?記念するような出会いじゃねぇだろ少なくとも。知らんけど」

「同じことを私も言いたいわ。何なの何考えてんのあいつ、なんで殺さなかったの私」

「言いてえことはいろいろあるがこんな時期に狙いすましたように花束なんぞ送ってくるとこマジ……やべぇな。駄目だ言葉が出てこない」

ナギもナツメもわかってはいる。生き残ったぞという私信にちょっとした茶目っ気が乗っただけ、そういう話だ。ただの手紙を送り合うような仲ではないのだから、格式張った真面目な便りをよこすより、いっそあり得ないくらいふざけたメッセージを届けることで息災であることを伝えようとしているのだと。そして、こんなものが届いても無事受け取って「あのバカ野郎め」と笑えるくらいにはお前たちも無事に生きているんだろうと、おそらくはナツメだけでなく0組にも宛てた在る種の信頼の証なのだと。

わかっちゃいるのだ。

「でもねタイミングが悪い。お前の妊娠、旦那の記憶喪失、間男のプレゼント」

「間違っているようで正しいようで間違った総括やめて」

「一抹の正しさがやばい。絶妙に俺を殺しに来てる。ああーもう無理マジ無理腹筋壊れるっくくくくく……」

「笑うなおい。花を捨ててきてくれ。せめて捨ててから笑っておねがい」

「花に罪はねぇだろ……軍令部に……おいとこうぜくくくく……」

「嫌だよ」

首を繰り返し横に振り、深々ため息を吐きながらナツメは懸命に否定を言った。ナギはさんざ笑いながらも、花を持ってどこかに消えた。去り際、そろそろ荷物をまとめてすぐ運び出せるようにしとけと言いおくことも忘れない。

本当に仕事のできる嫌なやつである。もう数少ない同僚にそんなことを思い、舌打ちをしたナツメは軍令部を出た。仕事関係の引き継ぎは先週から始めているので、すでに大部分が済んでいる。

さてもこういうとき、金の心配をしなくていいのはありがたい話だとナツメは思った。潜入任務なんかをこなしていた頃は四課があまりに金を出し渋るのでひどい目にもあったものだが、今となっては裏帳簿にケチケチ溜め込んでいたらしい裏金に感謝である。
大部分は、戦後で物入りの国庫に返還するとして、生き残った以上はどうしても必須だよなとナギが残存の四課課員に振り分けたのだ。いわば倒産に伴う最後の給金というわけだが、それまでの給料を思うと過剰なほどに多い。別名口止め料とも言うそれがあれば、子供が生まれたとしてナツメが多少動けるようになるまで生きてはいけるだろうと思った。
ありがたい裏金である。汚い金でも金は金だ。


そんなことを考えながらの帰り道、カヅサに会った。少し思いつめたような顔をした彼は、「ねえ少し考えたんだけど」と迷ったような口調で話しかけてきた。

「もしクラサメくんの記憶が戻るまで時間がかかったら僕が代わりにがんばるから!ね!」

「いや「ね!」じゃないが……突然何を思いついたの」

「クラサメくんの子なら僕の子みたいなもんじゃん。僕がんばるから」

「何言ってんのか全くわかんない」

「僕をクラサメくんの子の父親にしてえー!!」

「一回だけ言わせてくれ、死ね変態!!」

「だって冷静に考えたらこんな機会一生に一度もないじゃん!!僕の人生最大の吉事な気がするんだって!!」

「あんたほんとにクラサメの友だちなの!?」

「お願いだからぁー!!」

「断る!どっか行け!しっしっ!!」

ナツメはなんとかカヅサを振り切り、部屋に戻った。それから意味もなく大笑いして、少し泣いた。
あの変態に頼る気はいまのところないが、この腹の子供を一人にはしてくれない人間がこの世にはたくさんいる。こんなにすごいこと、この世界にあるか。奇跡だと思った。
ナツメはクラサメに出会うまで一人だった。この子は生まれる前から、孤独ではない。


それから、ナツメは荷物をまとめた。
さほどの荷物はない、最初からそうだったし変わることもなかった。武官服の替えがいくつかあるぐらいの服のレパートリーに、下着やら外套やらがすこしずつあるばかり。
まるでナツメの人生みたいだなと自分で思った。いつでもどこにでも行けるように、身軽であろうとしているみたいだ。

すぐ運び出せるようにしておけ、ナギはそう言っていた。四課所有の家はいくつかあるが、そのどれがまだ住める状態か調べていないから、と。分かり次第移れるように対処するとのことだった。
鞄一つに充分収まった荷物を壁際に起き、ナツメは息を吐いてベッドに横になった。まだ腹は目立たないし、外から見て妊娠がわかるほどではないが、四課に知られる前に出ないと。

十年育った場所を離れるというのは、それだけで不思議としんみりとした気持ちにさせられるものだな、とナツメは神妙に思った。
まあ後半、ほとんどここにはいなかったけど。

「副隊長、いますか」

不意に、部屋の外から声がした。レムだ。聞き慣れた彼女の声に返事をして、ナツメはドアを開けた。
そこにはナツメ以上に神妙な顔をしたレムと、それからマキナが立っていた。





ナツメが意外な来客を受けていた頃、解読班はすでに解読を始めていた。
レムは遅れてくると聞いていたので、トレイとクイーンが先導に立って。

「現地語の辞書のことだけど、セブンやキングが探してきてくれるって。もう現地の生き残りに連絡は取ってる」

「それはよかったです。蒼龍は長い籠城をしたから、国庫はだいぶ無事なんでしたね」

「白虎はひどい有様だって聞いてるし、運がよかったな」

「ああ、でもあのひとは生きてるんですよね。バシュタール准将でしたっけ……」

「指導者が残ったことでだいぶ白虎も踏みとどまったらしいな。今のところ暴動なんかはそうそう起きてないらしいし」

「そう思うと、副隊長のあのときの言葉って、全部読んでたような気がしますね」

エースとデュースが壁際でする会話を横目に、クイーンとトレイは目を真っ赤にしたクオンを挟んでぶつぶつと呟いていた。「ここの文字ですが古代蒼龍文字にも似たものがありませんね」「前後の文脈判断で良いのでは?」「その前後の文脈に絶対の信頼が無い以上早とちりは禁物ですよ」「それもそうですね、ではとりあえず辞書待ちの文字を書き出しておきましょうか」「それはいい考えですねトレイ。特に頻出のものについては原義までたどるべきでしょう」おそらくエースとデュースにさほどの仕事はないなと思った。






ひとまずエミナやカルラが持ち込んでくれたものからジュースを選んで二人に出した。荷造り中の様子が見て取れる室内に、レムとマキナは表情を暗くしていた。
マキナはレムと一度視線を絡めた後で、口を開いた。

「副隊長、魔導院出ていくのか……?」

「あー、えっと。もうちょっと落ち着いたら自分で言うつもりだったんだけど」

「妊娠したからですか?」

「ぶふっ」

レムが問うた瞬間ナツメは吹き出した。

「なんで、なに、なんで知ってるの!?」

「え、ああ、ナギがさっき言った」

「はあ!?どこで!?」

「0組の教室」

「なっ、なんで!?」

「どうせナツメは言わないからもう俺から言うって言ってたけど」

「あっ、あの野郎、……あの野郎ぉ……」

なんのかんのと、ナギの言うことが正しいのは事実なので、ナツメはただテーブルに肘をついて俯くばかりだ。
ため息を浅く吐いて、恐る恐る顔を上げた。そのさきの、椅子に座った二人もまた、暗い顔で俯いていた。
なにかあったのだろうか。

「なっさけないの。笑えないよねえ」

「……そんなこと。そんなことない」

「何、マキナ。そんな落ち込んで」

ナツメ、オレ、あのときのこと謝れてない」

ゆっくり顔を上げたマキナはしかし、ナツメを見なかった。目が苦しそうに細められている。
あのときのこと。……あのとき、と言われてもナツメには思い当たらない。いや考えればいくつかあるのだが、なにぶんいくつかあるのだから、どれを指しているのか結局わからないわけであった。

マキナはそのナツメの困惑を、実に正しく受け取ったようで、短く呻いた後更に顔を落とし「本当に悪かった」と呟くように言った。あまりにも落ち込んだ様子なので、ナツメのほうこそ気まずくなった。

「まあ、あの。わかるわ」

「わかってくれなくていい……」

「わかるわよ。もうばれてるでしょう?私がどういう人間か」

ナツメが苦笑すると、レムがマキナを見て、それからナツメを見た。

「私たち、あの……最後の夜のことを、謝りたくて」

「レムがルシになったときの?」

「ひどい……ひどい夜だった。思い出すだけで、頭痛がする」

マキナが額を押さえ、軽く頭を振った。
確かにひどい夜だった。戦争を生き抜き、人間同士でさんざ殺し合ってきた果てにあった、黒い空と赤い海。
異常なんてもんじゃない。例えるなら虫にでもなった気分だった。ほんの一瞬気を抜いただけで、胴体が真っ二つになりかねなかった。

「でももう、そこにいるのがレムだってことも、ナツメだってことも、クラサメ隊長だってこともわかってなかった。何も考えることができなくて、ただオレは目の前にいる誰かを殺さないと、レムが死ぬ、そう思った」

「……私は、ほとんど意識がありませんでした。マキナやみんなを探してる夢を見ていて、その延長みたいな感じで……でも、怖かった。どこまで行っても誰もいなくて。だからマキナを見つけて、嬉しかったけど」

「オレたちはお互いを見つけたと思った瞬間に、とんでもないことが起きたことにも気付いた。レムとナツメに刺さったレイピアの、……か、感覚が、まだ……こびりついてる気がする……」

マキナは青ざめた顔で口籠り、そう言った。マキナにとってどんなに耐え難い後悔か、ナツメにもわかる気がした。
例えばそれは五年前の恩人たちの死、あるいはトゴレスに助けに来たクラサメや、もしくはビッグブリッジ戦で傾ぐ彼の身体。

生きていれば必ずどこかで同じだけの恐怖が、同じだけの悔恨が待っている。自分だけ特別なんてことはないし、誰一人逃れることはできない。
今回はそれが偶然、みんな重なっただけのことだと今は思えた。ナツメにとってはその程度のこと。初めてではない、何度も命を襲った恐怖の最後の一つというだけ。

「……私にとって、あれは、情けない話なのよ」

だからこそその謝罪が痛くもある。
マキナとレムがどんなに後悔したって、それ以上に、ナツメとクラサメの責任が重かったことには違いないのだ。だって、大人だから。
彼らを戦争に追いやり駆り立て追い詰めた。大人のくせに、何一つ代わってやれなかった。最後の瞬間でさえ、助けることもできなかった。
そうだ。ナツメは彼らを救えなかった。救いたかった。愛しているからなんて呪詛じみた言葉を御為ごかしに使って逃げた過去の自分に似たマキナも、心配しているとそればかりで結局は向き合うことを恐れた過去のクラサメに似たレムも。

「本当は、もうずっと前。一緒に白虎から逃げた日に、わかっていたのよ。二人のこと。こんなこと言う日が来るとは思っていなかったけど、でも、あなたたちは残念なことに私達によく似ている」

「それ、……残念なんですか」

「とても」

少し笑ってレムが問うので、ナツメも苦笑混じりに頷いた。

「だから、あなたたちのことを救えなかったことをとても悪かったと思っているし、それ以上に、今こうして普通にしていられることが嬉しい。良かったよ。0組では誰も死ななかった」

「……はい。それは本当に、よかった」

レムが頷いたが、でも結局二人の顔は暗いままだ。
さてこれはどうしたものかなと、ナツメは少し戸惑った。一体どうしてこう顔が暗いのやら。

「でもどうしたの、ふたりとも」ためらいがちに聞いてみた。「すごく落ち込んでるみたいだけど」言う間にも二人は更に表情を暗くした。
結局、理由について最初に口を割ったのはレムだ。

「あの、副隊長……あのとき、最後にどうなったか覚えてますか?」

「最後っていうと……マキナのレイピアが突き刺さってたね」

「……」

「場所はどこだったか、覚えてませんか」

「えーと……どうだろう。私もあの時のことはあんまり。朦朧としてたし……」

「オレも覚えてないんだ。でもとにかくひどい血が出て、レイピアが抜けた後、赤と白とピンクの……」

言った後でマキナは吐きそうな顔をした。戦争でさんざ殺し回ってきた人間とは思えないが、身内の内臓なんてものを見る機会は稀だし気持ちはわかる。ナツメだって0組の内臓を見たら吐くかもしれない。

「でも、それが?」

「いや、だから……妊娠したって聞いて。もしかしたらオレが、一度……」

「胎児を潰したかもしれないって?」

ナツメがはっきり言うと、彼の顔色は更に悪くなった。最近ようやっと悪阻が落ち着いたナツメより激しい嘔吐をかましそうな顔である。

「判断はつかないことですけど……ルシの妊娠は記録に残っていません。ルシになった後加齢した例もありません。だから、問題はいつ妊娠したかだと思いました。それで、もし万が一、ルシになる前の妊娠だったら……あのいろいろな出来事で、私も副隊長も、一度瀕死にまでなっているのになぜか外傷がないですから、時間が戻されたか完治するだけの強い魔法がかけられたのだと思いましたが……」

何度も口籠り、言い方を変えようとしながら、レムは懸命に話した。何が言いたいかはわかっていた。

「なるほど。もし妊娠した後あの出来事があったのなら、回復の要因となったなにかが胎児まで助けてくれたかわからないから、ってことよね」

「……そうだ」

「そうか……考えてもみなかった。なるほど、たしかに」

これは早々に聞かなくて良かった。少なくとも何度か検査を行った後で、胎児が成長段階にあることはわかっているが、それがわかる前ではたぶんナツメでも取り乱した。おそらく妊娠したのはルルサスのことも全て終わった後だろうと思いながらも、マキナの言う可能性がないわけでもなかった。

「でも大丈夫だと思う。もう何度かカヅサと検査もしてるし、悪阻はひどかったし。死んでいる胎児のために悪阻が続くこともあるにはあるけど、そもそも最初に死んでいたならそういうこともないでしょう」

「……本当ですか」

レムがくたりと、緊張のためかガチガチになっていた肩を落として、ほっと安堵の息を吐いた。
それからマキナを見て、おそらくはマキナの、テーブルの下にあった手を握った。

「よかった……よかったねマキナ」

「……レムは関係ないんだ。レムが気にすることじゃない、何かあったらオレが背負うつもりだった」

「そんなことない。そんなこと言わないで。関係ないなんてことない。一緒に生きてきたんだから」

これからも生きていくんだから。
一緒に。


二人の間になにかがあるのか、これから芽生えてゆくのか、あるいはそうはならなかったとしても。

ナツメは二人が今ここに生きてくれていることを幸せに思ったし、そのためにできたこと、できなかったこと全てに意味があったと認められるような気がした。

ナツメとクラサメのたくさんの試練、失敗、ただ単純に面倒な出来事も全部ここに繋がっていた。最後にナツメの腹に宿ったものはそれら全ての証明で、この世に這い出る前から生きることを許されているのだ。こんなにうれしいことがあるだろうか。

もしクラサメが今でも隣にいたなら、どう思っただろうか。彼も喜んでくれただろうか?
疑いようもなく、きっとそうだと思った。
ナツメは幸せだ。



それから少し、どこに引っ越すつもりか、手伝うからすぐに呼ぶようにというような会話をして、二人は用事があると言って帰っていった。
そして去り際、マキナが振り返って言った言葉が妙に耳に残っている。

「大丈夫だから、安心して待っててくれ」。
その言葉が一体どういう意味を持っているか、このときのナツメには知る由も無いのだった。







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